神奈川非核兵器県宣言に至った背景
1980年代初頭、東西冷戦の状況下で、米ソ軍拡の進行に加えて、米国中距離ミサイル(INF)の欧州配備の可能性が強まり、現実に核戦争が起こるのではないかとの世論が欧州のみならず日本でも高まり、148万にものぼる県民から署名請願が寄せられました。また、県議会における数度の非核3原則の堅持を求める意見書決議などを受け、「核兵器廃絶と恒久平和の実現」に向けた県民の願いと決意を国内外に訴えるため、昭和59年7月4日に「神奈川非核兵器県宣言」の議案を県議会に提案し、翌7月5日に議決されました。
核兵器を廃絶し、恒久平和を実現することは、世界唯一の核被爆国日本の国民共通の悲願 であり、神奈川県民の心からの希求である。 核兵器の増強による国際緊張の高まりが、世界の平和と人類の生存に脅威を与えつつある 今日、私たちは核兵器の廃絶と軍縮を世界に訴えざるを得ない。 美しい郷土を守り、豊かな暮らしを子や孫へ伝えることは、私たちの責務である。 私たち神奈川県民は、国是である「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則 を県是とすることを宣言する。 昭和59年7月5日 |