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更新日:2023年11月9日
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気候変動と海洋生態系
杉江恒二 国立研究開発法人海洋研究開発機構 研究員
1982年愛知県生まれ。2004年東北大学農学部卒業、2006年東北大学大学院農学研究科修了(修士(農学))、2009年北海道大学大学院環境科学院(博士(環境科学))修了。電力中央研究所の特別契約研究員、JST-CRESTの博士研究員(北海道大学大学院地球環境科学研究院)を経て2014年より現職。現職では、気候変動が海洋生物(植物プランクトンとその捕食者など)に与える影響に関する研究に従事。環境変化が植物プランクトンを通じた炭素や窒素などの生元素循環に及ぼす影響に関する一連の研究により、2017年度に日本海洋学会岡田賞および2020年度に公益財団法人海洋化学研究所の海洋化学奨励賞を受賞。毎年、約一か月の研究航海があるため、家で熱帯魚を飼えないのが悩み。
環境が変化しているかどうかを知るために欠かせないのが気象観測等のモニタリングです。世界における陸上の気象観測は17世紀後半から、海洋の気象観測は18世紀後半から行われており、日本における公式の観測はぞれぞれ、1872年および1921年に開始されました(気象庁HP参照)。それより古い気象は、木やサンゴなど生物の成長輪、湖や海の堆積物、および大陸氷河のコアなどに記録されている生物・物理・化学成分から推定します。
いわゆる地球温暖化と呼ばれる環境変化は、18世紀中ごろに起こった産業革命以降における地球規模での昇温傾向のことを指します。産業革命から現代までに地球全体の平均気温は約1℃上昇し、その主な要因は、我々人類の活動に伴う化石燃料の燃焼やセメントの精製並びに森林伐採等によって排出された二酸化炭素による温室効果と考えられています(図1;国立環境研究所HP参照)。
図1.実測値のある気温変化(左軸)と二酸化炭素(CO2)濃度の時系列変化
気象庁で公表されているデータを基に作図。気温変化は、各年の平均気温の基準値(1981〜2010年の30年平均値)からの偏差で示しています。二酸化炭素濃度は、東経137度線の北緯7度から33度で平均した冬季の二酸化炭素の長期変化傾向を示しています。
画像提供:海洋研究開発機構
地球の歴史は地質年代(例:古生代、中生代)で表されますが、人類が環境を変えた産業革命を境に、新生代第四紀は完新世から人新世(Anthropocene)と移り変わったと言われ始めています(注:Anthropoceneは国際地質科学連合(IUGS)では未承認の呼称)。さて、人新世において海はどう変わるのでしょうか。
童謡で歌われる通り、海は広くて大きいです。海は地球の表面の約7割を占めているので、面的に広いことはよく知られていると思います。そして、海の大きさは深さが良く表しています。海底までの水深が200 mより浅い海を沿岸域と呼びますが、沿岸域の面積は数%程度であり、それ以外の約90%が水深3,000 mより深い外洋域です。10,000 mを超えるマリアナ海溝も沿岸域もすべて含めて計算すると、海の平均水深は約3,800 mもあります。人新世の海における環境変化は、大気や陸を通じて表面から影響が出始めます。海水は空気と比べて粘性が約100倍高く、混ざりにくいため、3,000 mを超える深海に顕著な影響が出始めるのは数百年から1,000年先の未来と考えられます。
また、光合成に必要な太陽の光は最深でも水深150 mまでしか届かないため、水深100 mより深い海(平均で約3,700 m)は、植物が成長できない暗い世界です(図2)。そのため、海の表面で光合成を行って生きてゆくには小さく、沈みにくい必要があり、単細胞で小さな植物プランクトンは、多細胞への進化こそ見られないものの、海洋環境に最も適した形態といえます。
図2. 海の表面はプランクトンの世界
海の平均水深3,800 mに対して植物が光合成を行うのに十分な太陽の光は、深くても150 mまでしか届きません。海の面積の9割以上を占める外洋域では、長さ4 kmにおよぶ茎をもった海藻は生きられず、植物プランクトンから始まる食物網が卓越しています。
画像提供:海洋研究開発機構
一方、3,700 m直立の茎部と100 mの葉状部を持つような海藻は今のところ見つかっていないことから、外洋域では生きられない形態なのでしょう。以上の理由から、海の表面はプランクトンの世界ですから、以降では主にプランクトンへの影響について概説します。
人類が今後どれほどの二酸化炭素の総排出量(排出量+吸収量)を制御するかによって、将来の温暖化予測値は変わりますが、100年後の地球の平均気温は産業革命の時代と比較して2~4℃高くなると予想されています。温暖化傾向は緯度によって異なる可能性が高く、北極圏では今世紀末までに4~8℃上昇すると推定されています。生物への昇温の影響も緯度で異なり、熱帯や温帯において生息可能な温度の上限を超えた生き物は、北半球では北へ、南半球では南へ移動すると考えられます。極域における昇温は、生物の成長や分解の速度が上がり、現代より活発な生態系が築かれるかもしれませんが、詳細は未解明です。もちろん、昇温に適応できない好冷性の生き物は、より寒い高緯度に移動する余地がないので、深海に逃げ込んで新たな生態系を築く可能性に賭けるか、死に絶えるかの選択になると思われます。生物の分布において、温度は最も重要な要素の一つなので、昇温の影響を精査することは重要な研究課題です。
大気に放出された二酸化炭素の約四分の一は海に溶け込んでいます(図3)。二酸化炭素は水と反応して不安定な炭酸(H2CO3)を経て重炭酸イオン(HCO3−)に分配され、水素イオン(H+)が放出されます。炭酸イオン(CO32−)の一部は、水素イオンの増加を干渉して重炭酸イオンになります。すべての反応が平衡に達すると、水素イオン濃度は上昇します(=pHの低下)。
図3. 人為起源二酸化炭素の発生量と大気、陸上植物および海洋への分配量
下に示したのは、海水に溶解した二酸化炭素の化学平衡で、二酸化炭素の溶解量が増えるにつれて水素イオン(H+)が増加(=pHの低下)します。
画像提供:海洋研究開発機構
17世紀ごろの大気の二酸化炭素濃度(280 ppm)と平衡にある海水のpHは8.2の弱アルカリ性でした。そこから2020年には二酸化炭素濃度が約413 ppmまで上昇し、pHは約8.05まで低下しています。中性(pH=7)より酸性になるわけではありませんが、人為起源の二酸化炭素の増加によって酸性側に近づいていく環境問題を海洋酸性化と呼びます。この0.15のpHの低下は、水素イオン濃度を1.4倍増加させる変化です。今後も水素イオン濃度は上昇し続けると考えられるので、プランクトン細胞周辺の膜電位などへの影響が懸念されています。
地球温暖化の将来予測には、二酸化炭素以外の多くの要因が複雑に絡み合っているため、未だに不確かさを伴っています。一方の海洋酸性化は、基本的には海水と二酸化炭素との化学反応で決まるため、二酸化炭素濃度が増え続ける限り海洋酸性化は確実に進行します(気象庁HP参照)。海水が酸性側に近づいていくにつれ、海洋生態系においてどのような問題が出てくるのでしょうか。
海洋酸性化において最も危惧されている問題は、炭酸カルシウム(石灰)が溶けやすくなることです。海で炭酸カルシウムを沈積させている生物は、熱帯の造礁サンゴ、深海性サンゴ、ウニ、貝類、甲殻類、石灰藻、有孔虫、円石藻などであり、観光、宝飾および食料資源として重要な生物群が含まれます。サンゴが無くなれば、サンゴ礁を住みかとする生態系全体の喪失という、とても大きな環境破壊が起こり得ます。また、ウニや貝類は、幼生の時の酸性化により、発育不良等の成長障害を引き起こすことが知られています(海洋と生物,2013)。太平洋の東側、アメリカの西海岸におけるカキの養殖は、海洋酸性化により既に被害が出始めており、ABCやNBCなどの主要メディアで頻繁に取り上げられるほどの問題となっています。その他、石灰藻はウニやアワビ等の着底・変態において重要な役割を果たしているし、円石藻(植物プランクトン)は生態系の基盤の一部なので、海洋酸性化が生態系に与える影響は非常に大きいと考えられます。
他方、一部の植物プランクトンは海洋酸性化によって増殖速度が加速する種の存在が知られており、植物プランクトンの種組成の変化とそれらを餌とする動物プランクトン以上の高次栄養段階生物への影響が懸念されています(杉江・芳村,2011;杉江,2018)。地球規模で起こる海洋酸性化の影響を最小限に抑えるためにできることは、二酸化炭素の総排出量を減らす以外にありません。
上記までにおいて、環境変動に対する海の表層への影響の大きさから主にプランクトン生態系について紹介しましたが、大陸棚上の浅海域(沿岸)であれば、水深100 m程度であってもほぼ表層なので海底に生息する生物への影響も深刻にとらえなければいけません。海の生き物は、昇温や酸性化の環境変化がずっと続いても大丈夫なのでしょうか。ありとあらゆる懸念がぬぐい切れません。しかしながら、ここまで読んでいただいて、様々な海域で何℃の昇温までなら、何ppmの二酸化炭素上昇までならその場の生き物が壊滅的な影響を受けないのか?という疑問が湧いてきたりしないでしょうか。あるいは、人類が目指すべき、許容すべき環境変動の閾値はどこにあるのだろうか、などの疑問が生じてくるのではないでしょうか。
その問いに対する答えの一つが、2015年に開催された国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)において採択されたパリ協定にある、「世界全体の平均気温の上昇を工業化以前と比べて2℃以内に抑えること、可能な限り1.5℃以内に抑える努力をすること」という目標です(環境省HP参照)。この目標を達成するために、国連サミットが定めたSDGs(Sustainable Development Goals)や2017年の国連総会において宣言された、2021年から実施される「国連海洋科学の10年(Ocean DecadeあるいはThe Decade of Ocean Science for Sustainable Development)」など、気候変動において海がいかに重要であるかの認識は近年高まる一方です。
しかしながら、二酸化炭素濃度の上昇に端を発した気候変動に伴う多様な環境変化が、多様な生物の多様な生きざまに与える影響を網羅的に把握することは難しいかもしれません。一方で、自然の神秘と新発見がその複雑系の中にたくさん潜んでおります。視野と視座の広さと柔軟さを持った研究者が数多く育成されることを望んでおります。
The Intergovernmental Panel on Climate Change (IPCC) (https://www.ipcc.ch/)[英文]
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