更新日:2025年2月3日
ここから本文です。
第30回黒岩知事と県民との“対話の広場”Live神奈川(横浜会場)
「被災地の現実~もしも神奈川で大地震が起こったら~」
阿南 英明 氏 作成資料(PDF:2,653KB)(別ウィンドウで開きます)
江口 清貴 氏 作成資料(PDF:7,559KB)(別ウィンドウで開きます)
119名
(1)参加した感想
大変良かった…58名(68.2%)・良かった…26名(30.6%)・あまり良くなかった…1名(1.2%)・良くなかった…0名(0.0%)
(2)特に印象に残ったもの ※複数選択可
意見交換…67名(45.6%)・事例発表…61名(41.5%)・知事挨拶…17名(11.6%)
(3)今後取り上げてほしいテーマ
地球温暖化、子育て、AI など
(4)主な自由記述
皆様こんばんは。
ただいまから「令和6年度黒岩知事と県民との対話の広場Live神奈川横浜会場」を開催いたします。
改めまして、私は司会を務めます、吉野と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、本日のプログラムを説明します。
最初に黒岩知事からご挨拶がございます。続いてゲストへテーマに関する事例発表をお願いしております。
そののち、本日のテーマ「被災地の現実~もしも神奈川で大地震が起こったら~」について、会場の皆様と意見交換を行ってまいります。
本日、会場の様子はライブ中継するとともに、Twitter改めXによる会場以外からのご意見も受け付けております。
意見交換の中でご紹介させていただくこともございます。
インターネット中継をご覧の皆様にご案内申し上げます。
この中継をご覧いただきながら、Twitter改めXでご意見を投稿できますので、是非お寄せください。
それではお待たせいたしました。黒岩知事からご挨拶申し上げます。お願いします。
こんばんは。神奈川県知事の黒岩祐治です。
今日はようこそ、この神奈川県庁にお越しいただきました。
この大会議場でね、県民との対話の広場を今から始めさせていただきます。
これ、私が知事になってから、ずっとやっている県民との直接の対話ですけれども、今日が95回目になります。
今まで参加された方は1万4000人を超えています。
こうやって直接お話をしていますから、ここでいただいた「あ、この考えいいな。」と思ったら、すぐに政策に実現したりもしています。
今日は県の担当者がしっかり皆さんのお話を聞いていますから、どんどん言ってください。
冒頭で、お二人の専門の方にお話をいただきますけれども、ちょっと普段と違うのは、普段は外部の専門家ですけれども、今日は、外部のような、中のような、すごく我々と日頃から一緒になってやっているメンバーなんです。
実はこの二人、例のコロナのときに、コロナを乗り越える「神奈川モデル」という言葉、なんとなく記憶にあるでしょう。このメンバーで作っていきました。
コロナを乗り越えていった、この中心人物の二人が、今「防災」という中で、どういうことを皆さんに訴えかけてくれるのか。
今年一年間のテーマは、「いのち輝くマグネット神奈川」というテーマですけれども、その中で、今日は「防災」ですね。
もしもこの神奈川で地震が起きたらどうするのかということ、県は今そういうことに対して、どこまで何をやろうとしているのか。
皆さんの声を聞きながら、「あ、ここ足りていなかったな。」と思ったら、すぐにやります。
もう冒頭のお二人の話の後は、シナリオはありませんから。
この中で、どんどん皆さんに意見を言っていただきたいと思います。
それでは最後までよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
知事、ありがとうございました。
続きまして、ゲストにプレゼンテーションをしていただきます。
お一人目は神奈川県立病院機構理事長、阿南英明様です。
阿南様は藤沢市民病院救命救急センター長、副院長を歴任し、令和2年4月からは神奈川県健康医療局技監、令和3年4月からは神奈川県理事として、県の新型コロナウイルス対策を主導されてきました。
現在は神奈川県顧問として、救急医学や災害医学を専門とした指導に務められています。
能登半島地震では災害派遣チーム「DMAT」の一員として、被災地の医療活動に従事されました。
それでは阿南様、よろしくお願いいたします。
はい。では、阿南と申します。よろしくお願いします。
10分ぐらいお付き合いください。
嫌ですよね。この話がもう今年はありました。
初めて南海トラフ地震の臨時情報というのが出て、なんじゃこれはと、何をすればいいんだと1週間ぐらい大騒ぎになりましたけど、この注意報が出て、翌日に神奈川県も揺れましたよね、僕はもうてっきり起きたと思いましたよ。
すぐに台所に行って、棚から色んなものが落ちないように、こうやって押さえて、来ちゃったかなと思ったけれど、幸いにして別のものでした。
やはり、私たちはこういったことは決して他人事ではない。
自分たちもいろんなものを備えておかなきゃいけないな、まぁ、こういうことであります。
時間的にはちょっと前ですけれど、能登でお正月に、いきなり揺れましたね。
本当に大変でした、能登。皆さん新聞やテレビ、ニュースを聞いていて、こういう言葉がよく出てきたのではないですかね。
道路の寸断、孤立集落とか。断水、停電がなかなか戻らない、支援者の受け入れがね、ボランティアをちょっと少なめでお願いします、なんていうのも実際に行われました。
あとは、高齢化とか過疎、このような言葉が随分出てきた。
そんな記憶があるのではないかと思いますよね。
私は医療をしておりますけれど、その中でも災害時の医療ということは、一つのライフワークとしてやってまいりました。
その中で、数々の大きな震災、毎度毎度対応してきましたけれども、昔はですね、この直接、命、命という生死というところにちょっと着目しますが、死亡ということで言うと、頭をやられた、体をやられた、あと、クラッシュ症候群というのがありますけどね、こういう命を取られちゃう病態というのがあるので、こういった事が問題になった。
何がと言うと、火災で火傷を負う、あるいは、建物がバンと潰れてしまう、そこに挟まれて、こういう外傷、怪我ですね、重症の怪我をする、こういう事が問題になりましたが、だんだんだんだん他の病態が問題になってくるようになった。
何かというと、この高齢者ですよね。
避難所で過ごす。ね、皆さんも。今、能登もそうですよ。
避難所に避難しましょうと避難をしますけれど、そこで過ごしているうちに、どうも具合が悪くなってくる。
せっかく、家が潰れちゃっても大怪我をするということがなかった、良かったね、ということで、でも、水がない電気がないということで、避難所で暮らしましょうとしているうちに、ADLって活動性です。
普段通りとは違うので、だんだんと活動性が低下して、衰弱して、あとお薬もなくなっちゃう。
なかなかね、地震だと言って、自分の普段飲んでいるお薬を持って逃げるという人、決して多くはないですよ。
やはり、とにかく逃げろとなるのでね。そして、肺炎を起こして命が取られちゃう。
これは間接死亡とかね、あるいは災害関連死という言葉で言われたりしますけれども、こういうようなことが随分問題になるようになってきました。
背景はやはり年齢が高くなってくる。こういう中で、これは何かというと、普段の病気ですよ。
普段の病気が悪くなる。これが一つですね。
年齢が僕よりも先輩の方々、今日いらっしゃいますけど、お薬を飲んでいませんか。
やはり血圧の薬とかね、コレステロールのお薬を飲んでいますよね。
こういうものを飲んでいると、それで抑えられているものが抑えられなくなる。
薬を途切らせてしまう、そうすると具合が悪くなって命をとられるような病態になる、こんなことが問題になりました。
能登ではですね、やはり、この水がない電気がない、そういうことで不衛生だとか寒いとか、こういうことが問題になったので、病院に置いておく、あるいは施設の中に置いておく、これ自体が非常に危険だ、そういうことで、この奥能登地域ね、この能登半島の奥のところ、奥能登地域に4つの市町がありますけれども、ここ中心に2000人ぐらいの人たちをこうやって、他の県、あるいは石川県の中でも南部の方に移動させる、こんなことをして、なんとか命を救おうとしました。
もちろん、電気がない、水がない、これをサポートするために、ストーブを、あるいは水を、なんとか手配してということもやっていましたが、追いつかないから、ここに置いとけない。
じゃあ、他に移動しましょう。こんなことをしましたね。
金沢にはこの1.5次避難所という、あるいは「いっときの避難所」という言い方をしますけれども、奥能登から、いろんなホテルにだんだんと分配していきますけれども、ホテルの行き先、いきなり宿が見つからないので、とりあえずこっちに来てくださいということで、体育館にこういう施設を作って、入っていただいた。
若い方は行き先があります。
どんどんどんどんホテルが決まって出ていきますけれど、年齢が高い方は、実はここに滞留しました。行き先が見つからないのです。
どうしてかと言うと、普段からやはり少し認知症がありますよとか、誰かが面倒を見ないと、一人では暮らしていけない。
そういう方々は、ホテルにパンと部屋に入れてしまうと危ないですね。
入れられないから、ここで面倒を見ましょうということで、どんどんどんどんこのベッドが増えて、最終的に若い人は全部いなくなりましたけれど、全部が高齢者施設のようになってしまう、こんなことが起きました。
もう一つ、やはり私たちは知っておかなければいけないですけどね、医療というのは、健康保険というもので行われています。
年齢が高い方は、高齢者特有の保険というのもありますけれども。
もう一つ、介護保険というのがありますね。
介護保険というものが、非常にこの災害時には大きく響いてくるということがよく分かりました。
この7段階に分類されているのですが、この一番下がいわゆる寝たきりと呼ばれる方々ですけれど、要介護の3、4、5、こちらも普段は行き先がないですね。
私の母も実は施設に今入っていますが、なかなか行き先が見つからない。
これ災害の時に、余計行き先が見つからなかったです。
さらには、要介護の1とか2、ここには認知症の方が多いですね。
認知症の方は動きますよね。これが結構大変で、受け皿がなかなか見つからない。
こういったこと、あるいは認定行為ですね。
医師が意見書を書いて、それを自治体が認定する行為がありますが、災害でも同じ手続きをします。
これが、そんな一日や二日では出来ないです。一か月位かかります。
じゃあ、その間どうするのか。こういった問題がどんどんどんどん出てくる。
やはり、高齢化の問題というのは随分あったのだ、と思います。
もし神奈川県が被災したら、さっきと同じ言葉を並べましたけれど、やはり神奈川県でも同じことが起きるでしょう。
どれも、さすがに限界集落とか、ここら辺のところはないかもしれませんが、これらのことは全て、神奈川県も他人事ではない。
人口が多いところと少ないところで考えると、それぞれやはり問題がある。
神奈川県の西部、山間部、やはり人口は少ないですよね。
能登と同じような問題というのはそれぞれ出るだろう、これは非常に想像がつきやすいです。
特に高齢化率も高いです。
でも、人口の多い川崎、横浜も、もの凄く大変になる。何かというとボリュームです。
道も狭いですよね。家が一軒潰れるだけで、道はすぐ通れなくなります。
それから、被災者の数が圧倒的に多い、ボリュームです。
人口が多いということは被災者も、ものすごく多い。
これらを支援するのは、よく自治体職員となっていますけれど、自治体職員だけでは追いつかないですよ、足らないです。
横浜市なんて380万人いるわけですからね。
それに対して、自治体職員が足りるだろうか、こういったことを考えなきゃいけないですね。
高齢者の数も絶対的に多いです。高齢化率は地方部も多いですよ。
だけど、絶対数は都市部が多いです。東京、神奈川は圧倒的に高齢者が多いです。
この圧倒的なボリューム感ということを私たち、どうするのか考えていかなければいけない。
未来に向けて色々と考えていきたいと思います。
能登半島、後で江口さんからお話があると思いますけれど、これ、震災が起きてすぐの頃、この緑色のところが電波が通じないところでしたけれど、わ、今凄いですね。アンテナがババババッと立ちますよ。
緑色のところが、あっという間に、これ1、2週間後ですけど、あっという間に電波が通るようになりました。
これをちゃんと私たちが見極めておいて、これをうまく活用していくのが、これからの災害時の医療として、一つの武器になるな、と思っています。
今までは、避難所にいるとそこに医療のこの救護班とかが、往診のように行くわけですね。
大丈夫ですか、どうですかって毎日のように行って様子を伺う。
でもね、これは今、電波が通じれば、皆さんが殆ど持っているスマホです、スマホで診療が出来ます。あるいは避難所の様子もつかめます。
今後、国としても、いろんな議論になっていますけれど、マイナンバーがどうのこうのではなくて、こういった情報ということ、健康に関する情報ということは、とにかく色んなところで、共有出来るようにするということがこれはもう国を挙げて、これから間違いなく進みますので、こういったことをうまく使っていくと、私たちいいかもしれない。
これは災害時だからやるのではなくて、日常です。日常も今、オンライン診療は出来ます。
こういったことに馴染んでおくと、災害時もこれで、ふと繋がって、一つは安心感が得られる、こういう風になっていくのではないかと思っています。
これも後で江口さんからお話があると思いますが、能登から人を移動させますよと言ったけれど、どこに何人行ったのか、よくわからなかったですよ。
これは大きな問題で、どんどん移動していきます。
初めは、避難所にいたけれど、具合が悪いから病院に入れましょう。
こちらの病院も、もうあまり置いとけないから、移動させましょうと言って、またこちらに移動する。
ここからさらに、これは急性期の病院から、さらにリハビリの病院、高齢者の施設と、どんどんどんどん移動していきます。
どこに行ったのか、こっちに元々住んでいた住民票があるほうからすると、どこに行ったのかよくわからない。大変な問題ですね。
こういったことを、ちゃんと分かるようにしましょう、この仕組みということが、デジタル化、DXということで、今、検討されています。
これは、江口さんがここのところ一生懸命、今、やっていただいておりますので。
こういったようなことをデジタルの力をうまく利用していくという事が将来、私たちの日常の生活もそうだし、災害時の対応ということも大きく変えていくだろうと思っています。
阪神淡路大震災は、もう四半世紀以上前ですけれど、これは大きなインパクトがあって、私たちは大きな医療政策を変えました。
私もやっているDMATとかですね、まさに災害拠点病院とか、この災害政策の大きな大転換が、この阪神淡路大震災でしたね。
そこで膨らましていったのは、やはり「公助」だと思います。
公的にどうしてやっていくのかって。
でも東日本大震災、熊本の地震、こういったものを経験して、いや、公助だけでは追いつかないよね。
もっともっと自分たちもやれることはないか。
こんなことを市民の皆さんから、お声をいただいて色々とやるようになっていきました。
あるいは、病院も、自分たちもなるべく頑張って継続して、医療が提携できるようにする。
企業も、BCPと言いますが、なんとか事業を継続して、ダメになってしまったということがないように、どう自分たちの自力でとにかく耐えて、そして、立ち直っていくぞという、こういう「自助」・「共助」ということが強調されるようになった。
そして、今年、能登半島の地震があった。これからはデジタルをうまく活用していく。
そうすると、このバランス、ちょっと文字の大きさを変えてみましたけれども、公助は公助で頑張っていきます。
でも、自分たちで、あるいは、その地域の中でどうやっていくのか、このデジタルを使うと、ここのところ、大きく膨らみます。
こういったようなことを全体としてバランスよくやっていくことで、私たちの日常生活もそうですし、未来の災害時の医療、こういったことも変えていく。
こういったことが私たちに、今求められていることですし、私たちがやろうとしていることだという風に考えています。
以上です。ありがとうございました。
阿南様ありがとうございました。
続きまして、神奈川県CIO兼CDOである、江口清貴様のプレゼンテーションに移ります。
江口様は防災DX官民共創協議会の専務理事や防災科学技術研究所の客員研究員などを歴任し、防災DXの推進に務められています。
能登半島地震では石川県庁と連携し、被災地における避難所での通信支援を目的とした、衛星ブロードバンド「スターリンク」の調達、配置調整を行いました。
石川県、市町、自衛隊、DMATで別々に収集管理していた避難所のマスターデータの構築など、被災地におけるデジタル支援に取り組まれました。
それでは江口様、よろしくお願いいたします。
こんにちは。江口と言います。よろしくお願いします。
神奈川県のデジタル政策を担当しております。
同時に防災DX官民共創協議会といって、デジタル庁と民間企業で、防災のDXについて、一緒にやっていこうという協議会を立ち上げまして、そこの専務理事をやっております。
私はただのデジタル屋さんではなくて、防災デジタル。
もともと今から7年くらい前に、電脳防災というキーワードで、色々やっていました。
最初の初陣はですね、2019年の台風15号の災害です。
千葉県庁でやったのですが、後ろに見えているこれは「ISUT(アイサット)」といいます。
情報集約基盤を作ったのですが、そこに、ちょっと同じような格好していますけれど、ここにいましたというのですね、2019年くらいからずっとやっています。
ちなみに、ダイヤモンドプリンセス号にもいました。
最初に阿南先生と出会ったのは、多分、船の中です。
中にiPhoneを持ち込んで、中にいた乗客とですね、DMATの人たちを繋ぐなどというサポートをしていました。
クラスター班という、「8割おじさん」という人もいましたけれど、この人たちとデジタルデータでコロナウイルスを追いかけるみたいなこともやっていました。
今回は能登のお話です。ちょっと振り返りですけれども、1月1日、皆さん何をしていましたか。
普通に家でくつろいだりしていたと思うのですが、16時10分ですね、震源地が能登の先端部ですけれど、南北に150kmの破壊が40秒間続いて、震度7ということですね。
これはガルという揺れ幅で、揺れの強さで言うと、2800でした。
関東大震災が大体300から400ぐらい、東日本で大体2900ぐらいなので、結構大きい破壊が起きた地震になります。
実際に発災からですね、一か月後、輪島市の門前というところの写真です。
あまり当時、メディアも含めて入っていなかったところですけれども、おそらく今回、能登で一番揺れたであろうというポイントです。
見ていただければ分かるとおり、壊滅していますね。家という家が。
一か所だけ残っているじゃないですか。これ何だと思いますか。
耐震補強していました。単純。これだけです。
やはり、こう古い家、普通の家もありましたが、軒並みずれています。
耐震補強をしているというのは、すごく重要ですという話です。
もう一つの振り返りとしてはですね、倒壊とか津波とか液状化とか火災とか土砂崩れとか隆起とかですね、地震が起きるとこういうことが起きますよということ、それに伴って、停電が起きたりとか通信の途絶だったりとか孤立ができたりとか、水が止まったりとか、寒いですよね、雪とかありますよね、あと生活苦ありますよねという、教科書に書いてある、災害が起きるとこういうことが起きますよということが、全部起きたのが能登半島地震です。
特に私はデジタルなので、外部から派遣されて向こうで何かサポートするとなると、最初に思いつくのは、通信途絶ですね。
デジタルをやるのも、先ほど阿南先生の話にもありましたけれども、通信が止まったらデジタルも何も関係ないです。
ですので、通信ということで、最初にやったことが「スターリンク」。
多分、僕が一番早く能登に辿り着いたと思いますが、総勢20台、僕たちが持っていたスターリンクを、現場に持って行きました。
実際にどんな感じかというと、これが実際に設置したときの写真ですけれど、これです。
お手元に、A4の紙があると思いますが、それくらいです。
こういうものを現場に持っていって、スマホでリンクさせると、勝手に向きが変わって、衛星を捕捉してくれるというだけですけれど、電源さえ入れればいいんです。
箱もこんなものですね。
うちの研究員のおじちゃんが二人、「デジタルのデの字も分かりません」みたいな人が行っても、10分ぐらいで設置できます。
皆さんでも使えると思います。こういうのを持って行くのですが、問題はあと電源ですね。
電源が当時ありませんでした。能登も。
僕たちが考えたのは、こういう車に、最近のハイブリッドとか、電源が付いている車があるじゃないですか。
あれを借りて、それにスターリンクを乗せて現場まで行くと、一週間くらい発電機しながら、そのまま置いておくことができます。
これも新しく車を買うのではなくて、トヨタや日産のディーラーへ行くと、試乗車というものがありますので、地震が起きている現場では、試乗をしに来るお客さんはいないので、そこから借りて、持っていくみたいなこともやっていました。
僕たち神奈川もそうですし、民間のDXや防災DXをやっている人間が必ず考えているのはこれです。
これ、黒岩さんに言われているのですが、「当事者目線の防災DX」、これが重要です。
なので、これからお話しすることは全部、これ目線で作っていきましたという話です。
能登でやったことは三つ。我々が神奈川として派遣されて、能登へ支援しに行って、作ってきたのは三つです。
一つは避難所の場所の確認。情報をちゃんと定めること。
次、避難者というものに定義をつけて、情報を取ること。
それに基づいて、ニーズに基づいた支援をしていくと、この三段階をやってきました。
特に避難所。能登の場合はですね、避難所に直接行くことができず、道路が遮断されていたということもあるので、なかなか行けなかったんですね。
なので、自分たちで集まって、色々なところに散在している避難所がいっぱい出てきました。
これを一つひとつ、やはり確認していかなければいけない。
これも現場は結構大混乱で、行政が持っている避難所、ここに避難所ありますよねというデータと、阿南先生たちが医療で入っていって見つけ出した避難所、同じなのか違うのか分からないですけれども、数が全然違うんですね。発見しているのが。
DMATが300個くらいあると言っていて、行政は200個くらいだと言っている。
この100個の差はなんだ、みたいな。
こういう不整合があると、物を届けるとかサポートしに行くのも、結局、どこに行けばいいのか、または、行ったけれど、実際はもう少し、みんなが見ていなかったところに、まだあるかもしれないという、これを探し出すというのを、ちゃんとデータとして作らなければいけない。
今度は場所があったら、そこに人がいるので、その人が、どういう人がそこにいるのか。
何人いるかとか、面で、群れで数えるのではなくて、その人は高校生なの、男性なの、女性なの、年齢どのくらいの人たちなのって、ちゃんとリストを作らなければいけない。
この二つを作ってきました。
で、こんな感じですね。医療の人とか内閣府とか民間とかですね、防災科研とか地元行政とかですね、ちゃんとデータを集めて、データを持っている人たちが、ちゃんと一つのパソコンに、全部データを入れていくような仕組みというのをすぐさま作っていきました。
これは実際に作った画面ですけれども、このようにどこに避難所があります、この南側は二次避難と言われているところですけれども、そこに、どこに避難所がありますよ、直近作られた避難所はどうですよ、その避難者の数、避難所の数、それぞれの避難所の中で、アセスメントと言って、そこで色々な不具合が起きていないかを全部チェックするのですが、その不具合のリストで、不具合がちゃんと多い避難所って、いわゆる危ない避難所はどこですよ、というのも全部可視化されるようなシステムを作りました。
一個一個クリックすると、その先にいる避難者の方が、どういう人がいるよというのが、全部追えるようにしました。
これをなぜやったかというと、端的に言うとこれですね。
さっき阿南先生からもありましたけれど、災害関連死をゼロにするという目標を持っています。
我々、被災者目線のDXというのが言われていますけれども、そのKPI、KGIというのが何かというと、ゴールが何かというと、災害関連死をゼロにすることです。
そのためにやらなければいけないのは、今どんな人が、今どこにどんな状況にあって、誰によってサポートされているのか、また、そのサポートされている人はどういう支援が必要なのかということ、これを全部可視化することです。
かつ、災害関連死ゼロにするというのは、災害関連死をされる方はですね、行政、または周りのコミュニティからちょっと外れたところにいたり、行政がサポートしているエリアにいるけれど、なぜか行政の手からこぼれ落ちたりしている人です。
こういう人をなくすために、全ての情報をこれに合わせて作っていくということをやっていきました。
能登の被災者は、12万6000人いますけれども、その人たち全員分の台帳を作って、それぞれ罹災証明を受けているのか、給付金を受けているのか、何らかの手続がされているのか、されていない人は誰なのかというのをちゃんと見られるようなシステムを作っていました。
一つ関連して、避難所のDXも進めました。
今回の能登でも避難所へ入ってもらうときに、名前を書いてもらって、その代わりにSuicaカードをお渡して、そのSuicaカードを使って、皆さん、改札でピッとやるような、ああいうかたちで、避難所へ入ってきてもらったときにタッチしてもらって、物を受け取ったり、お風呂に入ったりというときにタッチしてもらうと、その方がいつ避難所に来られて、または一回目に入った避難所と違う避難所に移動されたとしても、全部追跡できるようにしました。
これで、誰も取り残されないようにしようとしたのですが、それの前哨となるものを去年の10月23日にたまたま小田原で、神奈川とデジタル庁で、一回、実証実験をしました。
こういう実証実験がなくて、訓練がなければ、能登では使えなかったのですが、たまたまやっていたので、これを援用して能登で使うことができました。
能登をベースにして、能登の経験を踏まえて、また今度、今年の2月ですね、
今度、横浜で、ちょっと知事にも来ていただきましたけれど、デジタル庁と内閣府と我々、防災科研と神奈川で、能登を契機として、マイナンバーカードやSuicaカードとか、あと、運転免許証などでチェックインができて、このチェックインされた情報というのは、すみやかに各行政組織にデータが飛んでいって、きちんとその把握ができる仕組みというのを作っていきました。
これは、今年度中には、本番環境で動く予定になっています。
このように色々やってきましたけれども、能登ではちょっとできなかったことも、多々ありますけれども、今やれることはやり尽くして、力をつけて、決して諦めないで、DXを進めていこうということで我々は進んでおります。
私からは以上になります。ありがとうございます。
江口様ありがとうございました。
これより意見交換となりますが、その前に舞台転換を行います。
ここで意見交換時において、お願いがございます。
ご発言は挙手の上、知事の指名を受けた方にお願いします。
円滑な運営のため、本日のテーマと異なる趣旨のご発言はご遠慮くださいますようお願いいたします。
また、なるべく多くの方にご発言していただくため、恐縮ですが発言は一分以内でお願いいたします。
それでは、ここから黒岩知事に進行をお任せいたします。お願いいたします。
このページの所管所属は政策局 政策部情報公開広聴課です。