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更新日:2021年2月5日

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神奈川県水産技術センターコラムno.48

2021年2月5日号

1 神奈川県におけるサバ漁業のこれまでとこれから(栽培推進部 中川拓朗)

2 カジメの浮遊培養(栽培推進部 相川英明)

1 神奈川県におけるサバ漁業のこれまでとこれから(栽培推進部 中川拓朗)

昨年(2020年)をもって、神奈川県における最後の「さばたもすくい漁船」が撤退しました。さば類の研究担当としては、ひとつの時代が終わったことに寂しさを感じると同時に、これから如何に漁業者の役に立つさば類の研究ができるかと意気込んでおります。
そこで今回は、そんな神奈川県におけるさば漁業がこれまでどのように変遷してきたのかを簡単にご紹介していきます。
本県における沖合さば漁業のはじまりは明治時代にまでさかのぼります。それまでサバ漁業は、相模湾内での釣りや定置網・地引網など、ごく沿岸域でしか行われていませんでしたが、明治維新が成立し、発動機や集魚灯等が急速に普及したことにより、三崎の大型船は伊豆諸島周辺の沖合域まで出漁するようになりました。明治7年には神奈川県でサバ100.3万尾(約195トン)を漁獲したという記録も残っており、マグロ・カジキ等と並んで重要な魚種として扱われていたようです。
大正に入ると、さらに動力船が増加しスパンカー(船尾に取付ける2枚組の帆)が使用されるようになったことから、夜間のサバ釣り漁業が行われるようになり、漁場も銭洲や三宅島といったより沖合の海域も開発されてきました。このころには、現代のたもすくい漁業と近い形態(伊豆諸島海域における夜間操業)が確立されていたと言えます。
昭和に入ると、これまでムロアジを漁獲していた棒受け網漁船がサバを漁獲し始めたこともありその漁獲量は急増、年間7,000トンを超えるようになりましたが、昭和14年ごろからは軍事統制が始まり、資材や燃料が不足するようになると漁船等にも徴用がかかるようになりました(昭和16年には本県の漁業指導船である2代目相模丸も徴用されています)。これにより漁獲量は大幅に減少、終戦の昭和20年には県内の漁獲量は1,218トンにまで落ち込みました。しかし、戦後の食糧難の時代を迎えると漁船の建造が盛んに行われ、新しい漁具・漁法、魚群探知機なども開発されて、サバ漁業は大きく発展します。中でも特に大きな振興をもたらしたのが「はね釣漁法」の開発で、これまでの天秤釣と比べると大幅に効率が向上することから急速に普及し、漁船の増加・大型化につながりました。この「はね釣り」は近年でも行われている漁法で、サバの群れが薄い時はより効率が良いとされています。昭和50年頃になると一部の漁船で労働力の減少が顕著になり、漁獲減少の防止策として「たもすくい漁法」が開発されます。この漁法はサバの群れが濃い時に特に有効となり、単純な漁獲効率を計算すると、効率が良いとされてきた「はね釣漁法」のおよそ7倍にもなります。
たもすくい漁法によって漁獲効率をさらに向上させたさば漁業でしたが、その直後からマサバ資源の減少により不漁が続いたことや、大中まき網漁船がサバを漁獲するようになったことによる魚価の低迷、カタクチイワシ資源の減少に伴う撒き餌の高騰、高齢化による漁業者の減少など、本県の沖合サバ漁業にとって大きな逆風が訪れます。これにより沖合サバ漁を撤退する船が続出しますが、沿岸域においては、サバは引続き定置網漁業での最重要魚種であり、一本釣り漁業においても「松輪サバ」がブランド化されるなど、その重要性が増してきました。そして、ここへ来てついに神奈川県のサバ漁業が完全に沿岸域の操業にシフトした、ということになります。
もちろん、当センターにおけるさば類の研究も沿岸域での調査にシフトしていかなければなりません。今後は標識放流による行動追跡調査をはじめ、海況条件や餌料環境を考慮した沿岸域への来遊量予測など、さまざまな観点から漁業者に貢献できる調査研究を行っていきます。将来の神奈川県のサバ漁業のために今後も精進してまいりますので、引続きよろしくお願いいたします。

※参考文献
三谷 勇(元神奈川県水産総合研究所),花戸忠夫(元千葉県水産試験場) 「サバ釣漁業の概要」 関東近海のマサバについて 総集編 2011

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図 漁業調査指導船江の島丸でのたもすくい操業
「かなさんの畑」公式Instagramで動画が見られます。
(https://www.instagram.com/p/B9BSMk4lCOg/?igshid=1ssdltve7ykir)

2 カジメの浮遊培養(栽培推進部 相川英明)

近年、全国各地の岩礁域で「磯焼け」が発生しています。まるで火事の後の焼け野原のようにカジメやアラメなどの海藻が極端に減って岩肌が露出してしまう現象で、主な原因はウニやアイゴなどの植食性動物による食害ですが、その背景には地球温暖化に伴う海洋環境の変化などが指摘されており、非常に根の深い問題です。
神奈川県でも、沿岸の磯場にはカジメやアラメ等の大型褐藻類が繁茂する海中林が形成され、様々な生物の生息場や幼稚仔のゆりかごとして欠かせぬ存在でしたが、磯焼けによりまるで砂漠のような光景に変わり果てた海域が少なくありません。こうなるとアワビやサザエ等を漁獲していた沿岸漁業者に深刻な影響を与えます。アワビ類だけで1億円以上の水揚げがあったのに、今や「ほぼ皆無」という漁協もあり、磯焼け対策は本県の水産業にとって最重要課題の一つでもあります。
そこで、今年度から水産技術センターでは磯焼け対策(藻場の復活)という壮大なプロジェクトに着手し、その一環としてカジメの種苗生産に取り組むこととなりました。
2020年10月16日に当センター前の海でカジメの母藻を採取し、これから遊走子を放出させて、カジメ石と種糸の作成を行いました。海藻は、スギやヒノキのような陸上植物とは異なり、胞子や遊走子といった目に見えないくらいの小さな粒が岩やロープに付着して育っていきます。
私は初めてカジメの生産担当となりましたので、観察用に一部の遊走子をシャーレに取って培養してみました。すると2週間後に0.2ミリの芽胞体(幼葉の元)が見られました。そして6週間後(遊走子の放出から8週間後)には5ミリほどの幼葉に成長しました。ところが、私が使用していたシャーレは底の浅いタイプのため、成長した幼葉に対しては容積が小さく、これ以上培養することが困難になりました。
そのとき、実験室にちょうどよいフラスコを見つけましたので、これで浮遊培養してみようと思いました。まず、幼葉をシャーレから取り出してフラスコへ移す作業が必要です。幼葉はシャーレに付着していますが、ダメージを与えないよう、最初はピンセットの先端に柔らかいペーパータオルを巻いてやさしく根の部分をそぎ取るようにしてみました。そして、剥がれた幼葉をピンセットでつかんでみると意外にもパリッと硬い感触があり、見た目よりも丈夫そうな印象を受けました。その後は、金属部のままのピンセットで幼葉を扱っていますが、大きなダメージはないようでフラスコの中で浮遊しながら順調に生育しています。
今回はカジメの遊走子をシャーレで培養して、幼葉が得られましたが、種糸を培養している瓶の底面にも多数の幼葉が付着していますので、今後、これらも剥がしてこの方法を試してみるつもりです。
さらに、浮遊培養を継続して数センチ以上に育ったカジメの幼葉をロープや石に付着させ、屋外池で育てた後、磯焼け海域の現場に移植して藻場の再生が可能かどうか検証していきます。その為には、より効率的な培養方法の開発だけでなく、アイゴの食害から守る方法やカジメの付着した石を海底に固定する方法なども考えていかねばならず、課題は山積みですが、潜水調査の担当者や海藻養殖に詳しい普及員とともに磯焼け対策(藻場の復活)に取り組んで参ります。

 02
11月30日 シャーレ上の約2ミリのカジメ

 03
12月25日 カジメの浮遊培養

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