初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月11日

ここから本文です。

玉川緑道終点(伊勢原市小稲葉)

キーワード:地盤変動、複合災害

玉川緑道(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 伊勢原市は、震災当時、中郡の2町5村で構成されており、建物全潰率が旧岡崎村で9割近く、旧大田村でも6割を超え、そのほか旧伊勢原町や旧比々多村、旧成瀬村でも3割を超える被害が発生し、各町村で10名以上の死者が発生しています72
 伊勢原市小稲葉(旧大田村)、小田急小田原線「伊勢原駅」から神奈川中央交通バスに乗車し「枝大島入口停留所」で降りた後、笹張川から100mほど北の玉川緑道終点に、旧玉川の由来を示した説明板(図3.20-1、3.20-2)があります。

玉川緑道(図1・2)

 旧玉川の由来を示した説明板には、旧玉川が現在の厚木市から平塚市へと流れる農業用水路として大きな役割を果たしてきましたが、大正12(1923)年の関東大震災により平塚地域一帯が隆起して南側へ川が流れにくくなったため、豪雨時には氾濫して被害が続出したことが書かれています。このため、1944(昭和19)年に現在の新玉川が造られ、より東へ流れるようになり、新玉川ができてから水害はなくなったことが書かれています。

 

72 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による木造住家被害データの整理と震度分布の推定」, 日本地震工学会論文集, 2(3), 2002年

このページの所管所属はくらし安全防災局 防災部危機管理防災課です。