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2024(令和6)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラム 開催報告

2024(令和6)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラム会場全体図

「自立について考えよう」

「小児慢性特定疾病自立支援フォーラム」(神奈川県主催)が、2025 年1月12 日、横浜情報文化センターで開催されました。当事者による自立に向けた就労体験談や、専門医による小児医療から成人診療科への移行期医療における自立支援に関する講演が行われました。

講演「移行期医療における自立支援の取り組み」

神奈川県立こども医療センター 柳 貞光さん(医師)、渡邉 美由里さん(主任看護師)

子どもの自己決定を重視「主人公は君だ!」

柳さん:小児医療から成人医療への移行期支援の動きは、2017 年に国から全国に移行期医療支援センターを設置するように、との通達があり、神奈川県では2020年にかながわ移行期医療支援センターが設置されました。2023年には新たに、医療だけでなく、自立支援の重要性も盛り込んだ移行期支援推進の提言がなされました。これにより現在は、自立支援と医療体制整備の二つが移行期支援の大きな柱になっています。
神奈川ではこども医療センター、かながわ移行期医療支援センター、県の三者が連携・情報共有し、就労支援を行っているのが特徴です。

こども医療センターの自立支援に向けた取り組みのひとつに、「中一問診票」があります。これは中学1年生を対象に、本人に病名・病状告知(説明)を強化し、治療内容を自己決定してもらうためのものです。そこでは「主人公は君だ!」を掲げています。「中一問診票」には自分の病名・障害を知りたいか、治療についてあなたと家族の意見が違った場合、医師はどちらの意見を聞いた方がいいと思うか、など11項目があります。しかし、本人に重度の知的障害がある場合などは、院内で患者さんの自立を支援する「みらい支援外来」を通してチームアプローチを行い、成人移行への自立支援を行っていきます。

2025(令和6)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラムに登壇する柳 貞光 氏の写真

4泊5日の「自立支援医療評価入院」で、病状や治療の知識を学習

渡邉さん:「みらい支援外来」では、外来看護師が中心となり、患者さんやご家族の意向を伺いながら、自立支援を行っています。しかし、外来診療の短い時間の中で問診や教育が十分にできない現状を踏まえ、4泊5日の「自立支援医療評価入院」を導入しました。「自立支援医療評価入院」は学童期から思春期以降の患者さんを対象に、2022 年10 月から一般病棟で始めました。この入院の目的は、成人の診療科への移行にあたり、患者さんのセルフケア能力を高めるために必要な知識を評価することです。「マイ・みらい・パスポート」という冊子を見ながら検査を受け、順々に病状や治療、今後起こりうる合併症について勉強します。時には、栄養指導、薬剤指導、社会保障制度の説明も受け、学習したことを書き込んでもらいます。また、入院中に「自立支援チェックリスト」を作り、病気や治療についての知識の理解度に合わせて目標を立てていきます。退院後も繰り返し学習してもらうことが大切で、外来でも継続的に支援できるように引き継いでいます。

この「自立支援医療評価入院」は導入して2年と日も浅く、看護師が病棟で行う難しさなど課題はありますが、患者さんが1人で受診できるようになったり、別の病院へ成人移行した事例もあります。自立支援のためには院内の多職種チームで連携し、切れ目のない支援を行うことが重要です。看護師は患者さん・家族にとって身近な存在なので、医療評価入院時だけでなく、普段から自立支援の視点で関わるのも私たちの役割だと思っています。

2024(令和6)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラムに登壇する渡邉 美由里 氏の写真

体験談1「各務 心平かがみ しんぺいのpersonal experience」

各務 心平さん(進行性難病患者)

就労体験で通勤か在宅か悩みに悩む

高校では就職に向けて様々な実習を行い、2年間でたくさんの経験を積むことができました。中でも、就職先となる横河レンタ・リースでは、車椅子での自走通勤と在宅勤務を組み合わせた10日間の実習を行いました。

就労体験を通して感じたのは、障害を持っていると、想像以上に就職することが大変だということです。特にそう感じたのは通勤時です。バスに乗ると周囲の目が気になり、さらに自走では体の負担が大きく、雨の日は出勤するだけで疲れてしまうこともありました。しかし、出勤することで学べることは多くあります。得意なことを見つけると自信になり、苦手なことを見つけると自分の未熟さを実感しました。仕事を長く続けていく上で、どちらの通勤方法を選択した方がいいのか、非常に悩みました。結果として、現在は在宅勤務を中心に勤務しています。

横河レンタ・リースでは、障害者雇用の実績は豊富でしたが、障害者の在宅勤務は前例がなかったそうです。会社は、私個人のためだけでなく、今後、多様な働き方が広がっていく必要があると考え、在宅勤務を受け入れてくれました。

実際の仕事内容は、販売契約書のシステムへの入力とその作業手順書の作成です。仕事をすることは生きるために必要ですが、その中にも面白さを見つけようと思っています。また、大人になっても勉強する人は成長する、ということにも気づきました。お金を稼ぐことの大変さを知ったことで、働きながらここまで育ててくれた両親への感謝が生まれました。

社会に出てできることを増やしたい

生活する上で感じていることは、「介助を依頼する時には伝え方が大切だ」ということです。一人で出かける時、介助を依頼しなければならない場面は多くあります。時には、「あれもこれも頼まないといけないなんて」と思うこともあります。そんな時こそ、自分が傲慢にならないように気をつけ、感謝の気持ちを忘れてはならないと思っています

他にも、自分でできることを増やすために工夫できることは何か、を考えるようにしています。そのおかげで、今まで介助がないとできなかったことも、少しずつできるようになりました。例えば、一人でも楽に履けるズボンを履き、体勢を変えられる車椅子を使うことで、トイレに一人で行くことができます。ここにたどり着くまで、時間もお金もすごくかかりました。だからこそ、障害を持つ当事者や介助をする人が同じ回り道をしなくてもいいように、「こういうやり方もあるよ」と伝えていけたらと考えています。また、彼らが本当に必要としているものは何か、を社会に広めたいとも思っています。自分の今までの経験とその声をもとに、当事者目線に立った商品開発を行い、販売していきたいと思っています。

障害者が社会に出ることは本当に難しく、自分のような肢体不自由者が就職した例は学校でも珍しいです。当事者の自分としては、障害者が社会に出てやれることを増やしていけるよう、率先して発信していきたいと思います。

2024(令和6)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラムに登壇する各務 心平 氏の写真

各務 心平さん。小児期にデュシェンヌ型筋ジストロフィー(1)を発症。2023年に横河レンタ・リースに就職、車椅子で在宅ワークをこなす。


体験談2「難病児と生きる」

各務 文さん(各務 心平さんのお母さま)

告知され、絶望と無力感の数年間

デュシェンヌ型筋ジストロフィー(1)という難病は、運動機能のピークを5歳に迎え、病状がゆっくり進行し、10歳代で呼吸器や心臓の機能に障害が表れるといわれています。7か月の時に肺炎にかかり入院したところ異常が見つかり、病気が判明しました。何をどうしたらいいのか全く分からず、これが絶望なんだと心と体で感じました。

その後、つかまり立ちや歩行ができるようになっても、進行する病気なので、成長を喜ぶことができませんでした。病気のことを夢中で調べましたが、学べば学ぶほど治らないということが分かり、さらに落ち込んでしまう。何もしてあげることができない自分に、いつも怒っている数年間でした。

この時期つらかったのは、病気のことを周りの人に話せなかったことです。話してしまうと、それまで踏ん張ってきた自分の心が折れてしまうような感覚があり、弱い自分を出さないことで、「普通の人」を保っていました。

その生活の中で、彼が正体の分からない苦しみの中にいるのはかわいそうだと思い、少しずつ病気のことを伝えることにしました。最初は足の病気、次は筋肉の病気、というように。寿命が短い彼に「生まれてきてよかった」と思ってもらいたい、彼の人生を豊かさのないものにするもんか、という気持ちが生まれ、私自身を強くさせました。

親も子も社会の中で居場所と役割を

小学校1年生からは車椅子を導入しました。彼の社会性を広げるため、車椅子で登山、横浜マラソン……と本人がやりたいことは全部やらせてあげようと思いました。妹の世話も積極的にしていました。役割があることが、彼の主体性を高めていくと思ったからです。

中学生になるとできないことが増え、自分の病気のことを全て知りたいと言うようになりました。私はいざとなると話したくないという気持ちになりました。しかし、彼の体も時間も全て彼のもの、彼のことを決めていいのは彼だけだと思い、病気のことを伝えることにしました。彼は受け入れようとしていましたが、12歳に伝えるにはかなり過酷な内容だったと思います。その後しばらく学校を休みましたが、その間、先生は何度も家庭訪問に来てくださいました。学校行事の準備として家でできることを考えてくださったり、学校でのクラスメイトの様子を話してくださったりと、彼にたくさん関わってくれました。その関わりがあったからこそ、彼は少しずつ先の未来を想像することができるようになったのだと思います。それは、家族だけでは与えることのできない希望でした。

ありがたいことに、多くの方がアドバイスをくださいます。私はそこで立ち止まり、それは子どものためになるのかなと考えて、彼の生活を侵さないように心掛けています。彼が自分でできることは彼の自己責任であるという関わり方です。その延長に、彼が自分の人生を生きていると実感が湧くのではないかと思っています。親も子も社会の中にいないと居場所がなくなり、当初の私のように灰色の世界にいることになります。今は自分の考えの狭さを知り、社会の中の自分を少しだけ眺められるようになりました。

会社は、「心平が定年退職を目指せる会社にしたい」と言ってくださいます。私も彼の就職活動中には「目指せ納税者」と励ましました。何らかの形で社会貢献できるという思いを持って生きていくことが必要だと思います。大人になってから、彼はこんなことを言うようになりました。「生まれ変わったら、またお母さんの子どもに生まれてくるよ。でももう病気はいらない」。私は彼の自立を目標に掲げて進んできたわけではありません。悩みながらやってきたことが、結果的に彼を尊重することになり、それが自立につながったのかなと思います。

2024(令和6)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラムに登壇する各務 文 氏の写真

各務 文さん。「悩みながらやってきたことが、結果的に彼を尊重することになり、それが自立につながったのかなと思います。」と語る。


意見交換

後半の意見交換では平塚保健福祉事務所の保健師・望月 真里子さんを司会に、「あなたが思う自立とは」をテーマに意見交換が行われました。全員、「難しいテーマで答えに迷っている、正解はない」としながらも、それぞれの思いを語ってくださいました。

心平さんは自らの経験から「働くようになって、お金を稼げることが自立かなと思ったが、働けない人もいるので難しい。あとは自分の意見が言えること。好きなことを自分の意思をもってやり通すこと」と話しました。文さんは「親の立場では、子に対して自立の着地点を示してしまってはいけないと思っている。親の考えは排除することが自立の上では大事なのかなと思う」と心平さんを見守る姿勢を示し、「彼が自分の人生をデザインする時に、親が意見を言うのは彼を尊重したことになるのだろうか」と投げかけました

医師の柳さんは「自分自身でさえ自立しているのかと疑い、落ち込むこともある。でもその自分を好きになって受け入れ、できないことはできる人に助けてもらう、その積み重ねが自分らしく生きていくことではないかと思う。その方らしく生きていると実感できるようになるために、僕らが手伝うことがあるのでは」と語り、看護師の渡邉さんも「自分一人で頑張っていくのではなく、支援を受けながら自分らしく生活すること。そのために情報収集したり周りがサポートしたりすることも必要と思う」と述べました。

司会の望月さんは「できることは自分でやる、苦手なことは誰かに頼ってみるという〝受援力〟も大切なこと、それも自立のひとつだと思った」と締めくくりました。

2024(令和6)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラム意見交換の様子

1 デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD):遺伝子の異常によって起こる進行性の筋疾患。主に男児に発症し、筋肉が徐々に弱っていくのが特徴。

2024(令和6)年度 小児慢性特定疾病自立支援フォーラム 開催概要
日時 令和7年1月12日(日)
場所 横浜情報文化センター
内容 講演/体験談/意見交換
主催 神奈川県 福祉子どもみらい局 子どもみらい部 子ども家庭課
公開:2025年2月