初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年11月19日

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貴船神社とまなづる小学校(真鶴町真鶴)

キーワード:津波、火災

まなづる(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 現在の真鶴町を構成する震災当時の足柄下郡旧岩村、旧眞鶴村は、建物全潰率2割を超える被害が発生しました95。被害の特徴として、旧岩村では土砂災害による死者が61名、旧眞鶴村では、火災による死者が85名発生しています96
 JR東海道線「真鶴駅」を降り、箱根登山バス「宮前停留所」で下車するとすぐそば(バス停がある県道739号沿い)に、駐車場や境内に繋がる階段があります(図3.29-1)。

まなづる(図1)

 駐車場の脇には、日本三大船祭りとして知られ、県指定の無形文化財や国指定の重要無形民俗文化財にも指定されている「貴船まつり」で用いる小早船や櫂伝馬(かいでんま)をしまうための倉庫があります(図3.29-2)。
 境内へ上がる階段の左手前には、「貴船神社」と書かれた石碑があり、碑文には、神社の由来や貴船まつりの説明が書かれています(図3.29-3)。

まなづる(図2・3)

 境内は5段に分かれ、それぞれの段を繋ぐように階段が真っ直ぐに向かって伸びています。
鳥居がある1段目内、参道の左側の石碑群の中に「震災復舊《旧》紀念」の碑(図3.29-4)が、また、参道の右側には「小早新造」の碑(図3.29-5)があります。

まなづる(図4・5)

 「震災復舊《旧》紀念」と書かれた記念碑(図3.29-4)には、鳥居(図3.29-1の右側の写真)の建設に関わった寄附者や請負人、氏子などの方々の氏名が書かれています。鳥居にも、一方の柱に「寄附者 青木宗吉」、もう一方の柱に「大正十五年五月再建」と刻まれています。
 石碑には「記念」ではなく「紀念」と書かれています。現在の宮司によると、これは当時の宮司が、氏子の方々に早く立ち直ってもらいたいという思いを込めて、復興の『記』録だけにとどまらない石碑として残したという理由によるものです。
 「小早新造」と書かれた記念碑(図3.29-5)には、「貴船まつり」で用いる小早船の再建について記されています。東西で二叟あった小早船のうち、震災で焼失した東の東明丸を青年団が中心となって再建したというもので、現在の宮司によると、地域の皆が元気になれるように、震災からの復興の象徴として優先的に再建されました。

まなづる(図6)
 旧眞鶴村では地震後に大火災が発生しました。焼失率は約60%に達し、焼死者は、死者数の83%を占めています。東明丸はその際に焼失したものと思われます。
 旧眞鶴村は漁港に面した漁師町で、地震の前年に開通した国鉄熱海線の真鶴駅から港へは満足な道路がなく、入り組んだ細い急な坂道の斜面沿いに家屋が密集して建っていましたが、震災により真鶴港から真鶴小学校(現・まなづる小学校)に至る広範囲が焼失したことが分かっています(図3.29-6)。
 境内の2段目には神社の由緒が書かれた説明板(図3.29-7)があり、「大正十二年の関東大震災から復興するに当たり、境内を拡張して昭和十年現在地に社殿を移転」と書かれています。

まなづる(図7)

 現在の宮司によると、神社の社殿は、震災当時は現在の4段目にあり、揺れによる被害はありませんでした。

 また、社殿は津波にも襲われたものの、流されることはありませんでした。しかし、将来の津波のことなども考えて、より高い場所(現在の5段目)に移されました(図3.29-8)。4段目から5段目(境内の最上段)に至る階段は85段もあり、震災前の社殿からかなり高い場所に移転されたことが分かります。

まなづる(図8)

 なお、真鶴港から真鶴駅側へ斜面を登っていく地域(現在の真鶴港郵便局付近)に、「横捲(よこまくり)」という字名があります。現在の宮司によると、関東地震後の津波が沖から陸側に侵入して横捲周辺地域まで駆け登り、引き波の際、周辺の建物をさらって(まくって)いったことが字名の由来となっています。
 図3.29-6の延焼地域に含まれるまなづる小学校(図中では「真鶴小学校」と記載。)にも震災記念碑が建っています(図3.29-9)。震災記念碑には、「本町ノ家屋倒壊算ナク火災ニ次ニ海嘯《津波のことを指す》ヲ以テシ死者百傷者數《数》百宛然焦熱地獄ヲ現ゼリ本校舎亦倒壊火ヲ失ス時正午ニ近ク」と書かれ、津波や火災の被害が大きかったことが分かります97。また小学校についても、学校で4名が亡くなったこと、児童十数名が自宅で亡くなったこと、岡田校長が身をていして御真影(天皇陛下の御写真)を守ったことなどが記載されています。

まなづる(図9)

 

95 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による木造住家被害データの整理と震度分布の推定」, 日本地震工学会論文集, 2(3), 2002年

96 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年

97 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その2 県西部編(熱海・伊東も含む))」, 2015年

このページの所管所属はくらし安全防災局 防災部危機管理防災課です。