初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月10日

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曹洞宗東光寺(横浜市保土ケ谷区上星川二丁目)

キーワード:建物倒壊、工場被害

東光寺(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 関東大震災では県内の紡績工場を中心に多くの工場が倒壊し、犠牲者が出ました。工業地域での人的被害の多くは、建物の倒壊による被害が中心であり、火災による死者は、倒壊した工場に十分な救助作業を行う余裕がなかったために炎上した富士瓦斯紡績小山工場(静岡県駿東郡小山町)のみでした29。特に横浜市保土ケ谷区にあった富士瓦斯紡績株式会社保土ヶ谷工場では、454名もの死者を出しました30,31
 富士瓦斯紡績保土ヶ谷工場は現在の保土ケ谷区川辺町にあり、相鉄本線「星川駅」の近くの帷子川から国道16号線の間の5万1,000坪(約17ヘクタール)に及ぶ敷地の広さでした32。現在、敷地の西半分には保土ケ谷区役所、消防署、警察署、郵便局などがあり、東半分にはマンションやショッピングセンターなどがあり、いかに広大な土地であったかが分かります。工場は第二次世界大戦時に軍需工場に転用され戦災で焼失したため、当時の面影は全く残っていません32,33(現地の様子は被災写真(11)で紹介)。
 相鉄本線「上星川駅」から北500mに、曹洞宗薬王山東光寺があります。寺院裏山の墓地中腹右側に慰霊碑があります。この慰霊碑が富士瓦斯紡績保土ヶ谷工場の倒壊で亡くなった方々の慰霊碑です(図3.5-1)。慰霊碑には、「關《関》東大震受難者之墓」(図3.5-2)と書かれ、側面には「昭和八年七月十五日建之」と建立年が書かれています。お寺の方の話では、今でも遺族の方がお参りや卒塔婆の依頼があるとのことです。

東光寺(図1・2)

 「大正震災志 上巻」34には、当時の保土ヶ谷工場はレンガ造で、食事を終えて仕事に就こうとしてレンガ壁の廊下を通過する際に地震が発生し、壁が倒壊して多くの死者が出たとの記録が残されています。

 

29 「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成21年3月 1923 関東大震災【第2編】」, 中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会, コラム5(2023年8月17日閲覧) https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/

30 神奈川県, 「神奈川県震災誌 : 神奈川県震災誌附録付 詔書, 御沙汰書」, 1927年

31 武村雅之, 「未曾有の大災害と地震学-関東大震災(シリーズ繰り返す自然災害を知る・防ぐ)」, 2009年

32 武村雅之, 「未曾有の大災害と地震学-関東大震災(シリーズ繰り返す自然災害を知る・防ぐ)」, 2009年

33 神奈川県, 「神奈川県震災誌 : 神奈川県震災誌附録付 詔書, 御沙汰書」, 1927年

34 内務省社会局, 「大正震災志 上巻」, 1926年

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