資料4 第4回委員会での大川委員からのご報告の概要(てらん広場) 〇社会福祉法人同愛会が設置する障害者支援施設「てらん広場」は、横浜市保土ケ谷区の畑、住宅地、団地に囲まれた丘陵地帯に位置している。てらん広場は入所施設だが、入口は、塀もなければ、門もなく、常に地域に開かれた場所となっている 〇定員は70人。開設来28年間に300人の利用者が、グループホームなど、地域の生活に移行した。終の棲家ではなく、通過して地域に戻るための場所、「通過施設」と位置付けている。利用者は20人弱のグループごとに、棟に分かれて生活しており、障害支援区分の平均は5.9。入所のとき、9割以上の人に強度行動障がいがある 実践の報告 ・てらん広場は終生保護ではなく、有期限での利用を前提としており、本人と一緒に、「なぜてらん広場に来ることになったのか」、よく話をして、これからどうしていくのか、目的を整理する。新しい人生を作ろうという職員と利用者の間での約束、これがてらん広場での意思決定支援のスタート ・強度行動障がいのある人は、自分で自分が嫌になったり、周りから駄目だと否定されて、孤立する中で、自己肯定感を持てなくなっており、元の入所施設や精神科病院などでの限られた人間関係が影響している。多くの利用者は、困らせる人に見えるが、実は困っている人。職員のサポートを受け、自分の体を意識的に使って、しっかり動き、しっかり食べて、寝る生活の中で心身の調子を取り戻していく ・大切なのは、多様な種類の仕事があること。てらん広場では、日中活動の場と生活の場を分ける「職住分離」を徹底。障がいの程度に関係なく、てらん広場に入所したその日から外の職場に出る。利用者は、必ず体験をして、合うか確かめて選ぶ。職場では、仲間と協力して、日々の納期を守り、職場の目標を達成することや、取引先から信頼されることなどを通して、利用者は自己肯定感を高めていく ・家電リサイクルの作業場では、強度行動障がいのある人がたくさん働いている。生協と法人がコラボして、宅配のチラシなどを再生する工場を一から立ち上げた。利用者の仕事ぶりが評価され、直接雇用したいという相談もあり、法人と生協との間で、職員の人事交流も行って、活躍できる事業を増やそうとアイデアを練っている ・横浜市資源循環局に提案し実現した地域に根差した活動にも取り組んでいる。高齢化率が50%を超える団地で、ごみを集積所まで出しに行けない高齢者の依頼を受け、利用者が、戸口で受け取り、処理施設まで持っていく「ふれ合い収集」。一人暮らし高齢者の安否確認の役割も果たしている。地域を歩けば、地域の人との出会いも生まれる。施設生活から地域生活への移行のキーポイントにもなっている ・てらん広場は、一つの入所施設であるが、利用者と職員の暮らしは、地域全体に広がり、多様な仕事や日中活動、地元の商店街で買い物や食事、美容院でおしゃれをし、休日にお出かけをする。てらん広場は、単独で存在しているわけではない ・てらん広場のスタートは、新しい人生を作ろうという職員と利用者の間での約束。多様な人たちに囲まれて、多様な体験の中で、自分が好きになっていく。その延長線上に、一人ひとりの望む暮らしが広がる。てらん広場の意思決定支援に終わりはない 質疑等 ・てらん広場が考えるアセスメントで大事にしていることは、@できることが増えていっているのか、A居場所が増えているのか、B関わる人が増えているのか、C本人が楽になっているのか、D意欲的になっているのか、という視点 ・入所時に、どうやって地域に戻っていくのか、てらん広場と本人だけではなく、他法人の事業所も一緒に約束をしていく。てらん広場から日中活動として他法人の事業所に通うという例は多くある ・てらん広場に入所する人は、依存先がなくなっていて、本人と関われる人がいなくなっているというのが実情。地域に戻っていくというのは、本当に関わる人が増えていく、居場所が増えていく、ということが地域移行だと考えている ・強度行動障がい等に対する専門性とは、学術的なことを学ぶのは必要だが、何よりも、常に新しい発見、新しい出会い、といったことに気づけるかどうか。利用者と、ともに喜んだり怒ったりして過ごせるのか。そういった部分が根底にないと、専門性というのは、暴力に変わるときがある。そういったマインドをしっかりと受け継ぐこと、継承することが大切だ ・地域移行した300人のうち、てらん広場に戻ってきた方は1人だけ。地域移行は、何かができたら、また本人が落ち着いたら地域移行するものではない。その人を支援する仕組みができたら、移行するというふうに考えている。その仕組みが出きたときに移行していくので、大きなミスマッチというのは生まれていない。ライフステージの変化の中で、バリアフリーが必要になってくるとか、そういったときに、また、グループを作っていく ・入所している人が、医療的なケアが必要になってしまったときは、施設で支援するよりも、地域で、訪問医療とかを使った方が手厚く支援できる。利用者の状態像の変化に速やかに対応し、グループホームも日中活動も、支援する仕組みができたときにどんどん作っていっていく。非常にガバナンスは難しい部分はあるが、利用者に合わせて広げていく ・年齢とともに、少しハードな仕事が厳しいな、となったときに、緩やかな、リハビリ的な日中活動を作ったり、また、福祉制度に乗らないようなものも、自ら作って、運営したりもしている。それは、箱が先ではなくて、それを必要としている人がいるから、作っている