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初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年11月19日
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キーワード:農地被害、耕地整理
※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載
酒匂川中流域の左岸側に位置する大井町を構成する当時の村々では、建物全潰率が足柄上郡旧上中村や旧金田村では25%を超え、旧山田村では50%近く、旧曾我村全体は80%近くに達していたことが分かっています81。
JR御殿場線「相模金子駅」から南西に約500m、「新宿停留所」(富士急湘南バス)の南に位置する新宿山王社から100mほど南へ歩くと、道路右側の畑の中に大きな石碑が建っています(図3.24-1)。
これは「元農林政務次官正五位勲五等砂田重政題額」と書かれ、耕地整理を記念した石碑です。石碑には、旧金田村では元々「渇水の憂あり」、つまり水の確保に苦労していたこと、震災により「地盤に凸凹を生し田面は亀裂し水路亦湮滅《隠滅(跡形もなく消えること)》し被害甚大なりし」との被害の様子が書かれています。
記念碑の背面には功労者の氏名として、当時の県の農務課長だった草柳正治や農林技師の名前が書かれており、彼らが耕地整理組合による震災復興を奨励し、耕地整理の設計や工事監督として活躍した様子がうかがえます。
記念碑には、震災後耕地整理組合の設立認可を受けて、導水路の改修や区画の整備、水路や道路・橋梁の整備により、農地の復旧を行ったことで、7割5分だった二毛田が全て二毛田になり、収穫の増加を実現できたことを記念してこの石碑を建てたことが書かれています。
この記念碑は1936(昭和11)年に建てられたもので、震災から10年以上経過しています。経済不況により震災復旧は遅々として進まず82、耕地整理に長い年月がかかり、苦労の末、農業の再建を成し遂げた地域住民の思いを感じることができます。
81 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年
82 大井町, 「大井町史通史編」, 2001年
このページの所管所属はくらし安全防災局 防災部危機管理防災課です。