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更新日:2024年12月18日
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文化庁は、「日本遺産審査委員会」の審査を経て、3件のストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」に認定しました。
これらには、鎌倉市が申請した「『いざ、鎌倉』-歴史と文化が描くモザイク画のまちへ-」、伊勢原市が申請した「江戸庶民の信仰と行楽の地-巨大な木(き)太刀(だち)を担いで『大山詣(おおやままい)り』-」及び本県の横須賀市が他府県3市と共同申請した「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴-日本近代化の躍動を体感できるまち-」の3件が含まれますので、お知らせします。
鎌倉市
「『いざ、鎌倉』-歴史と文化が描くモザイク画のまちへ-」
(ストーリーの概要)
鎌倉は、源頼朝によって幕府が開かれた後、急速に都市整備が進められ、まちの中心には鶴岡八幡宮、山には切通(きりどおし)、山裾には禅宗寺院をはじめとする大寺院が造られた。
この地に活きた武士たちの歴史と哀愁を感じられる古都鎌倉は、近世には信仰と遊山の対象として脚光を浴び、近代には多くの別荘が建てられたが、歴史的遺産と自然とが調和したまちの姿は守り伝えられてきた。
このような歴史を持つ古都鎌倉は、自然と一体となった中世以来の社寺が醸し出す雰囲気の中に、各時代の建築や土木遺構、鎌倉文士らが残した芸術文化、生業(なりわい)や行事など様々な要素が、まるでモザイク画のように組み合わされた特別なまちとなったのである。
伊勢原市
「江戸庶民の信仰と行楽の地-巨大な木(き)太刀(だち)を担いで『大山詣(おおやままい)り』-」
(ストーリーの概要)
大山詣りは、鳶などの職人たちが巨大な木(き)太刀(だち)を江戸から担いで運び、滝で身を清めてから奉納と山頂を目指すといった、他に例をみない庶民参拝である。そうした姿は歌舞伎や浮世絵にとりあげられ、また手形が不要な小旅行であったことから人々の興味関心を呼び起こし、江戸の人口が100万人の頃、年間20万人もの参拝者が訪れた。
大山詣りは、今も先(せん)導師(どうし)たちにより脈々と引き継がれている。首都近郊に残る豊かな自然とふれあいながら歴史を巡り、山頂から眼下に広がる景色を目にしたとき、大山にあこがれた先人の思いと満足を体感できる。
横須賀市・呉市・佐世保市・舞鶴市
「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴-日本近代化の躍動を体感できるまち-」
(ストーリーの概要)
明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急務であった。このため、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築いた。静かな農漁村に人と先端技術を集積し、海軍諸機関と共に水道、鉄道などのインフラが急速に整備され、日本の近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生した。百年を超えた今もなお現役で稼働する施設も多く、躍動した往時の姿を残す旧軍港四市は、どこか懐(なつ)かしくも逞(たくま)しく、今も訪れる人々を惹(ひ)きつけてやまない。このページの所管所属は教育局 生涯学習部文化遺産課です。