ホーム > くらし・安全・環境 > 防災と安全 > 防災・消防 > 関東大震災100年事業特設ページ > 神奈川震災記念館 > 県内各地に残る震災遺構 > 鐙摺(あぶずり)葉山港路傍(船溜竣工記念碑)(葉山町堀内)
初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年11月19日
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キーワード:地盤変動、港湾被害
※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載
現在の葉山町を構成する震災当時の三浦郡旧葉山村は、建物全潰率約30%、死者数26名の被害となりました73。
葉山港の路傍に建つ「船溜竣工記念碑」は、震災の際の隆起(0.8m程度74)によって使えなくなった葉山港を復興整備した記念碑です(図3.21-1)。
記念碑には、「大正十ニ年九月一日ノ大震災ニ因リ海岸ノ隆起甚シク船舶ノ碇繋避難ノ利便ヲ喪《うしな》ヒ」とあり、葉山港の船溜(ふなだまり)が隆起し使えなくなったことが書かれています。また、漁船の係留は砂浜に引き上げるしかなく、一旦天候が悪化すると大破する船が多かったことも書かれています。
さらに震災後、魚介類への需要は増大し、漁船の増加・大型化が進み、復興工事を願う漁民の「痛嘆」(ひどく嘆き悲しむこと。痛切な嘆き)が長かったこと、この窮状を打開し新たな発展拡大を目指し組合役員・組合員が一丸となって、鐙摺(あぶずり)船溜の再建を遂行したことが書かれています。地震によって地盤が隆起した様子や、総工事費十二万余円(現在の貨幣価値で約6億円)にものぼった工事が、有力篤志家(味の素本舗の鈴木商店)の資金援助のほか、多くの方々の協力で実現したことが確認できます75。
73 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年
74 武村雅之・都築充雄・ 虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その1 県中部編)」, 2014年
75 葉山史郷土研究会, 「郷土誌葉山」, 2011年
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