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初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月10日
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キーワード:地域全体の慰霊、外国人被害
※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載
震災当時の横浜市は、現在の中区、西区の全域と南区、磯子区、神奈川区の一部を含む市域でしたが、この旧横浜市の被害は、全潰建物約1万5,500棟(神奈川県全体の約4分の1)、火災による焼失建物約2万5,300棟(神奈川県全体の約7割)、死者約2万6,600名(神奈川県全体の約8割)と、神奈川県内で最大の被害が出た地域となりました15。
西区元久保町にある久保山墓地は、JR横須賀線「保土ケ谷駅」南東約800mにある横浜市営の墓地です。
横浜市営バス「久保山霊堂前停留所」を降りて西へ200mほど進み、横浜市久保山墓地管理事務所の脇を通っていくと、公園の先に関東大震災による身元不明者の陵墓が目に入ります(図3.1-1)。その脇には慰霊碑(図3.1-2)や説明板(図3.1-3)があるほか、陵墓に通じる参道の左側には建立者が書かれていない朝鮮人の慰霊碑があります(図3.1-4)。
説明板には、皇室からの恩賜と義援金によって合祀霊場を建設したことが書かれています。また、「大震火災横死者中ノ無縁者ニ對《対》シ本市ハ曩《さき》ニ合葬ヲ行ヒ」とあり、この陵墓が、氏名が分からない犠牲者のために建てられたことが分かります。
霊碑の背面に、「氏名不詳ニシテ假《仮》葬ニ付シタル者實《実》ニ三千三百有餘《余》ヲ算ス」との記載があることから、ここには約3,300名の方が祀られていることが読み取れます。
陵墓の手前にある慰霊碑には、正面に「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」、背面に「昭和四十九年九月一日 少年の日に目撃した一市民建之」とだけ刻まれています。
15 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年
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