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更新日:2024年11月1日

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令和6年度第1回インクルーシブ教育推進フォーラム記録

令和6年度第1回インクルーシブ教育推進フォーラムを開催しました

PDF版記録

PDFの内容は、このウェブページにある以下の内容と同じものです。

日時・会場・内容

日時 令和6年8月24日 土曜日 13時30分から16時00分まで
会場 県立総合教育センター 講堂 (藤沢市善行7-1-1)
内容 1.開会挨拶2.趣旨説明3.公開参加型ディスカッション(前半)公開参加型ディスカッション(後半)4.閉会挨拶

 1.開会挨拶

神奈川県教育委員 吉田 勝明

第1回フォーラム画像01 県教育委員会では、共生社会の実現に向けた取組として、すべての子どもが同じ場でともに学びともに育つことをめざして、インクルーシブ教育を推進しております。これまで、教育相談コーディネーターを中心とした学校づくりや高校におけるインクルーシブ教育実践推進校の取組等を重ねて参りましたが、共生社会の実現のためには、早い段階から、この取組を行う必要があるということも課題でした。そこで今年度から新たな推進策として、就学判断を行う市町村とともに、幼少期から当たり前にすべての子どもがともに過ごす環境を実現するため、海老名市をフルインクルーシブ教育推進市町村に指定し、県、市で連携した取組を推進していくこととなりました。現在、地域のすべての子どもたちが安心して、地域の小・中学校で学ぶことができるよう対話の場を開催して、まずは当事者である市民の声を聞くところから取組を開始したところです。すべての子どもが、幼少期から当たり前にともに学ぶためには、学校における学びの場の中心である、いわゆる通常の学級のあり方を見直すことが大切であると考えております。
 そこで、今回のフォーラムでは、すべての子どもが同じ場でともに学ぶためには、学級や授業のあり方をどう考えたらよいか、どのような視点を大切にしていけばよいか等について、ご登壇いただく4名の方々と、参加者全員で考えていきたいと思っています。

 


 2.趣旨説明「神奈川のインクルーシブ教育の推進」

インクルーシブ教育推進課
指導主事 程島 観

 だれもがともに学べる学校ってどんな学校だろう。皆さんがこの問いかけに答えるとしたら、どのようなことを語りますか。さらなる問いは生まれますでしょうか。生まれるとしたらどんな問いでしょうか。本県では、このようなことを考えながら、すべての子どもが当たり前に地域の学校に通い同じ場で学べる学校をめざして、インクルーシブ教育を推進しています。
第1回フォーラム画像02 神奈川県では、将来的に、すべての子どもが小学校、中学校、高等学校で学べる環境の実現をめざしています。これはすべての学校で、地域のすべての子どもが地域の学校を選べ、当たり前に全員がそこにいて、入学したすべての子どもの学びが保障されるということを追求していく取組です。学校は何を学ぶところかを考えたときに、私たちは、集団を学ぶ、つまり、互いを認識し、関係性を築きながら、ともに生きることを学び合う場であることが根底にあると考えています。それは、私たちが生きるこの社会が、多様な人と共生し、関係性の中で生きているからこそ、学校教育の場でも、ともに学び、ともに生きることは、必然性のあることだと考えているからです。一人ひとりが尊重され、自分らしく学んでいくためには、形を整えるだけでは実現しません。人は多様であることを前提に、その子に合った学びができるように、考え、行動し続けることが大切であると考えます。
 本県では、これまでもインクルーシブな学校づくりを推進する取組を重ねて参りましたが、さらなる推進に向けて、就学判断を行う市町村とともに、幼少期から当たり前にすべての子どもがともに過ごす環境を実現するため、昨年度の3月に協定を結ぶ形で、海老名市をフルインクルーシブ教育推進市町村に指定し、県・市で連携しながら、すべての子どもが同じ場で学ぶことを研究・実践していくこととしました。今年度より会議体を立ち上げ、研究課題を検討するとともに、当事者である市民の声を聞くところから取組を始めています。すべての子どもが同じ場で学ぶことを具現化していくためには、子どもは多様であること、そのすべての子どもが参加できることを念頭に置いて、学校教育を見直すことが必要だと考えています。子どもも大人も日々変容していくことを考えると、その時の子どもの姿に応じた取組を考え続けることが重要であり、そのプロセスには、どの学校でも、子どもたちが所属する最小単位である学級、いわゆる通常の学級をどのように見直していくかが鍵になると考えています。
第1回フォーラム画像03 では、子どもたちは多様であることやすべての子どもが参加できることを前提にするとはどのようなことでしょうか。まず、多様性とは、自身を含め、多様な人が存在しているという状態のことです。つまり、自分も多様性の一部である、ということです。従って、多様性を理解する、ということは、「多様な人が集まっている」という前提を理解しておくということであり、ある標準があり、それとは異なる他者を理解してあげる、受け入れていくということではないということです。多様性理解とは、その状態を理解することなので、基準や物差しがあるわけではありません。
 次に包摂性とは、人を特定の分類に分けて、ある分類の人が、ある分類の人たちを入れてあげる、入れてもらうという発想ではありません。一人の等しい学習者として、全員を大切にすることであり、従来の構造を変えずに、子どもに適合を求めることではなく、子どもたちの状況に合わせて構造をデザインしていくこと、そのすべての一人が参加できるようにしていくことが、インクルージョンであると考えます。
 そのような多様性と包摂性を意識しながら、学校を見直していくプロセスは、時に難しさを感じます。それは、1872年に学制が頒布されてから152年経ったこれまでの学校教育のよさを再認識するとともに、これまでの学校のあり方を柔軟な発想で問い直す必要があるからです。従って、丁寧にインクルーシブ教育を推進していきたいと考えています。そのためには、多くの方とこれからの学校について、また、学校の意義や、学ぶことの意味といった教育の本質について語り合いたいと思います。併せて、この取組は、教育だけにとどまらず、社会全体を考えていくことにも繋がります。教育に深く関わる特定の人たちだけで進めていくことではなく、自分自身がこの社会の中でどう動くかを考えていくことが大切です。
 そのような思いから、本年度のフォーラムはテーマを「だれもがともに学べる学校を考えよう ~みんなでつくるインクルーシブな学校~」と設定しました。そして、第1回のディスカッションテーマとして、「だれにとっても学びやすい これからの通常の学級を考える」としました。パネルディスカッションでは、どの学校においても、子どもたちが学ぶ場として存在する、いわゆる通常の学級に焦点を当て議論を進めます。子どもたちが一番多くの時間を過ごす、生活の主体となる学級では、どんな実践が行われていてどんな視点が必要だと感じるか、多様な子どもたちがいることを前提に、だれにとっても学びやすい、これからの通常の学級について、実践を語り合ったり、未来を語り合ったりしたいと思います。


 

 3.会場参加型ディスカッション(前半)

『だれにとっても学びやすい これからの通常の学級を考える』

登壇者
  • 野口 晃菜 氏(一般社団法人UNIVA理事、障害科学博士)
  • 横溝 真由美 氏(県立生田高等学校 教諭)
  • 山﨑 悠司 氏(綾瀬市立綾瀬小学校 教諭)
  • 伊藤 紀貴(インクルーシブ教育推進課 指導主事)
司会進行
  • 二宮 雄治(インクルーシブ教育推進課 グループリーダー兼指導主事)

第1回フォーラム画像04二宮:このパネルディスカッションでは、「だれにとっても学びやすい これからの通常の学級を考える」というテーマで、登壇者の方とともにディスカッションを進めます。

山﨑:私は教育相談コーディネーターを務めています。本校は神奈川県のインクルーシブ教育校内支援体制整備事業指定校になって3年が経ちます。インクルーシブ教育とは何だろうということを日々考えながら実践しています。

横溝:私は英語科教員をしています。登壇するにあたり、本校校長から「授業をつくる上で、一番大事にしているものは何か」と聞かれ、「まず生徒全員が参加して、一人一人が活躍することを一番大事にして授業をつくっている」と回答したところ、「それがインクルーシブ教育だよ。行ってきなさい。」と背中を押され、本日登壇しました。

野口:私は今、先生方とはちょっと違う立場で自治体と一緒に、学校をどうやったらよりだれもが過ごしやすい場所に変えていけるのかという取組をしています。また、企業においても、だれもが働きやすい企業について一緒に考える取組もしています。私自身、1歳の子どもを育てる親としても、このインクルージョンというものを推進していきたいと思っていますので、専門家、かつ、親としての立場も含めて今日はお話できると思っています。

伊藤:私は神奈川県教育委員会インクルーシブ教育推進課の指導主事を務めています。もともと中学校の教員です。県内の多くの市町村の取組を一緒に考えさせていただいていることも含めて今日はお話できたらと思っております。

二宮:「だれにとっても学びやすい これからの通常の学級を考える」というテーマですが、そもそも「だれにとっても学びやすい」と言われたときに、皆さんはどのようにイメージされていますか。

第1回フォーラム画像05山﨑:私が初任者のときにすごく意識していたことは、「だれにとってもわかりやすい授業をしたい」ということでした。しかし、インクルーシブ教育を考えるにつれて、「わかりやすい授業をする」とは、主人公が「学校の先生」のような意識だと思い、変えていく必要性を感じました。最近は「だれにとっても学びやすい授業」をするために、主語を子どもたちにすることが大切なのだと思っています。

横溝:「だれにとっても」ということは、「子ども全員に居心地がいいなと感じてもらえるクラス」だと思います。生徒の学級は「ホーム」でないといけないと思います。「居心地よいクラス」とは、一人一人が認められるクラス、発言する機会があるクラス、ではないかと思います。このクラスなら、自分の考えを言っても、みんながきっと受け入れてくれるという自信や安心感だと思います。

野口:だれにとっても学びやすいと考えたときに、裏を返せば、一部の子どもにとっては学びづらい学級になっているのはなぜか、というところを問う必要があると思います。
第1回フォーラム画像06 子どもに何かしらの困難が生じたとき、その原因はどこにあるのか再検討が必要だと思います。それを障害の個人モデルと社会モデルという理論を使って説明します。例えば授業中、鳥の声が聞こえてきて、その声がすごく気になって、ずっと外を見て、鳥を探している子どもがいます。その子にはいろんなところに注意が向いてしまい、刺激が気になってしまう。そんな特徴があるから、その子は授業に参加できないと捉えることが、障害の個人モデルという考え方です。つまり、何かしら困難さがあったとき、その原因は、その人の機能的な障害そのものにあるという考え方です。個人モデルの考え方では、その子に対して、鳥の声に気を取られず、授業に集中できるようにその子自身を訓練する、あるいは医療機関に行って、薬を飲んで落ち着きましょう、というアプローチになりやすいです。
 一方、インクルーシブ教育で大事な視点は、そもそも、そのような特徴がある子どもがいることを前提に、授業、活動内容、教室が設計されていないことが問題ではないかと捉えます。これが社会モデルの考え方です。社会モデルの考え方では、そういった特徴のある子どもがいることを前提に、授業のあり方、学級づくりのあり方、あるいは教室の物理的な環境も含めて見直していくというアプローチが重要になります。

二宮:社会モデルの話から、学校で授業されている中で率直に感じられたことをお聞かせください。

山﨑:子どもたちを頭に思い浮かべながら聞いていました。その子が学びやすいように、どのように環境を整えたらよいかと日々一生懸命考えて、授業をしたり、学級の環境を整えたりすることで、次の日の授業で、子どもが落ち着いていたりとか、一生懸命取り組んでいたりという姿があるので、社会モデルという考え方は、教師の腕の見せどころではないかと思いました。

横溝:いろいろな生徒がいるということを前提に置いて、教室環境や授業を整えることは、とても重要なことだと思います。私はさらに、生徒に「いろいろな生徒、友達がいる」ということを、当たり前と捉えられる心を育むことが大事かなと思います。

伊藤:私も県内の学校の授業を見せていただく中で、自分が中学校の教員の時に、「どのように教えたらいいか」ということばかりを考えていたなと気づかされる日々です。「どう教えていくか」とともに、「子どもがどう学ぶか」を、常に考えていかないといけないと感じています。その環境を整えるといっても、今日学びやすかった環境ややり方が、明日も同じ環境でいいかとなると、違ってくるのだと思います。学んでいるのは子どもで、日々成長したり変容したりするので、決まったやり方をずっと続けるというよりは、このとき一番良い環境は何かということを考え続けていくことが必要なのかなと感じています。

二宮:「通常の学級を見直す」とは、まず何をすることなのだろうかを議論していきたいと思います。

横溝:私は生徒全員が活躍する授業をめざして、授業や学級経営を考えています。今の時代、インターネットやAIが開発され、YouTubeなどの動画を見ることができて、新しい知識を得ることはとても簡単な時代になりました。したがって、教師が知っている知識をわかりやすく、整理して伝えるという役割は、少しずつ、縮小しているのではないかと思います。もちろん、生徒に知識を与えるという役割は重要ではありますが、私は教師の役割として、3つ大切にしたいことがあります。
第1回フォーラム画像07 1つは、「学びを支えるサポーター」でありたいということです。それは、何を教え込むかではなく、生徒の学びに寄り添うことです。そのために教室環境を整えたり、授業の工夫をしたり、個別の配慮が必要であれば、チームティーチングを行ったり、生徒がともに学ぶために必要なことをそろえるというイメージです。2つめに、生徒にどう考えさせるかが重要だと思うので、「考える種を与える提供者」でありたいと思っています。3つめは、生徒の「良いところを見つける発見者」でありたいということです。生徒と過ごす時間が一番長い授業の中で、学力以外の生徒のいいところをどんどん見つけていく、そんな発見者でありたいと思っています。

二宮:今お話された内容は、教員生活の中でだんだん変容してきたものですか。それとも最初からの思いだったのですか。

第1回フォーラム画像08横溝:根本的なところは変わりませんが、印象的なエピソードがあります。以前担当したクラスにとても気になる生徒がいて、私はいつもその生徒の周りにいました。卒業式の日、その生徒から「俺、先生のこと、嫌だったんだよね」と言われました。「写真を撮ってほしい」と、私のところに来てくれたので、好いてくれていると思っていただけに、とてもショックでした。しかし続けて、「でも、学校は好き。先生のクラスは好きだし、授業は好きだった。授業では、俺の話をみんな聞いてくれる。だから授業は楽しかったんだよね」と言いました。そんなエピソードから、「自分が認められた」、「話を聞いてもらえる」、ということが学校生活を輝かせる要素なのだなと思い、このスタイルを今でも大事にしています。

野口:今の学校は、障害のない子どもにとっての学びやすさを考えられてつくられていると思います。さらに言うと、障害だけではなく、学校における文化や規範といったものに「乗れる子ども」が中心になっているということです。
第1回フォーラム画像09 その中の1つが、「学力」だと思います。例えば、英語という教科であれば、英語がどれだけできるかというところが、学校において大きな物差しになっていると思います。その物差しにおいて、うまくいかない子ども、他の子どもと同じように学ぶことが難しい子どもに関しては、障壁が生じていると言えます。教科の英語がどれぐらいできるかで、子どもをある意味評価しなければならないことが、障壁になっていたと思います。しかし、横溝先生は、英語の力以外の部分でいいところを見つけると仰っていました。そこがとても重要なポイントの1つだと思います。英語ができることだけをめざすのであれば、学校以外の場所でもいいわけです。趣旨説明の話にもつながりますが、そもそも学校は何のためにあるのかということを考えることが大切なのだと思います。
 学校でこれまで当たり前とされてきた「できる、できない」の基準が子どもたちに染みついています。『できる』子は「偉い」、「価値がある」と思っているし、できない子は、「そうではない」と思わざるを得ない状況に置かれていると思います。それは大人も同様です。横溝先生の実践の中では、英語力を上げることだけが目的ではないということを、授業の中で先生が体現しているので、その子にとっては障壁が取り除かれた状態だったのではないかと思います。そういう点において非常にインクルーシブな実践をされていると感じました。

横溝:その通りです。授業に英語力を測るような活動だけではなく、それ以外の良いところ、得意なことを発見できるような、英語以外の尺度を持ち込むことが大事だと感じています。

野口:通常の学級を見直すことの1つの考え方としては、いわゆる学力的なもの以外の物差しをたくさん持っているということではないでしょうか。様々な物差しで子どもを見ていく、声をかけていくことで、子どもたちも様々な物差しが、自分の中にできていくと思います。

第1回フォーラム画像10伊藤:自分の授業観や教育観を変えていくことは、簡単なことではないという実感があります。野口さんの話の中にあった社会的障壁に気づいていくことは、自分はこれまでできなかったし、今もできていないと思っています。したがって、今話題になったように、様々な物差しを持って「一人ひとりが対等な教育の参加者」と捉えられるかということや、自分にもあるかもしれない偏見や固定観念に気づいていくことが、とても難しい部分なのかなと思っています。「通常の学級を見直すとは何をすることだろう」の1つの考えとしては、そういった自分の価値観、教育観を見直していくことかなと思います。

二宮:今、会場やオンラインの皆さんから、いろいろと意見が寄せられています。まず「通常の学級」という呼び方を見直すべきではないか、先生方の意識を変えること、また主体は子どもであるということを認知することからスタートすることではないか、という意見をいただいています。いかがでしょうか。

山﨑:その通りだと思います。本校でも、インクルーシブ教育を推進する1丁目1番地として捉えているのは、子どもの実態をしっかり把握することです。しかし、難しさもあります。例えば小学校だと1人の担任の先生が、1人でその子どもたちを把握することはとても難しいと思います。よって、その子に関わる教職員全員で、得意なところ、つまずきがあるところを把握することで、通常の学級のあり方を変えていく道筋が見えるのではないかと思っています。
 学校の先生たちは日々、子どもたちのために本当に一生懸命やっています。その一生懸命が、その子どもたちの実態に本当に合っているのかというところを見直すことが大事だと思います。それは1人ではできないと感じます。隣のクラスの先生に授業を見に来てもらったり、管理職の先生に授業を見てもらったりして、子どもたちの様子を共有することで、見直すことができると感じています。

二宮:フロアからは、人員を増やすとか担任1人ではやはり対応は難しいというご意見もありましたので、それに繋がる意見だと思います。

山﨑:そういう意見が上がっているということは、いろいろな小学校の先生たちが大変さを感じ、やりたいけどできない、と思っているということだと思います。私は6年生の授業を担当していますが、大切にしているのは、授業でうまくいかなかったことも周りの職員に伝えるということです。うまくいかなかった授業を人に話すのは勇気がいりますが、そうすることで、いろいろな先生方の繋がりを意識できることは大切だと思います。

野口:私も1人では無理だと思います。なぜなら人は絶対偏った見方をするからです。例えば、公共施設のトイレの水洗は、現在、センサー式が多いです。センサーで流すのは衛生的だから良いと思われる方も多いかもしれませんが、私の全盲の友人は、大変使い辛いのだそうです。センサーの位置がトイレによってバラバラだからです。そのため、毎回センサーを探さねばならず、トイレでスムーズに流せないそうです。それは、視覚障害のない人を中心に、そのトイレが設計されたからであり、そういう社会的障壁が生じているということです。
 自分が当事者でないと、そこに社会的障壁があるということに気づきません。トイレを作った人も、視覚障害の方を排除してやろうという思いで作ったわけではなく、便利だからと思って作ったら、結果として、人を排除しているということです。そういうことは学校でも起きています。
第1回フォーラム画像11 大切なことは、気づかないうちに、インクルーシブではない状況をつくってしまっているということを、まず知る。自分だけは気づけないということを踏まえて、何が障壁になっているのかというのを子どもに聞くことだと思います。私自身、ありとあらゆる社会的障壁は知りません。しかし、知らないということは、知っていますし、知ろうとし続けることが一番大切です。だからこそ子どもに聞いてほしいのです。
 子どもたちは大きくなって、いろいろな職業に就き、その中でたくさんの人と関わるわけです。そのときに、子どもたちも、さまざまな社会的障壁があるということを知らないといけないと感じます。それなのに、そもそも多様な人と出会う機会がなかったら、どうでしょうか。そう考えると、関わる大人が多様であればあるほどさまざまな障壁に気づくことができ、インクルーシブ教育に繋がっていきます。
 一人で関わるということは危険だと思います。多くの人が関わり、多様な視点で子どもを見て、この子にとって障壁は何かということを一緒に考えていくことが大切だと思います。

山﨑:子どもに対して先生がどういう姿を見せるのかは、子どもにも伝わると思います。今のトイレのセンサーの話を学校に置き換えたとき、今日の授業はどうだったか、どうやったら過ごしやすいかを、子どもに直接聞くという姿を見せることがとても大切だと思います。

横溝:私は授業づくりで、何回も子どもの顔を思い浮かべて、シミュレーションをするようになりました。授業に落とし込んだときにどんな障壁があるかというシミュレーションを何回もする大事さを、もう一度ここで確認できました。

二宮:オンライン参加の方からは、「みんなで同じことをすること、100点を取ること、席を立たないこと、先生の言うことを聞き入れること、という学校において大事だとされてきた概念を見直して欲しい」という意見があります。会場の皆さんも、ぜひご発言ください。

会場:私がある子との関わりを通して思ったのは、教室主義から脱却するということが必要ということです。その子にとって、教室は先生を頂点にした管理的なところで、そこにはいられなくて私のところで勉強していました。学校のあるべき姿を求めることを、そろそろやめないといけないのだと思います。学校全体を教室として、学校のどこにいて勉強してもいい、としていかなければならないのだと思います。学習の場はどこでもいいですが、そういうことを見てくれる人がいれば、すごくいいなと思います。いろいろな人の手や目や気持ちで、教室を変革していけると良いなと思いました。

会場:神奈川県の推進が非常に進んでいるということで群馬県から参りました。私は短大で栄養士と栄養教諭を養成しています。いろいろな科目の中でインクルーシブが話題の中心になってきています。視点が変わりますが、食に関する指導や、小学校の給食の時間の中で、児童の良さを見つけられる部分があれば、聞かせてください。

会場:小学校の特別支援学級教員です。本来教員がやるべき仕事の精選をしてほしいと思います。本日勉強をさせていただいている内容はとても素晴らしいですし、こういった考えが広がるといいと思っています。ただ、直接子どもたちに対して使うべき先生方のエネルギーが、別の事務的なことに取られている現状があると思います。こういった意見に対し、何かしらのアクションを起こしてほしいと思います。

第1回フォーラム画像12山﨑:実態として、教室中心の考えはすごく根づいていると感じます。学ぶ場所を柔軟にしていきたいですが、周りの先生や地域の方からはどう思われるのだろうか、と気になってしまう先生もいることは事実だと思います。
 給食については、指導する先生の考え方によって変わるのかもしれませんが、私はちょっと苦手だけれども自分の分はこれだけは頑張って食べようかなと自分で目標を決めているクラスもあります。食べられる分だけでいいよ、とか、一口は食べようねというクラスももちろん多くあります。どのクラスも強制はさせていないというところがよいのだと思います。

野口:いただいた意見のように、学校現場の先生としてできることはどこなのか、自治体や国がやるべきことはどこなのかという整理は、とても重要だと思います。
子どもたちにとっての社会的障壁は子どもたちに聞くのと同じように、学校現場の先生たちにとっての社会的障壁は先生たちの声を聞いた上で、制度を作っていくということが重要だと思います。子どもたちに接するように、先生たち同士も接することができるととてもいいと思います。子どもたちを抑圧するなと言いながら先生たちが抑圧されている状況だと、インクルーシブは実現できません。したがって、先生たちが抑圧されている状況を改善していくことが、インクルーシブに繋がっていくと思います。
 だからといって今先生が何もしないでいいのかというと、そうではなく、今、学校でできる最大限はやりつつ、一方で、障壁については改善してほしいという声をあげていく必要があると思います。私自身もしっかりと現場の先生たちの声を届けていく必要があるなと改めて感じました。


 会場参加型ディスカッション(後半)

二宮:後半は、通常の学級の見直しを進めるために具体的に何をしていくかについて、ご意見をいただきたいと思います。

第1回フォーラム画像13山﨑:私が授業を考えていく中で意識しているのは、子どもの実態をしっかり把握することです。そして子どもたち自身が「選べる」という環境を大事にしています。
子どもの実態を把握するために、子どもにアンケートを実施し、分析しています。子どもが授業に対してどう思っているのかを捉えて授業をしています。子どもに直接聞くこともあります。

伊藤:教員だけで授業をデザインするのではなく、子どもと一緒につくっていくというスタイルですね。4月の最初にすでに完成形の授業があるというよりも、時が経つにつれて、子どもたちの様子がだんだんわかってくるので、目の前の学級の子どもたちと、一緒に授業をつくっていくという感覚でしょうか。

山﨑:子どもと一緒に授業をつくることは私も意識しています。学級にはいろいろな子どもがいるので、自分で学び方を決めたり調整したりするために選択肢を用意しています。例えば、学んだことをまとめていく中で、ノートだけでなく、いろいろなパターンやサイズの新聞形式の枠を用意したり、パソコンが得意な子のために、プレゼンテーションソフトの使用を認めたりして、まとめ方を選択できるようにします。
 別の例では、教科書のグラフをノートに書きたいけれど苦手という子のために、グラフなどの資料を印刷しておき、ノートに貼っても良いとしています。グラフを書くことが目的ではなく、そのグラフを読み取り何に気づいたかを考えることが大事だと思います。
また、今日勉強したことを友達に伝える方法として、クイズを作ってみる子もいます。その子は、一生懸命学んだことをクイズに書いて、友達に伝えようとしていました。
 学ぶ相手も選択可能にしています。1人でやってもいいし、友達とやってもいいし、グループを作ってやってもいいし、机を動かしても構いません。
 いつもこのような授業の仕方をしているわけではありませんが、子どもたちが選択できる授業を意識しています。

第1回フォーラム画像14横溝:高校での英語の学習のリーディングの活動をご紹介します。ある授業では、4つのトピックを読むことが目的でしたが、1つのトピックにつき、2つのレベルを用意しました。内容は全く同じですが、どちらで挑戦したいかは生徒が選びます。
 併せて授業の中に、英語力以外の力も発見できるような活動を入れています。4人1グループになり、ボールを持っている子がお題を1つクリアすると隣の子に渡していきます。このお題はもちろん授業に即したものやメインの活動に繋がるものでありますが、お互いを知ることにつながり、グループ内で褒め合うような声が聞こえてきました。そうすると、クラス全体がすごく元気で楽しい雰囲気になっていきます。
 私の授業では、全員に参加してもらうことが目標です。したがって、全員が英文を読むことを自分事にするため、英文を読む目的を明確にします。例えばグループリテリング活動(読み取ったメッセージを、自分の言葉で他者に伝えることを目標とした活動)では、自分が担当したトピックは、他の3人は読むことができないので、英文を読むことを自分が頑張らないと、他の3人はトピックについては知ることができません。自分がやるしかないので、生徒全員がいつの間にか参加しているという状況です。目標は、「正しく読めること」ではないと何度も生徒に言います。読み取ったことを自分の言葉でまとめ、伝えることが目的だから、間違いを恐れなくていいと伝えます。最初からうまくできる必要はありません。わからないところは友達や先生に聞いたり、自分で調べたりすればいいのです。大事なのは、到達点は人それぞれでいいということです。
 生徒は試行錯誤をしながら自分で読んで、自分なりの英語でまとめ始めます。生徒はその後、振り返りシートを記入します。そこでは、レッスンの最初と最後で比較して、自分ができるようになったことを確認します。ここで何度も言うのは、他人と比べないことです。自分自身が成長したことを大切にしようと伝えています。そして私は、生徒が提出した動画やハンドアウト(配付資料)などで到達度を把握し、一人ひとりにフィードバックをします。それを次回の授業に取り入れるようにしています。

二宮:教材を作っていく時間や、授業を考える時間をどのように工夫しているのですか。

横溝:すべてを自力で作るのは難しいです。したがって、英語教員同士でアドバイスをし合ったり、校内の授業データを教員同士が自由に閲覧できるようにしたりしています。

二宮:ではフロアの皆様からお声をいただきたいと思います。

会場:私は、そもそも学ぶということは何なのかを見直してみることが必要だと思います。学習指導要領というものに捉われない、学びをもっとふんわりとしたものとして捉えるような学びの見直しが必要だと思います。

会場:今日登壇の先生方の授業を自分の地域の小学校でやってくれたらいいなと思いました。そこで、考えたいのは保護者の姿です。どんなにすばらしい授業も、その裏にいる保護者の実態も鑑みる必要があると思います。子どもの中には保護者によってとても苦労している子もいます。最後に、先生方には、子どもを愛してやってほしいと感じます。もう少し保護者の方の背景が見えるインクルーシブであったらいいなと思いました。

第1回フォーラム画像15二宮:オンライン参加の方からの声の中にも、子どもたちを見ている側の教師の考え方を豊かにしたり柔軟にしたりすることが大事なのではないかと書かれています。

会場:私は不登校の子どもがいるお母さんとおしゃべりをする会を開いています。不登校は今、学校以外の場所がフォーカスされ始めていますが、掘り下げていくと、学校がしんどい、教室に入りづらくなった、怖くなったという子どもたちの視点に立って、学校の現場を考えていくということなのだなと思って活動をしています。できれば、しんどさを抱えた子どもたちの声や、大変な思いをされている先生の声などのネガティブな気持ちや視点からフォーカスして考えてみる機会がもっとあれば、そこにヒントがあるのではないかなと思いました。

会場:私は以前幼稚園にいたのですが、幼稚園だとインクルーシブという言葉をあまり使いません。もともとのありようがインクルーシブだと思います。
幼稚園ではどんな子も一緒に見ています。そんな環境で過ごした子が小学校に行くと、だれとでも当たり前に関われるという保護者の声も多く聞いています。幼稚園の先生は寛容に、謙虚に、共感的に子どもと接しています。そんな場面をぜひ小学校や中学校の先生とも共有すると良いと思います。
学校全体をインクルーシブ教育の場と考え、その子たちの学びの場とするためにも、非常勤講師の人数を増やして、もう少し子どもたちを見られるようになっていくといいと思いました。

二宮:最後に、今日フォーラムに参加されて、これからも確実に学校づくりを進めていくために大切だと思ったことは何でしょうか。

第1回フォーラム画像16

伊藤:学ぶということは何なのかを見直していかなければいけないと思います。先生方には、さまざまなアイディアが浮かび、実践していきたい気持ちがあるのだと思います。そんな中、いろんな学校に訪問させていただくと、「前例がない」「本当にやっていいのか」と、ためらう声をよく耳にします。インクルーシブ教育推進課としては、こういった声に伴走し、一緒にトライしていくことが必要ではないかと思います。

横溝:私は教員として、変わり続ける勇気を持つことだと思います。目の前の生徒は毎年違いますし、生徒自身もどんどん成長します。それに合わせて、私も成長し、変わり続けなければいけないと感じます。これがベストだ、というところに辿り着くことはないのだという再確認です。今いる、目の前の生徒に対してベストを出しますが、きっと1ヶ月後の生徒には、今の私では、ベストではないのだろうなと思います。自分のベスト、そして学級のベスト、そして学校全体の今のベストはどんどん変わっていかなければいけないと思います。そしてベストを見つけるためには、学校にある障壁をもう一度職員間で考えていきたいと思いました。

山﨑:先ほど質問の中に、保護者の考えも大切にしてほしいという話がありました。私は教育相談コーディネーターとして、不登校や登校を渋っている子どもや保護者と関わる機会が多くあります。保護者の考えで共通しているのは、自分の子どものことをわかってほしいという思いです。私も自分の子どものことを理解してくれ、自分の子どもに合った教育をしてくれる先生に出会ったとしたら、こんなに幸せなことはないと思います。
私はこれからも小学校教員として頑張りますが、保護者の意見や子どもの意見を大切にすることがインクルーシブにも繋がると信じています。様々な意見を大切にして、これからも学校づくりを進めていきたいと思います。

第1回フォーラム画像17野口:私も子どもの親として保育園に行くと、先生たちが喜んで子どもを出迎えてくれ、1歳の子どもに伝わる形で示してくださいます。「あなたにここにいてほしい」とか、「あなたに会えて嬉しい」と思ってくれる人が多ければ多いほど、安心するし嬉しい、ということを改めて思いました。最初は「来てくれてうれしい」という気持ちも、だんだん「来るのは当たり前」、「これができなきゃ駄目」となっていくと、子どもも大人も苦しくなってしまうのではないかと感じます。したがって、まずはそこにいるということを歓迎したいです。どんな子でもそこにいることが素晴らしいと、歓迎できることが重要だと思います。また、先生たちも思えるような学校をつくっていくことがインクルーシブに繋がると感じました。
 そしてそれは学校だけがやるべきことではなく、地域のみんなでやっていくべきことであると改めて思いました。学校は、もちろん授業も大事ですが、それだけではなく、多様な子どもたちが集まる場であり、共生していくことを学んでいく場です。それを考えたとき、保護者も、地域の方も、同じ方向をめざして、お互いに押し付け合うのではなく、できるところを一緒にやっていくということが、とても大事であると思います。
 神奈川県はインクルーシブ教育推進課という課がある唯一の都道府県です。本当に素敵だなと思います。特別支援学校は都道府県立が多く、小・中学校は市町村立が多いので、連携がすごくしづらいです。神奈川は県全体で進めているので、もっと特別支援学校の先生と通常の学級の先生が一緒に授業づくりをするという取組をしてほしいと思います。それが学ぶとは何かということを考えることに繋がると思います。
 「学びとは何か」を考えるのは、やはり既存の枠組の中だと見直していくことはなかなか難しいです。異なる価値観の人がそこにいることによって、自分たちの枠がどんどん広がっていくと思うので、ぜひ県全体で特別支援学校と地域の小・中学校、高等学校の通常の学級の授業づくりを一緒にやるというチャレンジをしてもらいたいと思います。


 4.閉会挨拶

神奈川県教育委員 笠原 陽子

第1回フォーラム画像18 本フォーラムは平成26年度からスタートしています。当時と比べると、今日3人の方々の実践を伺いながら、改めて多くの地域、多くの学校で、多くの方々がインクルーシブに関わる様々な実践をされていると実感しました。本日は、先生方の思いや悩みを感じ取ったり、共感したりできるお話があったと思います。
 先日、この総合教育センターで高校生版教育委員会を開催しました。テーマはインクルーシブ教育でしたが、高校生目線で、インクルーシブな学校とはどういう学校なのかというお話をたくさんしていただきました。その中で、高校生が話してくださったのは、とにかく「相手を知ることが大事だ」ということです。それぞれ様々な経験をお持ちですが、知らないことがたくさんあるので、まず相手を知ることからインクルーシブが始まるのではないか、そして自分たちにできることを発信していきたいと話をしてくれました。
 神奈川県は平成14年から支援教育という考え方で、福祉的な視点も含めて、障害のあるなしに関わらず、不登校のお子さん、外国に繋がりのあるお子さんも含め、すべて包み込むような形で教育に取り組んでいます。その概念の先にあるものとして、インクルーシブ教育の推進が平成27年からスタートしたわけです。
 このインクルーシブ教育の推進が神奈川県内の各学校の中で、ひと・もの・ことに関連して、非常に難しい状況の中でやっていただいていることはよくわかっていますが、我々が理念として打ち出したことが、その理念を打ち出した場所からは見えづらく、現実に進んでいるものとのずれを感じること、そして知ること、そのことに気づかせていただけることが、このフォーラムであると私は捉えています。
 教育委員会として本日いただいた言葉を持ち帰り、神奈川がめざそうとしているインクルーシブな学校づくりに向けて、ぜひ皆さんの力をお借りしながら、これからを担っていく、すべての子どもたちにとって本当に意味のある教育をつくっていけたらと思っております。


 今回のフォーラムは、今後の神奈川のインクルーシブ教育の推進を考える上で、大変有意義な機会となりました。神奈川県教育委員会では、すべての子どもが同じ場で共に学び共に育つ中で、一人ひとりの人間性や多様な個性を尊重し、お互いを理解していくことが大切だと考えています。県内すべての学校において「インクルーシブな学校」づくりに向けた取組を進め、共生社会の実現につなげてまいります。

 

主催 神奈川県教育委員会


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