初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月10日

ここから本文です。

真言宗平間寺(川崎市川崎区大師町)

キーワード:建物倒壊、地震に耐えた建物、復興

平間寺(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載


平間寺(図1) 真言宗平間寺は川崎市川崎区にある寺院で「川崎大師」の通称でよく知られています。平間寺のある旧川崎町では、人口も多いため、死者数290名の甚大な被害となりました。
 大師仲見世通りの商店街を抜けた山門の先、大本堂の左前にある経蔵裏の植え込みに「戦災復興之碑」などとともに木村新左衛門の記念碑があります(図3.6-1)。

 木村新左衛門は、空襲で焼失した旧山門を建てた大工で、碑文には旧山門が関東大震災でびくともしなかったと記されています。旧山門には荘厳な彫刻が施されていたほか、平間寺で倒壊を免れたのは、旧本堂、不動堂とこの旧山門だけであったように地震に耐える構造でもありました。しかし、この旧山門は1945(昭和20)年4月15日夜半から翌未明にかけての川崎大空襲で焼失してしまいました35
 経蔵に隣接する植え込みの南側には、震災に耐えた旧本堂の礎石(図3.6-2)が残されています。説明板によれば、旧本堂は、1834(天保5)年の弘法大師一千年遠忌の記念に建立され、総けやき造りの壮大なもので礎石は72個にも及び、震災には耐えましたが、1945(昭和20)年の空襲で焼失してしまいました。

平間寺(図2)

 不動門から入り右側、八角堂の南側の植え込みの中には、関東大震災の供養塚(納札連供養塚)が建立されています(図3.6-3)。平間寺では主に江戸の通人や職人衆、芸者衆など粋筋が、それぞれ意匠を凝らして多色刷りにあつらえ、ひいき筋に渡したり、交換したりした千社札の愛好家の通人たちによる納礼会が定期的に行われていたようです。納礼会に参加していた人のうち、8名が震災で亡くなり、他の参加者がその供養に建てたものだと思われるとのことで、江戸時代から庶民に親しまれ、多くの人々が参拝した川崎大師ならではの慰霊碑です35
 不動門から入りすぐ左側には、鐘楼の立つ石垣が位置しています(図3.6-4)。説明板によると、この石垣の銘板には、1789(寛政元)年正月に創建された鐘楼堂が、震災で倒壊しその後移築再建されたこと、その後空襲により焼失したことが書かれています。

平間寺(図3・4)

平間寺(図5) 鐘楼のある一角からさらに奥、大師公園方面にあるつるの池の南側の植え込みに位置しているのは大本坊落成記念碑です(図3.6-5)。関東地震の激しい揺れで旧大本坊が倒壊したため、震災後に、仮の本坊が建てられました。しかし、仮本坊は狭小であったため、境内の南方にあるつるの池を埋め立てて新たに大本坊が建立され、その落成を記念して建てられた碑が上記の碑です。大本坊は、震災の教訓から鉄筋コンクリート造で建立されています。1945(昭和20)年4月15日の空襲では、境内のほとんどの建物が焼失しましたが、大本坊は鉄筋コンクリート造であったため、外郭はそのまま残りました36
 大本坊の左前に位置しているのは、青木正太郎翁壽碑です(図3.6-6)。「京浜電気鉄道沿革史」37によると、碑文には、当時経営不振だった京浜電気鉄道会社(現・京浜急行電鉄株式会社)を立て直した青木正太郎が、一度退任したものの、震災で大きな被害を受けた直後の1923(大正12)年10月18日に、再び社長に就任し、喜寿を迎えた1930(昭和5)年まで復興に務めたこと、碑文の下線部には震災の際に自宅が被災しているにもかかわらず京浜電気鉄道の復旧の陣頭指揮を執ったことが書かれています。
 大本堂後方の一般墓地の奥は、川崎大師の歴史を支えた歴代先師の墓域となっています(図3.6-7、3.6-8)。隆運大僧正は大山門の竣功に功績を残し、隆中大僧正は、42世継承時76歳と高齢で、震災の復興に尽力しましたが、本格復興は隆超大僧正に託されました38。隆超大僧正は、鐘楼石垣銘板や大本坊落成記念碑に名前が見え、鐘楼、大本坊を震災後再興したほかに、木村新左衛門記念碑が建立されたのも隆超大僧正の代です38

平間寺(図6~8)

 

35 川崎区誌研究会石造物調査部会, 「川崎大師境内の石碑」(2023年8月17日閲覧)
http://fujitamichio.v2001.coreserver.jp/kawasaki/5k3_html/5k3_daishi-sekihi.html#top1

36 川崎区誌研究会石造物調査部会, 「川崎大師境内の石碑」(2023年8月17日閲覧)
http://fujitamichio.v2001.coreserver.jp/kawasaki/5k3_html/5k3_daishi-sekihi.html#top1

37 東京急行電鉄株式会社, 「京浜電気鉄道沿革史」, 1949年

38 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その3 県東部編)」, 2016年

このページの所管所属はくらし安全防災局 防災部危機管理防災課です。