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2023(令和5)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラム 開催報告

2023(令和5)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラムのテーマ「自立について考えよう」

「自立について考えよう」

慢性的な疾患を抱える患者とその家族が日頃不安に感じている将来の生活について、当事者や支援者から話を聞き、当事者の成長に寄り添う支援について理解を深める「小児慢性特定疾病自立支援フォーラム」(神奈川県主催)が2024年2月11日、横浜情報文化センターで開かれた。

慢性疾病患者の体験談、専門家の講演から、支援のポイントや当事者に求められる「自立」について紹介する。


体験談(1):「小児がん体験を通して~治療、移行、自立について考えよう」

病院から遠のき無受診に

入院は合計1年8カ月で、腫瘍摘出術、抗がん剤、放射線、自家末梢血幹細胞移植などの治療を受けました。最初は腹部の痛みの原因が分からず婦人科の病気の可能性から開腹手術をすると婦人科の病気ではありませんでした。親にしか説明されないまま一時帰宅をし、その後小児科に転科。自ら説明を受けなければ治療しないと私が言い張ったため、親が先生に伝え「横紋筋肉腫という小児がんで、医大では例がない」などの告知を受けました。10万人に0.2~0.3人と言われても全くピンと来ず、治療の副作用についても実際につらい思いをするまで理解が追いついていませんでした。

通信制高校から進学先が福岡の専門学校となり、馴染みのない大学病院ということ、学校の出席日数の問題などから、だんだん病院から足が遠のいていきました。最終的には20歳で医療費の助成がなくなり金銭的余裕もないため行かなくなってしまいました。

自分の病気をよく知る必要性

現在の職に就くまで勤務先を幾つか変わりましたが、体調不良は続いていました。小児がんは治療後に起こる晩期合併症が少なくなく、私の場合は胃腸障害や全身のしびれなどがあります。心理的な問題として他者と比較し落ち込んだり、何げない一言に傷ついたりすることもあります。前職の時に長期フォローアップ外来を知り、費用面、学校、就職や病識不足で受診ができていなかったことが、自分の状態悪化につながったことを理解し驚きました。

病識を得るきっかけは、前職で小児慢性特定疾病の支援員の仕事を始め、自分の病気をしっかり調べたことです。その他、職場検診で重度の貧血のため重労働禁止との結果と紹介状が届き、病院を受診したこと、婦人科などは分からないので元の大学病院に行くように言われたこと、主治医との再会、患者会の方との出会い、フォローアップ手帳をいただいたこと、さまざまな研修会等に参加したことなどが挙げられます。

病識がついたことで今、自分の体に起きている不調の原因が何なのか分かり、それに対する治療ができてひどく体調を崩すことは減ったように思います。

小児科から成人科への移行期

現在、小児科・婦人科・胃腸科内科で定期検査を受けています。小児科から成人科への移行期は、①完全に移行②両方受診③小児科を継続受診―に分類され、私は②に該当します。移行期を考える時、小児科の医師と患者の関係は親離れに似ているかもしれません。私のような小児がんサバイバーは、成人科に行きたくても元の主治医に診てもらってくださいと戻されることもあるんです。

東京に来て新しい成人科の病院に行き、いろいろ説明していると「よく生きてるね」と何度も言われたことがあります。私は軽く流しましたが、人によってはとても傷つく言葉です。晩期合併症のことをもっと理解してもらいたいし、患者に耳を傾けてもらえるとありがたいです。

マイナスよりプラスに

就労にも悩みが尽きません。マイナススタートだからと劣等感を感じていましたし、周囲に伝えるべきなのか、何をどこまでなどの思いや不安がずっと頭の中を巡っていました。今では履歴書や面接では、状況に応じて病気があるというマイナスなイメージだけではなく、できることをアピールポイントとしてオープンに話をするようにしています。

悩むことは悪いこととは思っていないし、むしろ気持ちが落ちた時こそ自分と向き合うきっかけだと思っています。実際は前向きになれないことも多いですが、そんな時こそ周囲に「助けて」と言い、そう言える関係と環境を少しずつ構築していくことが必要だと思っています。これからもずっと病気とは付き合っていかなければなりません。家族、友達、医師ら周囲の方が力になってくれます。自分から発信していかないといけない部分もありますが、1人では限界があるので周りを頼ってみてもいいと思います。これからも周囲との関わりを大事にしていきたいと思います。

2023(令和5)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラムに登壇する渡邉 真佐美 氏の写真

公益社団法人 ア・ドリーム ア・デイ IN TOKYO 事務局 渡邉 真佐美 氏
略歴:中学3年時に横紋筋肉腫と診断。現在も通院しながら自らの経験を生かし子どもの難病支援を行っている。大分県出身、2年前に東京に転居・転職。36歳。


体験談(2):「自立について考えよう」

自分の病気なのに決定権がない

初め救急車で意識不明のまま運ばれ約2年間入院しました。症状が安定せず悪化時には、人工呼吸器がついて24時間の医療ケアが必要になり、集中治療室と一般病棟を頻回に移動すると、自分でコントロールできないスタートでした。当時20歳で、すでに成人していましたが、医療費を自分で払える経済状況ではなかったこと、症状が重く意思疎通が図れない状況だったことでいろいろな治療の段階の説明や相談・決定は、主治医と両親との間でされていました。自分のことでありながら、判断を下す責任を負わなくていい環境であったためどこか他人事で、精神的な自立はできていなかったと思います。

治療を始めた当初は、大学にすぐに復学でき治療を行っていれば健康な人と遜色なく働くことができると、家族や医療従事者から聞いていました。

しかし、実際は治療が思うように上手くいかずこのままでは就職どころか大学を卒業できない状況にまで追い込まれていました。大学復学も、就職も全て諦めようとしていた時、「卒業の可否は大学が決めることであり医療従事者ではない。その時期が来れば何か提示できる。君はどうしたいのか」と大学の恩師に言われたことで自身の病気との向き合い方が変わっていきました。

自分で決断することが当たり前に

入院してから、いつも受け身で治療方法等に疑問を持ったことは一度もありませんでした。しかし、大学の恩師に再会してから医療従事者から説明される治療法以外にも可能性があるのではないかと、能動的に自分の病気について調べるようになりました。その結果認可されたばかりの新しい治療法が残されていることを知り、自分で治療方針を選択し、転院する決断を下しました。

ただ、転院をするにも家族の支えは必要不可欠であり自身の決断を家族にも理解してもらう必要があり、発病をしてからずっと避けてきた「将来のこと」を自分の言葉で家族に話す機会が増えていきました。その結果、決断を理解し実現のために協力をしてくれました。

有り難いことに新しく始めた治療がうまくいき、2週間に1回の点滴通院しながら大学の復学も果たすことができました。

復学当初は、長期の入院生活で体力もなく大学に毎日通うことはできませんでした。しかし大学の理解があり出席できない時は、【レポート提出で出席の代替とする配慮】でサポートをしてくれました。

大学に復学できただけで満足だったのが、次第に教授の授業を直接聞きたくなり、可能な限り出席できるように【移動教室を全て1カ所にまとめてもらう・救護室の利用】など校内で活動しやすいようにサポートに変化していきました。

このように自分がやりたいことを言語化し、必要なところに助けを借りていくことで、自分のできることを増やしていきました。

必要なところに必要な助けを借りる

次は社会的・経済的な自立です。入院中「重症筋無力症の〇〇さん」と呼ばれることが多く自分のアイデンティティーが病気だけになっていました。それが、復学したことで「〇〇大学の〇〇さん」に変わり、それだけでも自分の存在意義を感じ前向きに生活できるようになりました。そのため、大学卒業後のアイデンティティーを何にするのか改めて自分の将来を考えた時に、就職することを自分で選択しました。

会社に就職するにあたり、治療のスケジュールも会社に合わせる必要がありました。会社には可能な限り配慮をしてもらっていますが、どうしてもできない配慮も存在します。特に私の場合は2週間に1回絶対通院しなければならないので平日仕事を抜けるのは現実的ではありませんでした。そのため土曜日に通院できるように主治医に相談し今も平日は仕事して休日に治療を行う生活をしています。

病気を抱えながら働くということは、周りの支えがないと自分が苦しくなることを日々感じています。正しい知識や理解のある環境のために自分の思いを言語化する。自分のことを隠さず話すのは勇気が要りますが、必要な助けを借りることが当たり前になればいいと感じています。

2023(令和5)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラムに登壇する猿田 理沙子 氏の写真

NPO法人 筋無力症患者会 猿田 理沙子 氏
略歴:大学3年時に重症筋無力症を発病。 通院治療を続けながら社会人生活を送っている。28歳。

講演:「慢性疾病における自立と依存」

2023(令和5)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラムに登壇する盛一 享德 氏の写真

国立成育医療研究センター研究所 小児慢性特定疾病情報室 盛一 享德 氏(もりいち・あきのり)

2氏の体験談を踏まえ、盛一氏が話した要点は次の通り。

◆「自立」の教科書的な定義は「他者に依存せずに自分の人生を生きること」だが、意味は人によって、年齢によって、また病気のステージによって異なる。「自立」とは全てを自分でやらなければならないという意味ではなく、病気による「依存」は必ずしも否定的な状態ではない。

◆自分の「自立」する姿を見つけるのに必要なのは、

①自分自身について学ぶこと。それによって症状や治療方針などを自己決定し、自分で管理できること。治療に参加し自分のニーズを主張できること。

②たくましさ、弾き返す力。限界を受け入れ、必要な時に助けを求めることを恐れない。

③変化への適応力。自分自身に寛容になる。

◆他者への「依存」は悪いことのように語られ罪悪感を引き起こすが、実際は日常生活の中で依存は当然の状態であると認識する。社会的に容認されないと感じて自分を責めたりせず「お互いさま」と助け合う。

◆自分の夢の実現と生活のコントロールのため、「依存」の程度との適切なバランスを探してみる。

◆これらを見守り、患者がどんな大人になりたいかなど、将来像を一緒に考えるのが支援する者の役割。

2023(令和5)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラム 意見交換の様子

フォーラムでは3氏に加え、厚木保健福祉事務所・宮崎課長の司会で意見交換も行われた。

日時 令和6年2月11日(日曜・祝日)
場所 横浜情報文化センター
内容 体験談/講演/意見交換
主催 神奈川県 福祉子どもみらい局 子どもみらい部 子ども家庭課
公開:2024年3月
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