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更新日:2024年5月13日

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神奈川県の県名由来・立庁記念日

神奈川県の県名由来・立庁記念日をお知らせするページです。

県名の由来

「かながわ」の名は、鶴岡八幡宮所蔵の文永3年(1266)の文書に、「武蔵国稲目、神奈河両郷」の郷名としてみられます。「神奈河」は、神名川、上無川などとも書かれ、武蔵国久良岐郡(近世からは同国橘樹郡)内の地域(現在の横浜市神奈川区)をいい、古くから陸上・海上交通の重要なところでした。

これが県名になったのは、横浜港開港に伴い、安政6年(1859)に「神奈川奉行所」を置いたことによります。そして、明治元年(1868)9月に神奈川県となりました。

立庁記念日

神奈川の始まり―立庁記念日はいつなのか?

その問いに対する回答は非常に難しいです。

何故なら江戸末期から明治初期にかけて、神奈川は日本の激動期の真っただ中に置かれていました。国内、国外での慌ただしい舞台にさらされ、変遷の連続であったからです。

慶応三年、王政復活により樹立された維新政府は、幕府の神奈川奉行所を接収し、慶応4年3月、「横浜裁判所」としました。この裁判所は現在のものとは異なり、司法だけでなく通関、税務、治安取り締まり、一般行政も受け持つ、いわば現在の県庁の前身でありました。

維新政府は混乱期にあり、この裁判所を4月に「神奈川裁判所」、6月には「神奈川府」と慌ただしくその名称を変えています。

そして元号が明治となった年の9月21日には、神奈川府を「神奈川県」と改称しています。この「神奈川県」は、現在の県域とは大きく異なりますが、これにより、歴史上初めて「神奈川県」の名がここに登場したのです。

その後、明治4年の廃藩置県、9年の足柄県の編入、26年には多摩3郡が東京府へ移管され、現在の神奈川県域が確定されました。

県の誕生をいつの時点とするのかは、体制を見るか、名称を見るか、行政区画を見るかで意見は様々ですが、県史では横浜裁判所が設置された慶応4年3月19日を、立庁記念日としています。

神奈川県成立までの変遷

元号年
(年号)
できごと
慶応4年
(1868年)
(3月19日)神奈川奉行所を横浜裁判所に名称変更
(4月20日)横浜裁判所を神奈川裁判所に名称変更
(6月17日)神奈川裁判所を神奈川府に名称変更
明治元年
(1868年)
(9月21日)神奈川府を神奈川県に名称変更
明治4年
(1871年)
廃藩置県
(7月14日)六浦藩を六浦県、荻野山中藩を荻野山中県、小田原藩を小田原県に名称変更
(9月)六浦県を廃して、神奈川県に統合
(9月)荻野山中県、韮山県を廃して、小田原県に統合
(11月14日)小田原県を足柄県に名称変更
明治9年
(1876年)
(4月18日)足柄県を廃して、神奈川県に統合
明治26年
(1893年)
(4月1日)多摩3郡を東京府へ分離

 

参考文献:「角川日本地名大辞典 14 神奈川県」「太政類典」「神奈川県統計書」(明治14年)「地方沿革略譜」

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