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更新日:2024年11月6日
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「武家の古都・鎌倉」を構成した文化財を紹介するページです。
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(1)鶴岡八幡宮・若宮大路(2)荏柄天神社(3)寿福寺(4)建長寺(5)円覚寺(6)瑞泉寺
(7)鎌倉大仏(8)覚園寺(9)浄光明寺(10)極楽寺(11)称名寺(12)永福寺跡(13)法華堂跡
(14)東勝寺跡(15)仏法寺跡(16)北条氏常盤亭跡(17)和賀江嶋
(18)切通((18)-1朝夷奈切通 (18)-2名越切通 (18)-3亀ヶ谷坂 (18)-4仮粧坂 (18)-5大仏切通)
源頼朝が1180年に現在地に造営した神社で、武家政権の正当性を示す神として崇敬されるとともに、参道である若宮大路と併せて鎌倉の中心・基軸に位置づけられた。境内及び若宮大路には、摂社若宮、上宮及び大鳥居などの重要文化財がある。
鶴岡八幡宮の国指定文化財(史跡・建造物)
交通案内:鎌倉駅から徒歩約15分
創建は1104年と伝えられ、鶴岡八幡宮とともに武家の誓約を保証する神、詩歌(しいか)の神として崇敬されてきた。境内には17世紀に鶴岡八幡宮から移築された、14世紀建立の本殿がある。
荏柄天神社の国指定文化財(史跡・建造物)
交通案内:鎌倉駅から「大塔宮」行きバスで「天神前」下車、徒歩約1分
源頼朝の父・義朝(よしとも)の館跡とされる地に、禅僧の栄西(えいさい)を招いて1200年に建立された鎌倉初の禅宗寺院である。禅宗普及の端緒となるとともに、栄西によって喫茶の風が伝えられた。
寿福寺の国指定文化財(史跡)
交通案内:鎌倉駅から徒歩約15分
1253年に我が国最初の本格的な禅宗専門道場として、第5代執権北条時頼(ほうじょうときより)によって創建され、禅宗普及と中国文化受容の場となった重要な禅宗寺院である。境内には、禅宗様木造建築の仏殿・山門・法堂(はっとう)・昭堂(しょうどう)や唐門(からもん)などの重要文化財、初期禅宗庭園の方丈(ほうじょう)裏庭園や中庭庭園などの名勝がある。
建長寺の国指定文化財(史跡・名勝・建造物)
交通案内:JR北鎌倉駅から徒歩約15分
1282年に、モンゴル襲来の際の敵味方供養のために、第8代執権北条時宗(ほうじょうときむね)が建立した禅宗道場で、建長寺と並んで禅宗普及と中国文化受容の拠点となった重要な禅宗寺院である。境内には、禅宗様建築の傑作で国宝に指定されている舎利殿(しゃりでん)や、名勝指定を受けた庭園がある。
円覚寺の国指定文化財(史跡・名勝・建造物)
交通案内:JR北鎌倉駅から徒歩約1分
1327年に夢窓疎石(むそうそせき)によって開かれた禅宗寺院であり、境内には名勝指定された瑞泉寺庭園があるが、これは初期禅宗庭園の名園である。
瑞泉寺の国指定文化財(史跡・名勝)
交通案内:鎌倉駅から「大塔宮」行きバスで終点「大塔宮」下車、徒歩約20分
高さ約11.5メートルの国宝・銅造阿弥陀如来坐像と、大仏殿の遺構からなる史跡で、現在は高徳院境内となっている。鎌倉大仏は約750年前に鋳造されたそのままの姿をほぼ保ち、その雄大さやたくましさは武家文化を象徴している。
鎌倉大仏の国指定文化財(史跡・彫刻)
交通案内:江ノ電・長谷駅から徒歩約15分
覚園寺は、二度に渡るモンゴル襲来後、依然として襲来の危機感が社会にあった1296年に、第9代執権北条貞時(ほうじょうさだとき)によって異国降伏を目的に造営された。境内の最奥には開山塔(かいざんとう)と大燈塔(だいとうとう)という二つの巨大な石塔が立ち、現在でも塔前で仏事が行われるなど、覚園寺境内の聖域の中心として、崇敬を受け続けている。
覚園寺の国指定文化財(史跡・建造物)
交通案内:鎌倉駅から「大塔宮」行きバスで終点「大塔宮」下車、徒歩約15分
1252年に、第5代執権北条時頼(ほうじょうときより)と第6代執権長時(ながとき)の発願で創建され、鎌倉における仏教教学の中心となった寺院で、往時の寺院境内の地形や地割を現在に伝えている。境内には、冷泉為相(れいぜいためすけ)の墓と伝えられる宝篋印塔(ほうきょいんとう)がある。京都から下向し、鎌倉歌壇の中心となった彼は、貴族文化と武家文化が融合した鎌倉を象徴する存在である。
浄光明寺の国指定文化財(史跡)
交通案内:鎌倉駅から徒歩約20分
1259年の創建と伝えられ、北条重時(ほうじょうしげとき)を開基に、忍性(にんしょう)を開山とする寺院である。忍性により下層民や病者の救済などの社会事業が広範に行われ、彼の墓塔である忍性塔(五輪塔:重要文化財)がある。
極楽寺の国指定文化財(史跡・建造物)
交通案内:江ノ電・極楽寺駅から徒歩約1分
鎌倉の外港・六浦津(むつらのつ)を抱える重要な場所に居館を構えていた金沢北条氏が、1259年に建立した寺院であり、鎌倉の防御と武家文化の成立と発展に重要な役割を果たした。特に、金沢北条氏が収集した「金沢文庫」として知られる大量の典籍(てんせき)や美術品、古文書は称名寺の最大の特徴であり、武家文化や武家社会を知る上で不可欠な存在である。
称名寺の国指定文化財(史跡)
交通案内:京浜急行・金沢文庫駅から徒歩約15分
奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝が、1189年に敵の戦死者の冥福を祈って建立した寺院の跡で、発掘調査の結果、奥州平泉で威容を誇った中尊寺二階堂大長寿院や毛越寺金堂にならった、荘厳な伽藍跡(がらんあと)や浄土庭園跡が確認された。
永福寺跡の国指定文化財(史跡)
交通案内:鎌倉駅から「大塔宮」行きバスで終点「大塔宮」下車、徒歩約10分
法華堂跡は、源頼朝と2代執権北条義時の法華堂が建てられた場所であり、西側に頼朝の墓塔があり、東側の地下には義時の法華堂跡が保存されている。
法華堂跡の国指定文化財(史跡)
交通案内:鎌倉駅から徒歩約20分
13世紀前半に第3代執権北条泰時(ほうじょうやすとき)によって建立された寺院の跡である。この場所は1333年の新田義貞軍の鎌倉攻撃時に、北条一族が自刃するなど、幕府滅亡の舞台となった。中世末に廃絶したこともあって寺そのものは残っていないが、地下に往時の建物の遺構が良好に保存されている。
東勝寺跡の国指定文化財(史跡)
交通案内:鎌倉駅から徒歩約15分
極楽寺の子院であった寺院の跡で、鎌倉時代に極楽寺の管理下にあった鎌倉の海岸部一帯を一望するとともに、鎌倉の西の出入口を固める交通の要衝であった。1333年の鎌倉攻防戦において重要な拠点となった。
仏法寺跡の国指定文化財(史跡)
交通案内: ※本史跡は現在公開されていません。
第7代執権北条政村らの館(やかた)跡とされている遺跡で、谷戸(やと)を積極的に造成して敷地を確保した好例であり、大仏切通の支配と防御の拠点とされ、鎌倉武士の居館の様子を良く伝えている。
北条氏常盤亭跡の国指定文化財(史跡)
交通案内:鎌倉駅から徒歩約15分
鎌倉の政権所在地整備の一環として、1232年に着岸時の船舶の安全を確保する目的で、海面を埋め立てて造られた、現存するわが国最古の築港(ちくこう)遺跡である。
和賀江嶋の国指定文化財(史跡)
交通案内:鎌倉駅から「逗子駅」行きバス(または逗子駅・新逗子駅から「鎌倉駅」行きバス)で「飯島」下車、徒歩約1分
鎌倉の政権所在地整備の一環として、幕府は13世紀前半頃から、外部との円滑な連絡を確保するとともに、防御拠点とするため、鎌倉を囲む山稜部において、稜線を垂直に近い角度で掘り下げた人工的な谷を造り出し、その底部を路面とする道路を造成してきた。これらが「切通」と呼称されてきた。
切通の主体をなす切通路周辺には、「やぐら」を始めとする葬送の場や処刑場、あるいは市(いち)が置かれるなど、多様な土地利用のあり方がみられた。
※「やぐら」とは、鎌倉とその周辺に多く見られる中世の墳墓で、崖面に平面方形の横穴をうがって墓室を造り出す形態を特徴とし、丘陵部の斜面に密集して存在している。
切通の国指定文化財(史跡)
交通案内:〔横浜市側から〕京浜急行・金沢八景駅から「鎌倉駅」行きバス(ほかに複数の系統あり)で「朝比奈」下車、徒歩約10分 〔鎌倉市側から〕鎌倉駅から「金沢八景駅」行きバス(または「鎌倉霊園正門前太刀洗」行きバス)で「十二所神社」下車、徒歩約10分
交通案内:〔逗子市側から〕逗子駅、新逗子駅から「亀ヶ岡団地循環」バスで「亀が岡団地北」下車、徒歩約5分 〔鎌倉市側から〕鎌倉駅から「新逗子駅」行きバスで「緑ヶ丘入口」下車、徒歩約10分
交通案内:JR北鎌倉駅から徒歩約15分
交通案内:鎌倉駅から徒歩約30分。源氏山公園そば。
交通案内:江ノ島電鉄長谷駅から徒歩15分
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