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初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月10日
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キーワード:土砂災害
※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載
地震峠は、JR横浜線「橋本駅」から西南西に約10km、国道413号線から宮ヶ瀬湖に向かう県道沿いにあります。県道沿いを流れる串川に架かる馬石橋の南側近くの馬石自治会館裏には地震峠の見学者用の「地震峠臨時駐車場」(図3.8-1)があります。駐車場から宮ヶ瀬湖方面に100mほど歩いたところに旧津久井町が設置した「鳥屋・地震峠」の説明板を2022(令和4)年9月に復元した看板が立てられています(図3.8-2)。説明板の後半部には「ここ馬石では、死者十六名、埋没棟数九戸で、遺体が確認されたのは八人のみ、ある家では六人家族全員が埋没死したのである。当時の串川は現在の県道よりもずっと南側を流れていたが、土砂災害のために串川がせき止められ、上流五百メートル位まで湖のようになってしまったという。」とあります。
また、説明板の向かい側には、地元の自然災害伝承碑「地震峠を守る会」が設置した「地震峠」と記した標柱もあり(図3.8-3)、「この地で亡くなられた方」として16名の名前が刻まれています。説明板と標柱の間の階段を上ると、さらに2種の石碑と地蔵尊が建っています(図3.8-4~3.8-7)。
城山町(1993)41によると、1923(大正12)年10月14日には津久井郡内の死者を弔う追悼会が地震峠のある馬石で行われており、これらから「地震峠における土砂崩れは近隣の村々にとっても大きな衝撃を与える事件であった」ことが分かります。
41 城山町, 「城山町史 3 資料編近現代」, 1993年
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