初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月10日

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お三の宮(日枝神社)(横浜市南区山王町五丁目)

キーワード:避難、火災

お三の宮(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 横浜市営地下鉄ブルーライン「吉野町駅」の西側にあるお三の宮(日枝神社)(図3.4-1)は、周辺一帯が火災により焼失しましたが、本殿周辺は奇跡的に焼け残りました25

お三の宮(図1)

 当時の横浜市の市域は、建物全潰率30%、死者数約26,600名の甚大な被害26となり、お三の宮は、隣接する日枝小学校とともに多くの罹災者の避難場所となりました。「横浜復興誌」27第1巻(25)によると9月7日時点での避難者数は3,000名とされ、掃部山公園とならび横浜では最も多くの避難者が集まった場所となりました。神社本殿の左後方裏の敷地に献樹碑があります(図3.4-2)。

お三の宮(図2)

 碑文には、1923(大正12)年は神社創立250年で祠を改築し大祭を行おうとした矢先に大震災が発生したこと、大火の中で風向きが変わり祠殿が残ったこと、人々が集まって拝殿の下で寝起きし、工場や家屋を造営して危急を逃れ、皆安堵できたこと、半年後、神徳を明らかにしあらわそうとするために楠の稚樹百株を献上しかつ記念のために石に記録したことが書かれています28
 現在の境内には、計4本の楠があります(図3.4-3)。ただし、現在(2023(令和5)年7月)の宮司の話によると、樹齢はそれぞれ200年以上とのことで、震災後に植えられた楠との関連は不明となっています。

お三の宮(図3)

 

25 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その3 県東部編)」, 2016年

26 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年

27 横浜市, 「横浜復興誌」第1巻(25), 1932年

28 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その3 県東部編)」, 2016年

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