初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月10日

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馬入橋西詰(平塚市馬入本町)

キーワード:橋梁被害、複合災害

馬入橋西詰(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 現在の平塚市は震災当時、中郡の旧平塚町と旧須馬村の他8村で構成され、旧平塚町の住宅の被害は全潰率で約50%、死者数は266名、馬入が位置する旧須馬村では、長楽寺にある供養塔碑文によると60名余りの方が犠牲となりました46(11)真言宗長楽寺にて詳述)。
 JR東海道線「平塚駅」から神奈川中央交通バスで「馬入橋停留所」に向かい、そこから東へ300mほど進むと、相模川に架かる国道1号線の馬入橋西詰に、震災からの復旧に関する記念碑があります(図3.10-1)。
 記念碑の正面に「陸軍架橋記念碑」として陸軍が苦労して橋を架けたことが書かれており、その脇に説明板があります(図3.10-2)。説明板には、震災により馬入橋が倒壊したため、地元の消防組員と在郷軍人、青年団によって渡し舟が運行されていましたが、数日間に及ぶ豪雨で舟が流失し、中断していたところ、陸軍の第十五師団(豊橋)と第十六師団(京都)が架橋工事を実施し、橋が完成したことをたたえて建てられた碑であることが書かれています。

馬入橋西詰(図1・2)

 神奈川県が編集した「神奈川県震災誌」47には、馬入橋に限らず陸軍各師団の工兵が、昼夜晴雨を問わず交通機関の応急修理に尽力していた記録が残されています。

 

46 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年

47 神奈川県, 「神奈川県震災誌 : 神奈川県震災誌附録付 詔書, 御沙汰書」, 1927年

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