初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月11日

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高養寺浪子不動前の不如帰の碑(逗子市新宿五丁目)

キーワード:地盤変動

不如帰の碑(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 震災では、三浦郡旧逗子町(現在の逗子市)は、建物全潰率約40%、死者数76名となる甚大な被害となりました62
 諏訪神社から大崎公園を新宿海岸方向へ降り、国道134号線を新宿海岸に沿って逗子方向に行くと左側に高養寺浪子不動の本堂があり、道路を挟んだ海岸の岩礁に石碑が建っています(図3.17-1)。石碑には「不如歸《帰》」と書かれています。

不如帰の碑(図1・2)

 この石碑は1933(昭和8)年、旧逗子町が町制施行20周年を迎えたことを記念して建てられたものです。石碑の建立は大掛かりなもので、石は以前から大崎鼻の沖にあった「鍋島さん」と言われていた巨岩を浪子不動下まで運んで建てられたものです63
 高養寺境内の説明板(図3.17-2)には、不如帰の碑の立つ岩礁は関東大震災の時に隆起したもので、その後現在までゆっくりと沈降していると書かれています。つまり震災による海岸の隆起が石碑建立を進める上での一助になったと言えます。
 当時の逗子町新宿の隆起量は0.8m程度64と推定され、津波高さは調査の結果5m程度65でした。

 

62 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年

63 逗子市, 「逗子市史 通史編(古代・中世・近世・近現代編)」, 1997年

64 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その1 県中部編)」, 2014年

65 羽鳥徳太郎・相田勇・梶浦欣二郎, 「南関東周辺における地震津波」, 東京大学地震研究所編「関東大地震50周年論文集」, 1973年

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