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更新日:2024年5月30日
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横浜地域及び川崎地域内の国・県指定無形民俗文化財を紹介しています。
「お馬流し」は、横浜の本牧神社に伝わる神事で、厄霊(神)を祓う(放流)する行事である。今から約400年前の永禄9(1566)年にまでさかのぼるといわれる。
かつての本牧村の6集落から1体ずつ奉納される「お馬」は全て羽鳥家が作る。当主が斎戒沐浴した後、約1週間かけて仕上げる。首から上が馬で、体は亀という外見。頭部からの羽や長い尾を含めると、約50cmから約1mの大きさである。頭上に御幣(ごへい)を立て、口に稲穂をくわえさせる。
祭りの前日、羽鳥家から神社へ「お馬迎え式」が行われる。6体のお馬は厚板の上に置かれ、頭上から頭上へゆっくり渡していく。この間、お馬は目より下にしてはならない。神社を出発したお馬6体は輿(自動車)の上に安置され、各町内を巡る。お馬には、それぞれの地域の災いが乗り移るとされる。なお、神社前から輿(みこし)及び輿から船の間を移動する際も、お馬わたしを行う。
海上では2隻の船に3体ずつお馬を乗せて漕ぎ、沖合で流す。お馬が戻って来ないよう、引き潮に合わせる。流し終えた2隻の船は競争して帰ってくるが、これはお馬に託した災厄から一刻も早く逃れる意味と、古くは勝ち船の順で神社に参詣したことによる。
長老男子達の唱える南無妙法蓮華経の題目に合わせ、御会式(おえしき)に奉納される稚児達の綾取(あやと)り芸である。曲題目とは南無妙法蓮華経の題目に曲をつけたものを指す。御会式では妙蓮寺本堂に作られた雛壇(ひなだん)に稚児達が座り、両端に房のついた綾バチ1本または2本で紙の太鼓を叩く。使うバチの本数で芸の種類が変わり、1本の場合には片辺(かたべ)、2本の場合には双辺(もろべ)と呼ばれる。バチのさばき方は24通りあり、それを組み合わせて演じる。曲題目には「数え唄」等の12曲がある。綾取りを寺院の御会式の時に演じるのは、全国的にも珍しい。
あざみ野の神明社と新石川の驚(おどろき)神社で奉納される一人立ち三頭獅子舞である。
獅子頭は3頭で、剣角(つるぎづの)と巻角(まきづの)を持つ雄獅子2頭と頭に宝珠(ほうじゅ)を載せた雌獅子1頭である。鶏の羽で飾り、赤い布を垂らしている。舞手3人は裁著・白足袋・草履を履いて締太鼓(しめだいこ)を胸につけ、バチを打ちながら舞う。その他に、蝿追い1人、ササラ子2人、万灯持(まんとうもち)1人、小万灯持(こまんとうもち)2人などの役目がいる。この他にホラ貝3人、笛数人、歌上げ数人は大人で古老が務める。
当日は獅子宿(ししやど)で支度をし、道行きの曲に合わせて神社まで練り歩く。神前にて祭り言葉を述べてから曲に合わせて三頭の獅子が、蝿追いと絡みながら舞う。
鉄(くろがね)神社の祭礼に境内で奉納する一人立ち三頭獅子舞である。獅子頭は3頭で、剣角(つるぎづの)と巻角(まきづの)を持つ雄獅子2頭と頭に宝珠(ほうじゅ)を載せた雌獅子1頭である。いずれも黒塗りで羽毛をつけ、胸に太鼓をつける。舞手は大人。他に露払い・幣(はい)追い各1人、花籠(はなかご)・金棒曳(かなぼうひき)・法螺貝(ほらがい)各2人、笛・ササラ引き・唄い手各3人の合計約20人になる。花や弓等の道具とじゃれたり、格闘を表す舞振りがあったりと、変化に富んでいるのが特徴。
大正の頃、川崎市内に紡績工場が建設され、若い女性を全国から募集した。その中で最も多かったのが沖縄出身者であった。その後、沖縄からこうした女性の親類縁者が移住し、故郷の沖縄民謡、舞踊、三絃(さんげん)等を伝えてきた。それが今日の沖縄芸能のもとである。
沖縄の古典芸能は、古くからの神事舞踊、島々の民俗舞踊及び能や歌舞伎踊を取り入れたとされている。組踊りや古典舞踊の老人踊・女踊・二才踊・若衆踊・雑踊(ぞうおどり)等のほか、民謡音楽等も含まれる。川崎の沖縄芸能はその古典芸能の精神を汲み、荘厳な踊りから軽快な踊りまでバラエティーに富む。楽器は太鼓・三味線・琴・笛等を用いる。組踊は劇的な内容が特徴で、「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」のように、道成寺物語と内容のよく似たものもある。老人踊の「御前風(ごぜんふう)」は祝いの時、最初に踊られる気品の高い踊りである。女踊は「かせかけ」のように、恋人を慕って布を織る女性を表現した艶やかな踊りである。「二才踊」「若衆踊」は若者の踊りであり、雑踊は「谷茶節(たんちゃぶし)」のように、海辺の男達が漁に出て、獲ってきた魚を娘達が売り歩く様を描いた軽快な踊りである。
享保年間(1716~36年)にこの地の旧家高橋七兵衛宅から出た僧、顕妙院日義上人(けんみょういんにちぎしょうにん)が修得し伝授した一人立三頭獅子舞である。大きなささら、両側から二人で打つ大太鼓、竜頭(りゅうず)型獅子舞、明確な緩急、すり足の所作等が特徴である。舞手は青年、仲立(なかだ)ちは小学生が担当する。
元々は9月18日、19日の八幡大神(幸区小向)の例祭に披露されていたが、最近は8月第2日曜日に行われている。八幡大神の祭り以外に神社・寺院の落成式等にも舞われる。
宵宮(よいみや)の時、練り込みといって町内を巡る。練り込みは子ども達が台車を引き、その台車が行列の先頭に立ち、台車には太鼓を乗せる。台車に続いてささらを摺(す)る少女が続く。ささらに続き、榊を持ち三宝を持った長老・弓張提灯が続く。途中、氏子の人々が三宝に賽銭(さいせん)を入れたりする。先導者は賽銭を出した人々を祓う。次に仲立2人が続き、大獅子・女獅子・中獅子が従う。獅子に続いて笛数名が従い、最後に弓張提灯(ゆみはりぢょうちん)の2人が続く。
練り込みの時には道行の曲を奏する。囃子は大太鼓・笛・ささらで、獅子は羯鼓(かっこ)を打つ。道行曲の外に「入端(いりは)の吹っかけ」「岡崎の吹っかけ」などを演奏する。
菅生(すがお)神社(宮前区菅生)の10月最初の日曜日の例祭に披露される一人立ち三頭獅子舞である。始まった時期は明らかでないものの、江戸時代初期の製作とされる獅子頭があり、少なくともその頃には既に行なわれていたと考えられる。そのため、一人立獅子舞としては初期の頃のものということになる。
初山の獅子舞は天狗面の者に先導され、町内を練り歩き、祭場へ練り込む。舞は拝殿の前庭に設けられた円形土俵を舞場(ぶじょう)として行なわれる。最初に幣(はい)負い(天狗面)の土俵清めがあり、続いて金棒引き、幣負いが先頭に立ち獅子を先導する形で舞場に入る。途中は道行の笛を吹き、岡崎・入端(いりは)・渡り笛・変り笛等の様々な囃子で舞う。後半で舞う雌獅子隠しは、獅子舞の見せ場である。初山の獅子舞は地を這うように舞うのが特色だが、地の悪霊を鎮めるという意味があると考えられる。
舞の途中で中入があり、舞人が中休みをする。この時に食事をするのが一般的である。中入の時、天狗面をつけた者が道化たことをする。初山の古い獅子頭にウソフキ型の面(道化面の系統)がついているのは道化芸があったことを示す。現在は仲立(なかだち)役が道化芸を担当しているが、ウソフキ面ではなく天狗面を被る。
菅の獅子舞は先導役の天狗面をつけた者1人、雄獅子・雌獅子・臼獅子が笛・歌に合わせ、胸につけた羯鼓(かっこ)を打ちながら舞う一人立ち三頭獅子舞である。始まった時期は不明だが、初山の獅子舞と同じく江戸時代初期には行われていたと考えられている。
獅子舞は3日続けて行われ、子之神社境内(1日目)では揃い獅子、薬師堂境内(2日目)では本獅子、そして小学校・郵便局等(3日目)でも舞を披露する。獅子は道行の囃子で祭場に入り、横に並んで舞う横舞から、乗込(のりこみ)といって、天狗が先導して舞場(ぶじょう)に入り舞う。舞場に入ると地舞といい、各種の舞が舞われる。風流歌が歌われ、獅子に天狗がからみ、道化的なことを演じ、見せ場を作る。
また、雌獅子隠しといって、雌獅子を臼獅子と雄獅子が奪い合ったりすることがある。雌獅子隠しの場面は獅子舞の見せ場である。舞場で一踊りし、入場の時の横舞の形をとり、神前に一礼して退場する。舞の基本は祭場に練り込み、悪霊鎮め・悪霊払いをして退場するというもので、一種の行道の形式をとる。
菅の獅子舞は病退散を祈願する舞とされるが、昔は豊年の年のみ舞われた。また、舞人が腰に挿す5色の幣(はい)は安産のお守りになると伝えられている。
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