初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年11月19日

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曹洞宗延命寺(松田町松田惣領)

キーワード:断水、水の確保

延命寺(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 現在の松田町にあたる地域は、震災発生当時、足柄上郡の旧松田町と旧寄村にまたがっていました。震災で旧松田町は、建物全潰率約40%、死者数10名の被害を受けました83
 JR御殿場線「松田駅」から北東へ500mほど歩くと、延命寺へと登る坂道が見えてきます。坂道を進み、延命寺境内の山門をくぐると、左手に広場と観音堂があります(図3.25-1。2023(令和5)年6月末時点で、観音堂正面にある観音堂門付近は工事中。)。

延命寺(図1)

 観音堂の手前には、いくつかの石碑が立ち並んでおり、その中の一つに「水道記念碑」があります(図3.25-2、3.25-3)。

延命寺(図2・3)

 武村ほか(2015)84によると、水道記念碑には、旧松田町において震災後住民が飲料水の枯渇に苦しんだこと、それを打開するために、当時の町長鍵和田修平が町営水道を計画し、震災翌年の1924(大正13)年10月に完成したこと、また、その後の小田急線の開業などによる人口増加にともなって水道が拡張されていった過程が書かれています。
 「足柄上郡誌」85には、観音堂が1703(元禄16)年の元禄地震により倒壊したこと、洪水の恐れもあったため、1706(宝永3)年に現在の延命寺境内に移したことに加え、関東大震災によっても観音堂が倒壊したことが記されています。また、延命寺住職の安藤浄眼は檀徒に図り、1927(昭和2)年に現在の位置に観音堂を移して再建したとも記されています。観音堂の前には堂内にある三仏像の説明板があります(図3.25-4)。

延命寺(図4)

 

83 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年

84 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その2 県西部編(熱海・伊東も含む))」, 2015年

85 足柄上郡教育会, 「足柄上郡誌」, 1924年

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