スペシャルインタビュー
学びのススメ
大きなキャリアチェンジをきっかけに「学び直し」を考える方も少なくありません。
第一線で活躍をされている著名人の方々に、
体験談を含めてご自身の「学び」について伺ったスペシャルインタビューです。
田中 優子氏インタビュー
広い視野を持つことで、
「自分が何者なのか」という
座標軸を見つける
江戸文化研究者として、また法政大学前総長としても知られる田中優子氏。江戸文学を生業とされた経緯や、江戸の人々の生き生きとした魅力、現代における読書や学びの重要性など、お話を伺いました。
2024/08/30
江戸文学には全く興味がなかった時に出会った、一冊の本
江戸文化の研究者としてその魅力を伝え続けていらっしゃいますが、江戸に興味をもたれるまでの道程をお伺いできますでしょうか。
幼少の頃から本が好きで、両親に連れられてよく古本屋に通っていました。古本屋は子どもの本と大人の本が区別しておいてあるわけではないので、手当たり次第パラパラめくって、気に入ったものを選んでいました。そのせいか、割と早いうちから文字の本を読んでいましたね。小学校に入って図書委員になったのも、図書館に居たいからという理由でした。
中学生になって近所に新刊本の本屋ができ、学校の帰りに本屋に寄ることが日課になりました。SFに興味を持ちまして、そのせいで天体観察をするようになりました。望遠鏡なんてない時代ですから、紙でできた星座早見盤を片手に星を見る。空ばかり見ていてお勉強をしなくなったものですから、どんどん成績が下がっていったんです。今でもそう思っているんですけれど、本を読んでいれば学校の成績が上がるなんてことはないんですよ。(笑)
高校時代に職業選択を考えた時、物書きになりたいと思いまして、法政大学に進学しました。文章を書くことに力を入れたいという思いから主に近代文学や文芸評論を読んでいて、古典も多少読んでいたのですが、実は江戸文学には全く興味がなかったんです。むしろそこだけは外していたくらいでした。
大学3年時のゼミの課題で、フランス文学者石川淳氏の著書に出会いました。その中に「江戸人の発想法について」という短い評論があったのですが、それまで江戸文学に触れていなかった私は衝撃を受けたんです。近代の日本人の考え方や価値観、自我の確立を重んじる考えとは全く正反対の世界によって、自分の中のこれまでの文学観や古典の世界観、近代文学も含めて全部がひっくり返されてしまいました。その時、江戸時代の一番大切な根本が「わかった」と直感したんです。それからずっと江戸文学に携わっていますが、その直感はぶれることも正すこともなく自分の中にずっとある正解だったと感じています。
江戸の人々の魅力について教えてください
江戸の人々の「自分がたくさんあっていい」という考え方がすごく面白い!もちろん実際の体は一つですが、頭の中にいくつもの自分があっていい、なぜなら一人の人間には必ず複数の才能があるからという考え方で、絵を描く時と文学仲間と集う時には、普段の自分とは違う名前をそれぞれ持っていたり。葛飾北斎のように描く絵が変わると名前まで変えてしまったりすることも、江戸の人たちにとってはごく自然なことだったのです。
そうすると、アートの世界にはアートの仲間が、文学には文学の仲間が、あっちにはあっちの、こっちにはこっちの仲間ができて、それぞれの分野で全く違ったネットワークが広がっていきます。たくさんのネットワークが絡み合い、アイディアが広がり、さらにいろいろな組み合わせが出来上がってくるんです。浮世絵を見てみても、どこかに文学のテーマがあったり、歌舞伎の世界があったり、さまざまなジャンルが垣間見られる。ジャンルが交わった作品を読み解くところに面白さがあります。
江戸時代には多くの文学作品が生み出されていて、その一つ一つがとても面白い。多くのネットワークを持っていたことが、江戸の人々の創造力の源だったのかもしれません。
情報の収集時に、発信するための作業や認識が伴うことが大切
江戸時代の学びと現代の学びについて、お考えを聞かせていただけますか?
江戸時代の寺子屋の浮世絵がたくさん残っているのですが、子どもたちは誰も先生の方を向いていない。転げ回って遊んでいたり、中には先生の鼻の中にこよりをいれてふざけていたり!(笑)なぜそんな風に学べるのかというと、寺子屋には年齢の違う子どもたちが集まるので、勉強の内容が皆違う。一人ひとりが使う教科書も違う。そのため皆が自由に自分のペースで学んでいるからです。生徒がたくさんいる家庭教師みたいなものでしょう。江戸時代は個人教育が主だったのです。
藩校などの高等教育の場では同じ教科書を使って学びますが、基本は音読。声を出して読んで、その音を自分の耳で聞いて体に染み込ませていく。意味はわからなくていいのです。一通り記憶したら、それから先生が講義で意味を教える。その時初めて一斉教育になります。そのあと10人くらいの小さなグループに分かれてディスカッションをしていく会読(かいどく)という段階があり、ここで反論や議論が生まれ、自分の言葉で話す訓練をしていく。最終的には個人と個人の間で学びが深まっていきました。
現代は、同じ年の子どもたちが同じ教科書を使い、大勢で学んでいます。これは個人教育の対局にあたりますが、義務教育制度の確立が教育の裾野を広げたことには大きな意義がありますね。江戸時代には貧しさや家庭の手伝いなどで学べない子どもたちが大勢いましたが、今はほとんどが高校まで行くようになり、その後も進学する人は80%と言われていることを鑑みても、教育の裾野が確実に広がったことがわかります。
江戸時代のネットワークという言葉が出てきましたが、今の時代のネットワークとの違いや共通点はどんなところにありますか?
江戸時代は農業人口が80%ほどを占めていたのですが、これはものづくりに携わっている人がそれだけいたということです。器や着物、紙など、生活の中にあるものは、ほとんど農村で作られていました。農民が書く農書は、今でいうマニュアル本なのですが、細かい説明やわかりやすい絵がたくさん書いてあり、それを手にした人々が自分もやってみる。この積み重ねで技術が発展してきたのですが、その基本にあるのは「本作り」です。江戸時代は出版の時代でもあるのです。書物は全国に行き渡り、大切な情報が発信され、拡散されていきました。本を介した全国規模のネットワークがあったということです。
情報の集約もありました。江戸時代中期に、全国の藩にある魚や鳥、ものづくりなどをまとめて提出するよう、幕府からお達しが出されました。それに従い各藩はリストアップを行うのですが、リストアップすることで自分の藩の特性を初めて理解し、発展に一層力を入れるようになるのです。
情報の収集とは、収集する動きがあった時に、発信するための作業や認識が伴うことが、とても大切なのです。
今の世の中にはインターネットがあり、膨大なネットワークにより世界が大きく広がっています。
情報をどこかに集めておく、情報を発信することにより事象を確認していく、ということは今も江戸の時代も同じですが、インターネットでは事象に対して自分の興味のある情報だけを見て、それ以外は見ない、という使い方がされています。そのため、現代の方が視野が狭くなっているように思います。
だからこそ今、本を読むことが大切だと感じています。読むことで相対的な他人の存在を感じ、今ここにおかれている自分は、社会の中の、世界の中の、どこにいるのか、どんな過程でここにいるのかという座標軸を発見していく。これが読書なのです。
広い視野は知識をたくさん持っているということではなく、自分がどこにいるのかを掴んでいくこと。自分が何をすべきか、明日をどう生きていくのか、その問いの答えを知ることが大切です。それを知っているのと知らないのでは精神的な安定が全く違います。
読むこと、学ぶことに関して、取り組んでおられる活動について教えてください。
2008年にアメリカでスタートした教育活動で、オンラインを通じて海外や遠方の教育機関の講義を視聴することのできるプラットフォーム「MOOC(ムーク)」の日本版「JMOOC(ジェイムーク)」の副理事長を勤めています。大学や企業から会員を集め動画で教育を提供し、学校に通わなくてもインターネット上で無料で学ぶことができる教育活動なのですが、現在、大学の単位に組み入れる仕組みづくりが始まっています。どこにいようと学歴につながるという重要な役割を担えることを期待しています。
新しい分野の「データサイエンス」の授業などはとても人気が高いのですが、社会に出た方々が在学中には学べなかった新しい分野を学びたいという意欲を感じます。
もうひとつ、「編集工学研究所」という、松岡正剛(まつおかせいごう)氏率いる組織があり、私はそこで運営されている私塾「イシス編集学校」のアドバイザリーボード・メンバーとして参画しています※。
イシス編集学校の特徴は、ひとつは共読です。膨大な本を読みながら意見を交わす場があり、それによって多様な読みに気づくことができます。もうひとつは「読書」を「書くこと」につなげることを方法にしていることです。一つの分野に特化することなく、分野が入り混ざっていることも特徴的です。知識の有り無しではなく、自分の言葉を発見し、自分の言葉で書けるようになることを目的としています。講義を聞く、本を買うという受け身の私塾が多い中で、対話しながら、自らの言葉で書く経験を重ねる方法は、これからの時代にとても大切な学びかただと感じています。
※2024年9月より学長に就任
本当の意味での知性を身につけるためにも、生涯学習は欠かせないこと
生涯学習の重要性とはどこにあるのでしょうか。
本当の意味での知性を身につけるために、生涯学習は欠かせないことだと思っています。
知性とは自分の言葉で表現すること。コミュニティの中で発言することや、自分の中で瞬時にまとめて自分の言葉にすることを繰り返すことは、知性を身につけるためにとても有効なことです。
新しいネットワークが構築されることで、コミュニティが混ざり合い、新たな知識を得て、発言する機会が増えていく。ネットワークを増やすことで、知性を増やしていく。自分が今どこにいるのか、何ができるのかという座標軸を掴んで次の場所に行くために、生涯学習はとても価値のあることだと思っています。
生涯学習に興味のある方々へのメッセージをお願いします。
江戸時代の人々はいくつもの自分や別世界を持っていました。「窮屈な役割にがんじがらめになっている自分」から解き放たれた自分を持っていたのです。これは大きなヒントです。違う時空があることに好奇心が湧いてくる。その好奇心が作り出してきた文化やモノの力が、今の日本を作ってきたのですから。
面白いと思う気持ちはとても大切です。何かやりたいという好奇心…今やりたいこと、やりたかったけれどもやれなかったこと、試しにやってみようかなと思うことがあれば、とにかく始めてみてください。
好奇心は収入や利益に繋がることが全てではなく、より豊かな世界につながっていくことであなたの知性を高めるものなのです。
プロフィール
田中 優子(たなか ゆうこ)氏
1952年(昭和27年)1月30日、神奈川県横浜市生まれ 芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した処女作『江戸の想像力』(1986年)や、芸術選奨文部科学大臣賞・サントリー学芸賞作『江戸百夢 - 近世図像学の楽しみ』(2000年)など、江戸をテーマにした著書・共著多数。法政大学第19代 総長。紫綬褒章受章(2005年)