初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月10日

ここから本文です。

金砂山観音・鼻黒稲荷神社(藤沢市藤沢)

キーワード:地域全体の慰霊、建物倒壊、共助による復興

金砂山観音・鼻黒稲荷神社(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 現在の藤沢市は震災当時、鎌倉郡の旧川口村、旧村岡村、高座郡の旧藤澤町、旧御所見村、旧六会村と旧小出村、旧渋谷村の一部を含む、1町6村にまたがる地域でした。旧藤澤町では建物全潰率が7割を超え、人口も多かったことから死者数も藤沢地区で105名となったことが分かっています53
 JR東海道線「藤沢駅」から北に約750mにある藤沢橋に接する交差点の南西角に「鼻黒稲荷大明神」と「金砂山観世音」と書かれた門柱があります(図3.13-1)。境内に入り階段を上ると、正面に金砂山観音の本堂、左側に鼻黒稲荷大明神の社があります。社の前には2つの石碑が建っており、向かって右側が震災の記念碑です(図3.13-2)。

金砂山観音・鼻黒稲荷神社(図1・2)

 震災記念碑正面には、「嗚呼《ああ》九月一日」と書かれ、背面には震災により東京、横浜に大きな被害が出て十数万の人々が命を落としたこと、旧藤澤町は震動が最も強いところで、この敷地のすぐ北側にある遊行寺の諸堂もほとんど倒壊し、町内の家屋も大半が倒壊して百余名の人が命を落としたことに加えて、震災から7年が経ち、町民あげて法要を行い当時の記憶を長く後世に残すために記念碑を建てることになった経緯が記されています54(図3.13-3)。

金砂山観音・鼻黒稲荷神社(図3)

 また、記念碑の裏面には数多くの賛助員の名前も連ねられており、藤沢中の町々から様々な団体、個人が協力して記念碑を建立したことが分かります。

 

53 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年

54 武村雅之・都築充雄・ 虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その1 県中部編)」, 2014年

このページの所管所属はくらし安全防災局 防災部危機管理防災課です。