更新日:2020年7月14日
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いずみちゃん カッピー、こんにちは。今度は江戸時代の水道事情と歴史について教えてくれるんだって?よろしくね! |
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カッピー はーい、よろしく。さあ、さっそくいきますよ。今は蛇口をひねると当たり前にきれいな水道水が出てくるけど、昔は水をわざわざ川へ汲みに行っていたんだよね。 |
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いずみちゃん 水道自体がなかったのね。日本では、いつ頃、どんなふうに水道ができていったのかしら? |
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カッピー 徳川幕府が開かれる少し前、1590年に家康の命令により江戸に「小石川上水」が作られたのが最初。当時は木や石で水道管ができていたんだ。この上水は、その後発展、拡張して「神田上水」になる。さらに江戸の人口が増えた後は1653年に「玉川上水」が作られ、多摩川から江戸市中まで43kmに及ぶ水道が通ったんだね。 |
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いずみちゃん ふーん、そうなのね。でも、時代劇を見ると江戸の長屋には必ず井戸があって、おかみさんたちが井戸端で洗濯とかしているイメージがあるんだけど、井戸水は使ってなかったの? |
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カッピー いずみちゃん、いい質問だね♪「掘り抜き井戸」は地下水のあるところまで掘って、そこから水を汲みだすんだけど、江戸は埋め立て地が多かったので掘っても飲める水は出にくいんだ。だから江戸市中の井戸の多くは「上水井戸」と言って、神田上水などの水道管につながっているんだよ。つまり、各上水の「蛇口」が長屋などにある「上水井戸」なんだね。 |
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いずみちゃん うわー、びっくり!そういうことなの?おもしろーい!これからは時代劇を見る目が変わっちゃう! |
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カッピー 面白いといえば、神田上水の主水源は、現在の武蔵野市と三鷹市にまたがる「井の頭恩賜公園」の「井の頭池」で、「井戸」の「頭」だから「井の頭池」と徳川家光が命名した、という説が有力なんだ(注:諸説あり) |
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いずみちゃん 「井戸」の「頭」だから「井の頭」なんだぁ。またまた面白ーい!カッピー、今回も意外で楽しいお話ありがとう!さて次回は、近代水道について解説してもらいまーす。皆さんお楽しみに。 |
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