初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月11日

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耕地整理記念碑(富士見橋)(小田原市国府津)

キーワード:農地被害、耕地整理、共助による復興

耕地整理記念碑(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 JR東海道線「国府津駅」から西に約800mのところにある、森戸川沿いの「富士見橋際」交差点北東側に耕地整理記念碑があります(図3.15-1)。

耕地整理記念碑(図1)

 この記念碑は、国府津から上府中に至る300町歩(おおよそ300ヘクタール)もの広大な土地を18年かけて耕地整理(農地を区画整理して、用排水の利便性を向上させたり、農道を整備したりして目的の水田等に他の水田等を通らず到達できるようにすること。)を行った記念に建てられたものです。
 武村ほか(2015)58の震災に関連する部分の要約によると、「大正5年から昭和8年まで18年間を要して国府津から上府中に至る川東三百町歩の耕地整理を行った。その中で、関東大震災と昭和4年の豪雨で事業完了の遅延と事業費の増大に見舞われた」といいます。「此間に於ける組合員八百五十餘《余》名の協戮《きょうりく(協力と同義)》努力は特筆すべき者あり」との記載があるように、850名余りの耕地整理組合員が関わり、工事の完成に大変苦労したことが碑文に記されています。
 また、碑文には「區劃《区画》は整然として通路四達し行歩輓荷《ぎょうぶばんか(歩行や荷物をひくこと)》大に便に犂鋤《りじょ(農具のこと)》の利甚た加はり溝渠完備し湿地も二毛田に」とあり、この耕地整理によって、農道、水路が完備され、農具の発達も加わり収穫量が増し、地域の農業が発展して、後世に大きな利益をもたらしたことがわかります。
 

58 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その2 県西部編(熱海・伊東も含む))」, 2015年

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