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更新日:2024年5月30日
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県央地域の国指定・県指定無形民俗文化財のページです。
相模原市の緑区下九沢にある御嶽神社に伝えられる獅子舞。一人が一匹の獅子頭をつけて舞う。三人(三匹)が組になるので「一人立ち三匹獅子舞」の名がある。
獅子は笛にあわせて唄手が歌うのと一緒に舞う。唐草模様の「ハカマ」を装着しているのが印象的である。
獅子舞は全国的に分布するもので、大別すると、二人立ちのものと一人立ちの2種に分かれる。二人立ちは一匹の獅子に2人以上の人が入って舞うもの、一人立ちは先に述べた様に一匹に入って舞うものである。この一人立ち三匹獅子舞の流布圏は神奈川県を南限とし、その以北に限られている。県内には相模原の外、横浜、川崎、津久井など中絶したものも含め10ヶ所程あった。三匹は、父母と子、雄・雄・雌などとよばれている。江戸時代の初期に市中に盛行、これが関東一円の農村に広がり、「村ぼめ」「庭ぼめ」などの唱歌が、村落の繁栄を祈る呪語として、雨乞や厄祓いにも流用され、農民生活の中に定着したものと考えられる。
下九沢の獅子は剣獅子、玉獅子、巻獅子とよばれ、鬼形面をかぶった岡崎、花笠、ノボリ、万灯花傘がつく。
相模原市の緑区大島にある諏訪神社の祭礼に奉納される。祭礼の日には、「花万灯」を先頭に道行がある。
この神社の獅子舞は「一人立ち三匹獅子」で下九沢の御嶽神社の獅子舞と同じく、「角兵衛流」といわれる。江戸時代からの伝統ある獅子舞であることも共通している。
この地の獅子舞には天狗、岡崎、鬼等が加わり、鬼は獅子と共演する。獅子は剣獅子、巻獅子、雌獅子の3匹が登場する。
相模原市の緑区鳥屋にある諏訪神社の祭礼に奉納される。
一人が一つの獅子頭をつけて舞う一人立ち獅子舞だが、三人(三匹)が共演する。(一人立ち三匹獅子舞)。父獅子は前腰(腹)に太鼓をつけるが、母獅子は竹の「スリササラ」を持って舞う。三匹のほかにササラ子が3人(5才から10才位までの男の子)参加する。笛役と、歌役で構成されている。
鳥屋の獅子舞は江戸時代に八王子の高槻から伝えられたといわれ、素朴で、古い伝統があることで評価が高い。なお、ここの獅子頭は「重箱獅子」と地元で呼ばれるなど、頭頂に怪奇な目玉を持ち、鼻穴が大きく、「竜頭」を思わせる特徴がある。獅子頭は、17世紀に鳥屋清真寺の第10世住職円海がみずから彫ったもので、父獅子の下アゴの裏側に「円海」と刻まれている。
祭りの当日は、円海が世話になった中開戸の鈴木家に集合し、支度をして神事の後神社まで道行する。
旧相模国で江戸時代に流行した七夕踊り・小町踊りの流れをくむ女性だけによる盆踊り。大正末期には廃絶してしまったが、戦後、旧相模国域各地で復活した。揃いの浴衣に帯を締めた襷掛けの女性が、長詞型または短詞型の独特な唄に合わせてビンササラを突き、小太鼓を打ちながら踊る。
下中座 | 長谷座 | 林座 |
県内には、江戸時代から明治にかけて十五か所の三人遣いの人形芝居があったが、現在でも五座で続けられている。そのうち国指定は三座である。カシラが文楽よりもやや小ぶりで「鉄砲ざし」という操法を伝える江戸系人形芝居の遺産である。
このうち下中座は、伝承によると、約250年前、関西地方から人形遣いの一行が、江戸を目指して旅興行の途中、その技能を村の青年に伝えたのが始まりと言われている。
また長谷座は、江戸時代中期に始まったと伝えられているものの、長谷座の伝承では、「阿波の人形廻しが来て始めた…」と言われており、長谷の堰神社には、淡路から伝わったとされる翁面がある。
そして林座は、江戸時代中期に始まったとされておりますが、1850年頃、大阪の人形師吉田朝右衛門の指導により始まったと考えられている。
国の指定にあたっては、下中座・長谷座・林座の三座が相模人形芝居連合会を結成し、国の無形民俗文化財として同時に指定を受けた。
三増の獅子舞は、愛川町三増諏訪神社境内社の八坂神社祭礼に奉納される。この「天王祭」で舞われる獅子舞は三人(三頭)がそれぞれちがった形状の獅子頭をつけ、各人がそれぞれ前腹部につけた太鼓をたたきながら舞う、「一人立ち三頭獅子」である。この三頭は、両親と子であるともいわれている。
歌詞は、本来23節からなっていたが、現在では演舞時間短縮のため14節とされている。この種の獅子舞は関東甲信越から東に分布し、三増のものは、そのほぼ南限で、主な分布地以外では、例外的に静岡、福井等にあるだけといわれる。
三増は甲州への街道の宿場であり、また戦国大名武田・北条氏の古戦場としても有名で、上宿、下宿、裏宿、馬込等の地区から成っている。祭日、舞手たちは、上宿、下宿にあって、昔から当屋をつとめる家を出発する。この当屋は、毎年交代で、出発と帰着の当屋となる。神社までは、道行の渡り拍子で行道する。神社に設けられた、忌竹をたて、しめ縄をめぐらした祭場で舞を奉納して、当屋へ帰る。
発祥は、当獅子舞の加役である「バンバ面」の裏にある刻名から推察して、18世紀初期ではないかとみられている。
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