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更新日:2022年8月23日
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今号のメイン記事は、デフリンピック(きこえない選手のための国際的なスポーツ大会)のマウンテンバイク女子において、3大会連続でメダルを獲得した早瀨久美選手へのインタビューです。ぜひご覧ください。
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早瀨久美(はやせくみ)選手
<第24回夏季デフリンピック競技大会マウンテンバイク女子日本代表>
早瀨久美選手
聴覚障がい者として日本で初めて薬剤師免許を取得し、現在、昭和大学病院で薬剤師として勤務。スポーツファーマシスト(最新のアンチ・ドーピングに関する知識を持った薬剤師)として2009年からデフリンピックに携わり、自身も選手として大会出場を目指すことを決意。趣味であった自転車に本格的に取り組み、マウンテンバイク女子日本代表としてデフリンピック出場を果たし、2013年ブルガリア大会銅メダル、2017年トルコ大会銅メダル、2021年ブラジル大会では銀メダルを獲得。3大会連続のメダル獲得は、デフリンピック自転車競技98年の歴史で初の快挙。2013年、2017年、2022年東京都民スポーツ大賞、2017年、2022年横浜市スポーツ栄誉賞受賞。横浜市在住。
「デフリンピック」とは私たち聴覚障がい者アスリートにとってのオリンピックで、4年に1度開催される世界最高峰のスポーツの祭典です。今年の5月1日~5月15日にブラジルのカシアス・ド・スル市で第24回夏季デフリンピック競技大会が開催されました。73カ国、2,408名の選手が集まり、日本選手団149名(選手95名)が派遣されました。
私が初めてデフリンピックに関わったのは2009年開催の第21回台湾・台北大会です。選手としてではなくスポーツファーマシストとして日本選手団の医薬品の手配と管理を担当しました。スポーツファーマシストとは、最新のアンチ・ドーピングに関する知識を持つ認定薬剤師のことで、私自身も夏と冬のデフリンピック日本選手団のメディカルスタッフとして、今まで8大会に関わってきました。
日本選手団メディカルスタッフ携行医薬品のチェックと用意をはじめ日本代表選手の使用薬物相談や使用薬物チェックなどアンチ・ドーピングの専門家としてデフリンピックを下から支えてきました。当初、その私がまさか日本代表選手として、この最高の舞台に立つことになるとは、夢にも思いませんでした。ただ、台北大会で初めてデフリンピックに生で触れ、オリンピックと同等の規模で開催されるそのスケールの大きさに驚愕したことは、今でも鮮明に覚えています。
こんな私が選手を目指したきっかけですが、実は主人※も台北大会に日本代表として出場した教え子の応援に来ていました。彼もデフリンピックに心を奪われたのか、突然「自分も出たい」と言い出したのです。そして、以前から趣味としていた自転車競技で、デフリンピックを目指すことになった主人を応援しているうちに、気がついたら自分も自転車競技の魅力(何より自分の脚だけの力で真正面から風を切るその爽快感)にすっかりはまってしまい、主人と共にデフリンピックへの出場を決意しました。
早瀨久美憲太郎ご夫妻
※早瀨憲太郎:聴覚障がい者として横浜市内で聴覚障がい者向けの学習塾を経営。映画監督、映像作家。デフアスリート(デフリンピック2013年ブルガリア大会から3大会連続、自転車競技に出場)。
自転車競技は、1924年フランスでデフリンピックが初開催された時からあるのですが、マウンテンバイク女子が導入されたのは2013年開催の第22回ブルガリア・ソフィア大会からです。マウンテンバイク女子が採用された記念すべき最初の大会に日本代表選手として出場することができました。そしてなんと銅メダルを獲得し、続く2017年開催の第23回トルコ・サムスン大会でも銅メダルを獲得し2大会連続メダル獲得を達成しました。
ですので、今大会は98年間の歴史の中で自転車競技初となる3大会連続メダル獲得がかかっていました。そして、選手であると同時に日本選手団を薬剤師としてサポートするメディカルスタッフの一員でもあり、大きなプレッシャーと責任感をひしひしと感じる大会でもありました。
1周4.5kmを女子は4周(18km)をおよそ90分で走る設定のコースで、2km近い登りがあり尖った石が多くパワーと同時に正確なラインが求められるコースでした。
今大会のマウンテンバイク女子は3回目の開催にして8カ国(ベネズエラ・ウクライナ・スロバキア・ポーランド・ギリシャ・キューバ・ブラジル・日本)12名と過去最多の参加がありました。その中には、一般選手が参加するUCIマウンテンバイクワールドカップに出場し、世界を相手に戦っている23歳のウクライナの選手をはじめ、ポーランドやベネズエラ、ギリシャ、スロバキアなどにもメダル候補の選手も多く、レベルの高い争いが期待されていました。
トルコ大会後から5年間日本代表ナショナルチームの小笠原崇裕代表監督の指導のもと、徹底的にテクニックとそれを支えるフィジカルを磨いてきました。また下り特化の内嶋亮コーチから、下りのテクニックを丁寧に学び、ロード特化のレバンテフジ静岡・佐野淳哉コーチからも、フィジカル面や走行テクニックなどを学び、このブラジル大会に向けて万全の準備で挑むことができました。
しかし今年2月末、下り特化の練習中に転倒し、背骨を骨折する怪我をしてしまい、絶望を感じる毎日を送りました。その間、チームの仲間やスタッフ、監督やコーチたち、そして2017年トルコ大会の日本選手団帯同チームドクターだった立石智彦先生の支えのお陰で、何とかギリギリでスタートラインに立つことができ、もうそれだけで胸がいっぱいでした。
そして現地入りしてからも、小笠原監督のアドバイスにより、チームメイトの男子選手と二人でほぼ毎日コースを走りました。前半は毎日雨で、特に大雨の中で何度もラインを試し、使用するタイヤをいろいろ試したり、空気圧も細かく調整したりしながら繰り返しテストを重ねました。おそらく、全選手の中でこのコースを最も多く走り、最も熟知していたのは日本だったと思います。雨の時のライン、晴れの時のライン、レース展開に応じたラインなどありとあらゆるパターンを試してきたからこそ自信を持ってスタートすることができました。
先ほどお話ししたメダル候補のウクライナの選手は、今大会がデフリンピック初出場だったのですが、ロード競技4種目全てで金メダルを取っており、マウンテンバイクも含めて全制覇を狙っていました。力では圧倒的な差がありますが、それでも私はウクライナの選手を倒そうと全力で挑みました。日本の国内大会のコースと比べると比較的難易度は低く、パワーでぐいぐいいけますが、細かいところでのテクニックや体力を温存する技術、スピードを落とさないラインどりなどで差を縮めることができます。「絶対にミスをしない!」という強い意志を持ってスタートラインに立ちました。
また、ベネズエラの選手は2017年トルコ大会のロードレースの金メダリストで、今大会も銀メダルを取っています。マウンテンバイクには初出場ですが、非常に強い選手なので、「テクニックだけは絶対負けない!」という思いで慌てず視野に捉えながら走りました。周回コースの1.5km手前の道路から9時30分にスタート。ベネズエラの選手とキューバの選手がスタートから飛び出して後続を切り離そうとしましたが、ウクライナの選手とポーランドの選手が集団から抜け出して追いつきました。
ベネズエラの選手は1周目の下りでの転倒で大きく遅れ、ウクライナの選手が集団から1分近く差をつけて1位で2周目に入りました。30秒差の2位でポーランドの選手があとを追いました。私は後続の集団から抜け出して3位で2周目に入りましたが、その20秒後にスロバキアの選手、さらに15秒後にギリシャの選手が私の後を追ってきました。
ウクライナの選手が、2分以上差を広げ独走で3周目に入り、ポーランドの選手は転倒で脚に怪我を負い流血しながら2位、私は3位で3周目に入りましたが20秒差でギリシャの選手が近づいてきました。走っている途中は極限状態でしたが、なぜか笑顔になっている自分に気が付きました。世界各国の女子選手たちとこうして競い合えていることが嬉しく、同じ女性アスリートとしてリスペクトする思いが溢れてきたからです。
3周目の下りで、先頭を走っていたウクライナの選手が激しく転倒し脚から流血、チェーンが外れてしまいバイクを押してピットに向かっていきました。その間にポーランドの選手が抜いて1位で最終周回に入りました。その直後にピットの200m手前の登りでバイクをうまく押せなかったウクライナの選手の元へウクライナのピットクルーが駆けつけて、その場でバイクを直して復帰しました。その行為がピット外ということで反則となりウクライナの選手は失格となってしまいました。
私の後ろを走っていたギリシャの選手は登りが強く何度も追いつかれそうになりました。でも下りは私のほうが早いと確信していたので、上りでは頑張らずにあえて80パーセントに抑えました。上りで追いつかれても気にしないように自分のペースを保ち、下りで確実に引き離すようにしていきました。それでも苦しく、最後はもう自分との戦いで、ゴールが見えたときは「自分との戦いに勝つことができた!」と心が震えてしまいました。
3本の指で3位をアピールしてゴールしたのですが、チームの仲間や周りが2位だと教えてくれました。棚ぼた的な感じもありましたし、ウクライナの選手の気持ちを考えると喜ぶ気持ちがなかなか出てきませんでした。でも、それらもひっくるめてマウンテンバイクレースです。2013年のブルガリア大会では上位選手のパンクによる銅メダル、2017年のトルコ大会では女子の参加選手が少ない中での銅メダルでした。
今大会は参加国・参加選手も多く、3位のギリシャの選手と4位のスロバキアの選手とは終始競り合って、最後は己に勝つことができて満足でした。ですから銀メダルという結果を素直に受け止め、胸を張って勝ち取ったのだと思うようになりました。
私は日本選手団の中では夫に次いで2番目、女子の中では最年長でした。最長年での3大会連続メダル獲得に会場にいる多くの女性選手から「大きな励みになった」と声をかけられました。1位のポーランドの選手には「あなたはとてもキュートで心も走りも強い素敵な女性アスリートね」と言われました。
デフリンピックはオリンピックやパラリンピックと比べると女性の参加者が圧倒的に少ないです。自転車競技では男子は24カ国50人を越えるのに、女子はその5分の1程度です。それはやはり女性ということ、そして耳がきこえないということの2つの障壁が、まだまだ女性アスリートの前に立ち塞がっているからです。「あなたのことを是非自分の国に帰って伝えたい」と他国のコーチに言われて、とても光栄に感じたと共に、私の走りで世界の耳のきこえない女性アスリートの環境を少しでも良くしていくきっかけになれれば嬉しいと思いました。
私は東京2020オリンピック競技大会と東京2020パラリンピック競技大会で、自転車競技のボランティアとして活動をしました。自分は選手、スタッフの両方でデフリンピックに関わってきたからこそ、大会を裏で支える人たちあっての国際大会ということを身にしみて感じていました。さらにボランティアの活動をしたお陰で、選手としてより大きな視点でデフリンピックを感じることができました。
今回のデフリンピックは最高の仲間、最高のバイク、最高のサポート、最高の応援、最高の日本選手団、最高のボランティア、最高のスタッフでした。また、多くの支えもありました。地元の横浜市、神奈川県、そして全日本ろうあ連盟、日本自転車競技連盟、日本ろう自転車競技協会、サポート企業など全てに感謝の気持ちで一杯です。
今大会中において、日本選手団内で新型コロナウイルス感染者が発生したことから、選手の命を最優先に5月11日以降のすべての競技を棄権することになってしまいました。自分は競技に参加できたのですが、競技に参加できなかった選手のことを思うと、申し訳ない気持ちもあります。しかし、参加した選手も参加できなかった選手も、ともに日本を背負ってこのブラジルに来ることができたことを誇りに思っています。
2025年開催のデフリンピックを日本で開催するための誘致活動が、今佳境に来ています。1人の選手として、そして薬剤師として、今自分ができることに全力で取り組んでいきたいと思います。
これからも応援をどうぞよろしくお願いします。
勝又修さん
私とラグビーの関わりは、昭和48年に相模台工業高校ラグビー部に入部したときから始まりました。当時のラグビー部顧問であった松澤先生から「週休2日制で楽しいぞ!」と言われて入部したのがきっかけでした。その後、週末は、すべて練習試合が組まれていて結局休み無しの濃密な練習を経験し、その結果、国体代表や全国大会BEST8を経験することができました。
この経験は、ラグビーが持つ、仲間との絆や自己犠牲の精神、5つのコアバリューである、品位、情熱、結束、規律、尊重を体感するには十分な体験でした。いまでは、その経験を通じて相模原地域を中心に普及育成としてラグビースクール活動の支援、指導者の育成、観戦スポーツの開催を基軸に活動しています。
日本代表が決勝トーナメントに進出した2019年のラグビーワールドカップや車いすラグビー日本代表が銅メダルを獲得した東京2020パラリンピック競技大会は、いままでラグビーを知らなかった皆様も加わり、日本中がワンチームとなって盛り上がった素晴らしいスポーツイベントでした。
この結果、日本全国へラグビーを知らしめる大きな後押しになり、すでに2008年から小学校の学習指導要領にも導入されていたタグラグビー(接触プレーのないラグビー)や、各地域のラグビースクールやラグビークラブへの問い合わせが大幅に増え、それに伴い、県内はもとより全国のラグビー協会で行っている様々なラグビーイベントの参加者も大幅に増加しました。また、県内でも、お子様と保護者の皆様が一緒になってプレイできる親子ラグビー教室や主に40歳以上を対象としたマスターズラグビーイベントなどをきっかけに、観るスポーツからするスポーツへと徐々にシフトして来ています。
神奈川県には日本のトップチームであるリーグワン所属の横浜キヤノンイーグルスや三菱重工相模原ダイナボアーズ、大学や高校のトップチームの東海大学や関東学院大学、桐蔭学園などがあり、地域での普及活動にも熱心に協力しています。ラグビーは、誰でもできるスポーツです。体の大きい小さい、足が速い遅い、年齢は関係ありません。それぞれの個性を活かして皆で楽しく楕円球を巡ってプレイすることができます。ご自身の健康維持も含めできるだけ多くの皆さんにラグビーを体験していただきたいと思います。
ラグビーは大人を子供にし、子供を大人にしてくれる。そんなすてきなスポーツです。
ゴールボールは視覚に障がいのある人を対象に考えられた球技で、パラリンピックの正式種目です。東京2020パラリンピック競技大会では女子が銅メダルを獲得、男子も5位入賞と躍動しています。
競技は1チーム3人の選手が、鈴の入ったボールを転がすように投げ合って、味方ゴールを守りながら、相手ゴールにボールを入れて得点を競います。選手全員が視野や視力に差が出ないように、アイシェード(目隠し)をつけてプレイします。コートは6人制バレーボールコートと同じ広さで、ラインには触って分かるように紐が通されています。視覚以外の全ての感覚を研ぎ澄ませ、音と味方の声などを頼りにプレイします。見た目以上にスピーディーで激しい競技で、「静寂の中の格闘技」とも言われています。
Be☆Starsは2021年に設立した新しいチームです。現在、20代~40代の選手7名(視覚障がい者5名・晴眼者2名)が所属し、神奈川県内を中心に月に3回程度活動しています。チームのモットーはとにかく「楽しむ」こと。練習はいつも明るく笑いが絶えません。他都県のチームと合同練習を行うことも多く、たくさんのゴールボール仲間との交流もあります。ゴールボールは年齢や性別、視覚障がいの有無に関わらず誰でも楽しめるスポーツです。国内大会には晴眼者も出場できます。視覚に障がいがある人もない人も同じ条件でプレイできるのもゴールボールの魅力の一つです。
Be☆Starsでは一緒にプレイを楽しむ選手はもちろん、練習や選手をサポートしていただけるスタッフも随時募集しています。パラスポーツに興味がある、将来パラリンピックに出たい、日頃の運動不足を解消したい等々、きっかけはそれぞれですが一緒に楽しく汗を流しましょう。見学や体験もいつでも大歓迎です。お気軽に連絡ください!
[連絡先]代表:熊谷e-mail:bestars.kanagawa@gmail.com
[主な練習会場]神奈川県立スポーツセンター等
NPO綾瀬スポーツコミュニティは、『ここから世界へ!!』を合言葉に県央地区で唯一の子供から大人までのカテゴリーで活動する総合サッカークラブ「綾瀬フットボールクラブ(綾瀬FC)」が母体となり、2001年に誕生しました。その活動はサッカーが中心となりますが、2015年にママさんバレーボールチーム「中村」がクラブの仲間となり、諸外国のような家族ぐるみで生涯通うことのできる地域に根ざした多世代多種目型のクラブ作りを目指しています。最近では二世代でサッカーやバレーボールに参加する家族も出てきているのでクラブの活動の励みになっています。
OBの中にはFリーガーやJリーグクラブのトレーナー・Jリーグの審判として活躍する人や、指導者として綾瀬市をはじめ近隣の中学校教員や少年団のスタッフになる人などがいます。また、「中村」が県大会の常連として活躍しているのでクラブとしては本当に喜ばしい限りです。
私たちだけではなく綾瀬市内は他のスポーツ種目も盛んな土地です。しかし、それぞれの種目がどんな活動をしているかは良くわかっていません。そこでSNSなどを活用して広く情報を共有しコミュニケーションを取り合い、もっともっとクラブの仲間を増やしていき、今話題となっている部活動の地域移行に対応できるように体制を整えていきたいと思っています。
地域の皆さんの協力を得て運営を続けることができている本クラブですが、抱えている課題はやはり拠点づくり・グラウンドの確保です。公共施設を占有利用はできないので、地域の方々と連携して休耕地や遊休地などの活用ができれば地域の活性化などにつながり、スポーツを中心としたコミュニティの形成ができるものと確信しています。
これからもこのクラブに集った仲間たちと地域の皆さんと力を合わせて、夢を大きく羽ばたかせることができるように邁進していきたいと思っています。
「ねんりんピック」の愛称で親しまれている「全国健康福祉祭」は60歳以上の方々を中心としたスポーツ、文化、健康と福祉の祭典で、県内全市町村で交流大会(32種目)と協賛イベントが開催され、地域や世代を超えた交流の輪が広がります。
総合開会式や開催直前に行うイベントに出演し、かながわ大会をPRする「ねんりんピック応援大使」に榊原※郁恵さん(女優・タレント)及びラッキィ池田さん(振付師)に就任していただきました。
また、シニア世代の代表として総合開会式に出演し、式典を盛り上げる「ねんりんピック特別応援団長」に草笛光子さん(女優)、県内各地のイベントに出演し、かながわ大会をPRする「ねんりんピック広報キャラバン隊」リーダーに波戸康広さん(元サッカー日本代表)、田崎日加理さん(フリーアナウンサー)及び梅小鉢の小森麻由さん・高田紗千子さん(お笑い芸人)に就任いただき、大会を盛り上げていただきます!
※「榊」は正しくは木へんに「神」と表記します。
榊原郁恵さん
ラッキィ池田さん
草笛光子さん
県内26市町で過去最多となる32種目のスポーツ・文化の交流大会を開催します。県内7市町村は協賛イベント(スポーツ文化チャレンジ大会)を開催する予定です。県内全33市町村でかながわ大会を盛り上げていきます。
総合開会式(11月12日開催)は、全国47都道府県と20政令市の選手団など約1万人をもてなすため、知事、3政令市市長等によるモニュメント点灯セレモニーや、屋内会場ならではの照明や映像を駆使したプログラムを実施します。
大会のフィナーレを飾る総合閉会式(11月15日開催)は、大会の成果を振り返りながら、次期開催地である愛媛県へ大会旗を引継ぐ式典になります。県が誇る神奈川フィルハーモニー管弦楽団による演奏や、県にゆかりのある歌手が出演します。
大会期間中は、交流大会のほか、世代を超えて楽しめるイベントを山下公園周辺で開催します。
山下公園では、神奈川県の特産品などの販売や、観光地の紹介、神奈川県の魅力に触れる各種コーナーや、ステージイベントなどを実施します。
また、大さん橋ホールでは、スポーツ体験ゾーンとしてパラスポーツやHADO(e-Sports)などの体験ができ、横浜産貿ホールでは、未病改善ゾーンとして健康に関する測定や相談を実施します。
どなたでも楽しめるイベントとなっておりますので、ぜひご来場ください!
河村隆一さんが作詞・作曲した大会オリジナルソング「希望の輪」に合わせて、ラッキィ池田さんが振付をしたオリジナルダンスを、ねんりんピック応援大使の榊原郁恵さん、広報キャラバン隊、競技団体、地域の子どもたちなど、総勢約300名が交流大会会場や神奈川の名所を舞台に踊り、ねんりんピックをPRする動画を制作しました!ぜひご覧ください!!
大会限定ピンバッジ
大会限定ピンバッジを、公益社団法人かながわ福祉サービス振興会で販売しています。購入代金の一部がこども食堂へ寄付されます(大会終了まで購入できます)。
みんなでピンバッジを身に付けて大会を盛り上げましょう!
公益社団法人かながわ福祉サービス振興会「シニアフェスタ事務局」
☎045(640)6128
ねんりんピックハーバー
ありあけの「横濱ハーバーダブルマロン」とコラボした、「ねんりんピックハーバー」が発売されています(大会終了まで購入できます)。
購入特典には、オリジナル缶バッジがついています。ぜひお買い求めください!
大会専用ウェブサイト
随時プレゼントキャンペーン実施中!SNSをフォローしよう!
詳細はこちら!
https://www.pref.kanagawa.jp/osirase/0805/nenrin/index.html
(イベント終了に伴い、このページの公開は終了しました)
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