更新日:2022年1月14日
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全国に先がけて神奈川県で開始された広域水道事業の1つである寒川浄水場のあゆみを紹介しています。
神奈川県の南部、相模湾に面する湘南地方は、名勝旧跡が多く、自然と多彩な文化に恵まれ、昔から観光地、保養所、住宅地として発展してきましたが、明治以降、東京、横浜などの躍進と交通機関の発達に伴い、逗子、鎌倉を始め、藤沢、平塚などを中心に住宅地が増える一方、工場も進出し産業地域としての性格も強くなってきました。
当時、湘南地域には民間企業による私設水道がわずかにあるのみで、大部分の地域では井戸水を飲用し、水質不良や水量不足などで保険衛生上からも憂慮される状態で、夏期の干天の際は多くの井戸水が枯渇するような窮状でした。
水道事業は、原則として市町村が経営することとなっていましたが、各市町村には地理的に付近に適当な水源地がなく、また、一町村のみの財力では事業の実施は困難でした。
そこで、県は昭和8年に給水区域を平塚町、大磯町、茅ヶ崎町、藤沢町、川口村、腰越町、鎌倉町、逗子町、葉山町及び浦賀町の9町1村に給水する事業認可を受け、全国に先がけて広域水道事業を開始しました、その中心となる水源地こそ寒川浄水場です。
【建設当時の工事写真】
寒川浄水場(第1浄水場)は昭和8年3月に工事に着手し、昭和11年4月に完成しました。当時は相模川の伏流水を取水していましたが、その後の水需要の増加に対応するために、昭和19年より相模川の表流水利用に転換しました。
戦後の復興から高度経済成長期を迎え、昭和38年12月に第2浄水場が、昭和46年7月に第3浄水場が稼働しました。なお、第1浄水場は老朽化のため昭和59年3月に廃止しています。
【昭和21年頃の写真】
寒川第1浄水場があるだけです。
まだ、取水堰や神川橋は見当たりません。
昭和8年の事業創設当初の給水人口は 約4千人でしたが、この頃には約11万人になりました。
出典:国土地理院の空中写真を加工(トリミング)
【昭和53年頃の写真】
寒川第1浄水場の創設時の浄水施設が廃止され、跡地には排水処理の施設が見えます。
また、寒川第1浄水場増設部分と、第2、第3浄水場があります。
この頃の給水人口は県水全体で196万人くらいです。
出典:国土地理院の空中写真を加工(トリミング)
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