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初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年11月19日
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キーワード:土砂災害
※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載
現在の愛川町を構成する愛甲郡の旧愛川村、旧高峰村、旧中津村では、被害世帯数こそ少ないものの、死者は17名を数え98,99、その大部分は旧愛川村馬渡で発生した土砂災害による死者(15名)であることが分かっています100。
この土砂災害の犠牲者の慰霊碑がある妙誠寺は、小田急小田原線「本厚木駅」から神奈川中央交通バスで「馬渡停留所」にて下車し、そこから、馬渡大坂を登ったところにあります。本堂へ通じる階段(図3.30-1)の左側に慰霊碑が5基建っており(図3.30-2)、中央の大きい慰霊塔と、その右の母子地蔵ならびに三体地蔵(図3.30-3)が震災に関連する可能性のある慰霊碑です101。
震災時、崖崩れは妙誠寺の下方を流れる中津川沿いの集落を襲いました101。「大震災殃死《おうし》者慰霊塔」には土砂災害の犠牲者の名前が書かれており、母子地蔵や三体地蔵にも震災により亡くなった可能性を示す年次が書かれています。
慰霊塔に記載された犠牲者のうち冒頭の6名は中村姓ですが、母子地蔵の施主である中村博直氏はこの家族の中で唯一生き残った人のようです101。横浜美術館のビデオライブラリーによれば、中村博直氏は1916(大正5)年生まれで、文部大臣賞や日本芸術院賞などの受賞歴のある日展理事の彫刻家で、戦後主に女性像に取り組んだとのことですが、震災当時は7、8歳の少年であったようです101。母子地蔵を寺に納めたのは成人してからであろうと思われますが、家族でただ1人生き残り、その後は計り知れない苦労をしたと思われる中、震災から時間が経過しても、慰霊を行いたいという強い思いを感じ取ることができます。
98 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による木造住家被害データの整理と震度分布の推定」, 日本地震工学会論文集, 2(3), 2002年
99 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年
100 西坂勝人, 「神奈川県下の大震火災と警察」, 警有社, 1926年
101 武村雅之・都築充雄・ 虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その1 県中部編)」, 2014年
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