ホーム > くらし・安全・環境 > 防災と安全 > 防災・消防 > 関東大震災100年事業特設ページ > 神奈川震災記念館 > 県内各地に残る震災遺構 > 山北町役場(水害復旧記念碑)(山北町山北)
初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年11月19日
ここから本文です。
キーワード:土砂災害、複合災害
※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載
山北町役場がある山北地区は、震災発生当時は足柄上郡の旧川村に位置し、震災では旧川村は、建物全潰率約10%、死者数20名の被害となりました86。
山北町役場裏の駐車場(図3.26-1)にある水害復旧記念碑(図3.26-2)には、震災以降、降雨があるたびに丹沢山地から土砂の流出が多くなったことが書かれており、震災から14年後の1937(昭和12)年の豪雨と重なって、大きな被害を出したことが書かれています。
さらに、水害復旧に着手した矢先、翌1938(昭和13)年にも再び豪雨があり、それまでの復旧が徒労に帰したとも書かれています87。
神奈川県県西土木事務所88によれば、1937(昭和12)年7月14日から17日にかけての梅雨前線による集中豪雨で、県西部の三保、山北、松田、南足柄の山林耕地は水害により壊滅的な被害を受け、尺里川と滝沢川が埋没するなど数多くの土砂災害が発生し、死者不明者は17名、家屋の全半壊は320戸に及びました。このため、町は将来の災禍に備えるために皆瀬川、尺里川、滝沢川の3川に対し河川法準用の実現を目指し、1938(昭和13)年に3川が県に移管され、1942(昭和17)年まで防災工事が実施されています。
86 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年
87 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その2 県西部編(熱海・伊東も含む))」, 2015年
88 神奈川県県西土木事務所工務部河川砂防第二課, 「昭和12年集中豪雨災害について」(2023年8月17日閲覧), https://www.pref.kanagawa.jp/docs/vd8/kawa2/6301.html
このページの所管所属はくらし安全防災局 防災部危機管理防災課です。