スペシャルインタビュー
学びのススメ
大きなキャリアチェンジをきっかけに「学び直し」を考える方も少なくありません。
第一線で活躍をされている著名人の方々に、
体験談を含めてご自身の「学び」について伺ったスペシャルインタビューです。
町田樹氏インタビュー
自身の体で経験したことが
自身の心に結びついた知識、
「実践知」が、生涯を通して
どれだけ蓄えられるかということが重要です。
フィギュアスケーターとして数々の実績を残し、その後研究者に転身された町田樹氏。セカンドキャリア形成までの移行期間や、研究者となる道程など、ご自身が「汽水域※」と呼ばれる興味深い学びについてお話を伺いました。
※汽水域:
淡水と海水がまじりあっている状態。河口や湧き水のある海中など塩水・淡水の両方から構成されている水域。
2025/01/30
全ての物事と能動的に対峙するきっかけとなったマインドシフト
フィギュアスケートを始められたきっかけを教えていただけますか。
フィギュアスケートは物心がつく前の3歳の時に始めました。1990年代はレジャーとしてスケートとボウリングが全盛期の時代。当時は千葉県松戸市に住んでいたのですが、家族でよく買物に行く近所のスーパーマーケットの1階にスケートリンクがあり、「そこにスケートリンクがあったから」という偶然の出会いで両親がスケート教室に通わせてくれたことが、きっかけでした。
スケートを続けてきた理由として、自分 - フィギアスケート = 0 という思い、つまり自分からフィギュアスケートを取ってしまったら何も残らないのでは、という強迫観念のようなものがあり、やらざるを得ない義務感で受動的に続けていました。そういうとネガティブに聞こえてしまうかもしれませんが、実は子供の頃、私はものすごく人見知りな性格で、人前で喋ったり表現したりすることがとても苦手だった。授業中に手を挙げて発言することすら冷や汗をかきながら一大決心をしないとできませんでした。ただ、理由はわからないのですが、なぜかリンクに上がると何も恥ずかしいことがなくなり、何の障壁も感じることなく自分を表現することができた。自己表現する場所が氷の上の空間しかなかったということも、フィギュアスケートを続ける原動力になっていたのだと思います。
その後、関西大学に進学し、初めて自分自身が興味のあることを選んで学ぶことができる環境に身を置いたことで、全ての物事と能動的に対峙するマインドにシフトしていきました。フィギュアスケートに対しても、今まで失敗しても「悔しいな」で終わっていたことを、なぜ失敗したのか、その因果関係を分析し判断して、次に何をすべきなのかを考えるサイクルを自ら回すことで、二度とその轍を踏まないようにすれば成功に近づいて行くという、そのマインドが実践できるようになったことは大きなポイントだったと思います。
アイデンティティを確立した汽水域という期間
プロスケーターへの転身と早稲田大学大学院への進学。
ご自身で「汽水域」と表現していらっしゃるこの時期のことについて教えていただけますか。
悲しいかな、アスリートの肉体というものは、有限です。一般的に終身雇用で働いた場合、65歳、70歳といった年齢まで、同じ肉体、同じ職業、同じアイデンティティで現役として活躍できますが、アスリートの多くは若くして引退せざるを得ません。特にフィギュアスケートはその時期が早い。大学の後半くらいから、もう今の自分の肉体とアイデンティティにすがっていたままでは、いつか沈んでしまう、自分は泥舟に乗っているようなものだと考えるようになりました。そこで、もうひとつ別の心身や能力を手に入れて乗り移らないとまずいと思いました。しかし、人間はウルトラマンのように瞬時に変身できるわけではありません。次に乗り移るべきセカンドキャリアという名の船に乗る準備をしたとしても、そこに行き着くまでにはおそらく5年くらいかかる。学生ですから経済的なことも考えなければなりません。2014年12月に競技選手を引退し、2015年4月から早稲田大学の大学院に進学したのですが、あえてデュアル(dual)で進む期間、汽水域を作り、プロスケーターとして頂くギャランティで学費を工面しながら、研究者になる準備に取り掛かりました。
第二の自分として選んだ研究者の道では、研究テーマの一つがフィギュアスケートでしたので、実践者でもあり研究者でもあるという汽水域の期間があったことで、相乗作用・互恵関係が生まれたことは良かったと思っています。フィギュアスケーターとして気づいた違和感や課題が自分の研究につながり、その研究をまたフィギュアスケートに還元していくことができました。研究者たる私の学問知を実践知に還元していく。スポーツ科学は実学で現場に還元されないと意味がない分野なので、自分の経験が生きているのだと思います。論文に書いたことをいかに社会に還元していくかが非常に大切で、理論と実践を往還しながらそれぞれの現場に身を置き、また新しい課題に気づく。たとえスケーターとしては引退していても、振付家としてバレエやフィギュアスケートの振り付けを行なったり、スポーツ解説者として現場に還元できていることを鑑みると、究極的に言えばまだ汽水域は終わっていないのかもしれません。
汽水域は自然に生まれてきたものではなく、ご自身が設定された意識的なものなのですね。
私がなぜ汽水域という状況に身を置いたり、それを意識したりしているかというと、私自身のアイデンティティが常に未確定であったことが挙げられると思います。アーティスティックスポーツであるフィギュアスケート自体が汽水域的な文化で、時折、サッカーや野球をされる方からはスポーツではないと言われかねず、バレエやオペラなどの舞台芸術からは、B級芸術だと言われかねません。フィギュアスケーターとしての自分はアーティストとアスリートの両義性を持ち合わせていたのですが、裏を返せばどちらにもアイデンティティがない。批判されるたびに揺らいできたわけです。また、転勤族だったこともあり、自分の居場所という土地的なアイデンティティも欠如していました。川崎で生まれて松戸、広島、大阪と転居し、選手時代はロサンゼルスにスケート留学し、そして今は東京にいます。標準語を話す私は関西ではよそ者扱いされたこともありましたし、どこにも属さない自分というものに寂しさやコンプレックスを感じていました。
今私は、文化と文化の融合、あるいはフュージョンの可能性と限界のようなこと、舞踊のジャンル越境・ジャンル融合などについて研究しているのですが、汽水域にいるからこそ見えてくるものがあると感じています。根っからのアスリートやアーティストはスポーツとは何か、あるいはアートとは何かを考えることはあまりないと思いますが、それらが入り混じるフィギュアスケートなどの汽水域的文化に身を置く人は意識的に考えざるを得ない。だからこそ、そのスポーツやアートの両方を相対的に理解できるメリットはあると思います。その可能性を研究者になって掴み、今は汽水域に存在していること自体が自分のアイデンティティなのだと認識しています。
研究者への道につながった雑食的な学び
なぜセカンドキャリアとして研究者を選ばれたのでしょうか。
中学高校時代から、非常に多岐にわたる分野の本を読んでいました。読書だけではなく音楽もあらゆるジャンルを聞き漁っていました。好きなジャンルに偏ってはいけないという思いがあり、偶然の出会いで手に取った本も最後まで通読する。ルポだったり小説だったり哲学書だったり。雑食です。今の時代はインターネットの世界で自分が好きなものや興味のあることにしかアクセスしなくなりがちですが、私は雑食であることにより偶然の出会いが新たな自分を知ること、新たな知識を得ることにつながる経験をしてきました。
なぜ雑食なのかといえば、私は「全てはつながっている」という考えを持っているからです。例えば蜘蛛の巣のように張り巡らされた世界を想像してみてください。蜘蛛の巣の一部分だけを勉強していて、自分にはそれしか見えていなくても、巡り巡ってあっちの全く関係ないような知識とこっちの知識が有機的につながっているという考え方。これはもはや考え方と言うよりこの世の真理と言ったほうが近いでしょうか。一見関係がないような知識だとしても、ある日、ある瞬間、そのつながりがスパンと通る。雑食をしていると電流が走るような面白さ、快感を知り、そして学びたくなる。もともと学ぶことは好きだったのですが、画一的に学んだ高校までの勉強とは違う、大学での勉強がすごく好きでした。様々な分野で広く学びたくて、大学では興味のある授業を片っ端から受けていましたね。授業やレポートなどにもものすごく真面目に取り組んでいました。
自分のセカンドキャリアを考えていた時、私のその雑食的な学び方に目を留めてくださったある大学の先生から、「もしかしたらあなたは研究者に向いているかもしれない」という言葉をかけていただいたことが、研究者の道を進むきっかけでした。調べてみると、研究者になるためには博士号という学位を取る必要があるとか、博士論文という本みたいに分厚い論文を書くとか、ハードルは高かったのですが、もう泥舟としてのアスリートの身体を乗り換えなくてはならないという思いから迷っている暇はなく、怖いもの知らずでしたが決断は早かったですね。
知的好奇心に身を任せていくこと、それが生涯学習
生涯学習について、どのようなお考えをお持ちでしょうか。
現在、私は大学で体育の教員を養成する授業を受け持っているのですが、義務教育の学習指導要領を読む中で素晴らしい考え方だと思っているのが、「体育の授業がなぜあるのか」という存在意義の定義です。なぜスポーツが学校教育の中に組み込まれているかというと、一つの理念として「生涯打ち込める、あるいは生涯取り組めるスポーツや身体文化に出会うため」というものがあります。先に述べた雑食的な考えと同じです。義務教育課程で機会均等に様々なスポーツや身体文化の経験を提供する。嫌いでも好きでも色々やってみることで徐々に生涯にわたり取り組めるものが見つかることを狙っているのです。やってみて初めて「卓球が面白いな」とか「水泳が好きかも」ということがわかる。雑食することでビビッとくるものと巡り会える可能性が高まるわけです。体験を通じて判断することが大切で、その体験があることで次に何をするべきかという問いへのステップに進めるわけです。雑食は学びを次の学びにつなげていくための手段です。「これだ!」と思えるものに巡り合ったら、一途に突き詰めていく。知的好奇心に身を任せていくことは立派な生涯学習だと思います。
神奈川県立図書館が企画している「大人がはじめる学び方講座」では「まなびノート」という生涯学習補助教材を使用しています。自身の内面を言語化していく取組について、考えを聞かせていただけますか?
普通、人は考えたことを書きますが、一方で人は書くことによって考えることもあると思っています。私も論文を書くときは、まず、立てた仮説を紙に書き出します。そうすると次に何を考えたり、調査したりすべきかが見えてくる。書くことで、論理を通す根拠を調べるための行動が生まれます。日記を例にとれば、書かなければ何気なく通り過ぎてしまう1日でも、書くために「今日何があったか」とじっくり考えますよね。書くことによって考察し、整理し、行動が導き出される。このように、まさに「書くことは考えること」なので、とても大切なことだと思います。
生涯学習を考えている方々へのメッセージをお願いします。
アカデミアの領域や一般社会では、「学問知」、いわゆる理論的知識が良しとされている風潮がありますが、自分で経験することで得られる「実践知」も同じくらい大切だと思っています。私は研究者として研究のほか、テレビ番組の台本やコラムの執筆なども仕事としていますが、自分の肉体で経験している実践知しか書かないということをモットーにしています。資格を取ったり学校に行ったりすることだけではなく、「私の」身体で経験したことから得られた現象と「私の」体と心が巡り合い結びついた知識が「実践知」となっていく。その実践知が生涯を通してどれだけ自分の体と心に蓄えられるかということが重要で、それは自分で行動を起こさなければ得られません。また、より良い実践知を得たり、得た経験を深く咀嚼するためには、自分のスキルを高めたり、「学問知」を獲得する必要があります。そう、「学問知」と「実践知」は車の両輪なのです。
こうして自ら経験することと、学問や勉強などをして知識やスキルを獲得することを同時に回していくことが豊かな生涯学習につながるのではないでしょうか。
プロフィール
町田樹氏
研究者・博士(スポーツ科学)
國學院大學人間開発学部 健康体育学科 准教授
元フィギュアスケーター。振付家。2014年ソチオリンピック5位入賞、2014年世界選手権2位、2010年四大陸選手権2位、2013年全日本選手権2位、2013年・2014年GPスケートアメリカ2年連続優勝、2006年全日本ジュニア選手権優勝など実績多数。2014年に競技活動を引退。翌2015年3月に関西大学文学部総合人文学科(身体運動文化専修)を卒業し、同年4月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程へ進学。2020年3月に博士後期課程修了、博士(スポーツ科学)を取得。
主著は、『アーティスティックスポーツ研究序説――フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』(白水社、2020年)、『若きアスリートへの手紙――〈競技する身体〉の哲学』(山と溪谷社、2022年)、『フィギュアスケートと音楽――さあ、氷上芸術の世界へ』(共著、音楽之友社、2022年)などがある。