更新日:2024年5月15日
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湘南地域のモデルコースをご紹介しています。
※ 本モデルコースの内容は、2018(平成30)年8月時点のものです。
※ 浮世絵は、広重『東海道五拾三次 平塚・縄手道』(国立国会図書館デジタルコレクションより)
※ 地図は、コースのポイントをわかりやすく示すための概略図です。そのため縮尺等が正確でないことがあります。
(お菊塚)
東海道五十三次の7番目の宿場町にあたる平塚宿をめぐる、今回のコース。
平塚宿の史跡をめぐる前に、まずは、平塚駅から徒歩約5分のところにある「お菊塚」に立ち寄ります。
紅谷町公園の一角にあるお菊塚は、江戸時代の怪談話『番町皿屋敷』に登場するお菊の墓跡。
ここ平塚では、「平塚宿の役人、真壁源右衛門の一人娘だったお菊は、行儀見習いに出た江戸の奉公先で無実にも関わらず非業の死を遂げ、その亡骸がこの場所に葬られた」、と伝えられています。
公園にひっそりと建つ墓跡の碑。今も賑わう故郷・平塚で、お菊は静かに眠っています。
(江戸口見附の跡)
東西に真っ直ぐ延びた旧東海道沿いの、江戸側の出入り口にあたる「江戸見附」から、京側の「京方見附」の間の約1kmにわたり広がっていた平塚宿。
近世の平塚宿は、1601(慶長6)年、徳川家康による東海道整備とともに成立した宿で、日本橋から数えて7番目の宿場にあたります。
平塚宿には、本陣、脇本陣、問屋場、高札場、旅籠などがあり、江戸時代を通して200軒を超える町並みが続いたと言われます。
古くから物資や人の交流が盛んで、八王子道や大山への道との分岐点にもあたり、交通の要として発展した平塚宿。街道沿いは、家来を引き連れた大名や荷物を運搬する人などで賑わったそうです。
お菊塚から歩くこと約5分のところにあるのが、江戸口見附の跡です。
明治初期の駐日イタリア公使のバルバラーニ伯爵が母国に持ち帰った写真をもとに復元されたという江戸口見附の跡から、平塚宿のお散歩がスタートです。
(脇本陣跡)
江戸時代の宿場には、幕府関係者や大名を泊める宿として「本陣」があり、この本陣の補助的な役目を果たしたのが、「脇本陣」と呼ばれる宿舎でした。
脇本陣には、平常時には庶民も泊まることができたそう。
平塚宿内では唯一の脇本陣が、この場所に建っていました。現在は、史跡として案内板が立っています。
(高札場跡)
高札場とは、幕府や領主による最も基本的な法令を書き記した「札」が掲示された場所で、各宿場のほか村々にも設けられていました。
この地にあった平塚宿の高札場には、平塚宿から隣り合う藤沢宿や大磯宿への公定運賃なども表示されていたそうです。
人々が高札を見上げ、あれやこれやと議論を交わした姿が目に浮かびます。
(本陣旧跡)
東海道宿場町に置かれた高級旅館で、参勤交代の大名のほか、公家、公用の幕府役人などが宿泊したのが「本陣」と呼ばれる大旅館です。
本陣、脇本陣とも、江戸時代を通じて同じ規模であったわけではないそうですが、資料に残る時期の平塚宿本陣は、建坪163坪で、座敷数が20あり、門・玄関・上段の間が取り付けられていたと言います。
(京方見附の跡)
(広重『東海道五拾三次 平塚・縄手道』国立国会図書館デジタルコレクションより)
平塚宿の西側の出入り口であった京方見附の正確な場所は、空襲やその後の区画整理により定かではないそうですが、言い伝えなどを頼りに、記念碑が建てられています。
初代歌川広重によって描かれた『東海道五拾三次 平塚・縄手道』の浮世絵もこのあたりからの眺めと言われ、背景に高麗山(こまやま)、手前に東海道の縄手道(畦道)と花水川が描かれています。高麗山の後ろには、雪を被った富士山、右には丹沢もそびえています。
(高麗山)
京方見附の跡から花水川を少し下流に行くと、高麗山がくっきりと見えました。
写真を撮ったこの日は、残念ながら富士山も丹沢も見ることができませんでしたが、昔と変わらない景色を前に、西へと急ぐかつての旅人たちと同じ場所に立っている感慨を抱くことができました。
この先の大磯宿へは、実際は平たんな道が続いていますが、ここに立つと一見、高麗山が行く手を遮るかに見えます。平塚宿の宿屋では、「あの山を越えなければ大磯へは行けないのだから、今日は泊まっておいきよ」と、旅人を引き留めたそうですよ。
(平塚の塚)
旧東海道をややそれた「平塚の塚緑地」にある、「平塚の碑」。一説では、ここが「平塚」の地名の由来の場所とされています。
江戸時代に編纂された書物に記された言い伝えによると、平安時代中期、桓武天皇の子孫に当たる平政子という方が、京都から東国に下る途中に、この地でお亡くなりになり、その柩を埋めて塚を作ったところ、塚の上が平らであったことから、里人がそれを「ひらつか」と呼び、これが地名となったのだそう。
平塚の地名の由来には諸説あるそうですが、いずれにしても、この地の歴史の古さを感じることができます。
(広重『五十三次名所圖會 藤澤 南湖の松原左り不二』神奈川県郷土資料アーカイブより)
(南湖の左富士の碑)
初代歌川広重が『五十三次名所圖會 藤澤 南湖の松原左り不二』で描いたのが、東海道五十三次の6番目の宿場町・藤沢宿と7番目の平塚宿とを結ぶ旧東海道沿い、茅ヶ崎市の鳥井戸橋交差点付近からの風景です。
旧東海道を西に歩くと、通常は道の右側に見える富士山ですが、ここは道の左側に富士山が見える、とても珍しい場所だそう。
徒歩で長い旅路を行ったかつての旅人たちも、現代の我々と同じ感覚で、こうした不思議な景色を楽しんでいたなんて、何だか親近感を覚えます。
企画調整部 商工観光課
電話 0463-22-9268
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