ホーム > くらし・安全・環境 > 防災と安全 > 防災・消防 > 関東大震災100年事業特設ページ > 神奈川震災記念館 > 県内各地に残る震災遺構 > 真言宗青蓮寺(鎌倉市手広五丁目)
初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月10日
ここから本文です。
キーワード:建物倒壊、共助による復興
※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載
震災当時、青蓮寺のあった鎌倉郡の旧深澤村(現在の鎌倉市の一部)は、建物全潰率約45%、死者数15名の被害が発生しました50。旧鎌倉町や旧腰越津村の被害が大きく、現在の鎌倉市全体では建物全潰率約66%、死者数591名と大きな被害が発生しています50。
鎌倉市にある青蓮寺は、JR東海道線「藤沢駅」南口から江ノ電バスに乗車し「鎖大師停留所」を降りてすぐのところにあります。青蓮寺は、震災によって境内にあった本堂、大師堂(当時は現在の墓地の位置にあった)など14棟すべてが倒壊しました51。
現在の住職の話によると、当時の住職(草繋全冝(くさなぎぜんぎ)僧正)は、地震発生時にいた庫裡も倒壊したことで、足にけがをしてしまったとのことです。
その後本堂は1931(昭和6)年に現在の姿に再建されました(図3.12-1)が、本堂の正面左右に架けられている「鎖大師復興飾財寄付者芳名」(図3.12-2、図3.12-3)には、寄附者の芳名が記されており、その人数は総勢800名にものぼり、立派な本堂の姿に全冝僧正の力量を感じることができます52。本堂前には鉄製の天水桶(図3.12-4)があり、日付は1934(昭和9)年10月11日で、全冝僧正の代に弘法大師1100年御忌記念として奉納されたものです。こちらの奉納者には長谷、新宿、二階堂、大町、山ノ内、扇ケ谷、極楽寺、材木座、雪ノ下、浄明寺など様々な地域の方々が含まれており、鎌倉中に広がっていることが分かります。
奉納者の多さから、震災からの再建にあたっても大勢の人の支援が大きな力となったことがうかがい知ることができます。
50 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年
51 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その3 県東部編)」, 2016年
52 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その3 県東部編)」, 2016年
このページの所管所属はくらし安全防災局 防災部危機管理防災課です。