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初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年10月10日
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キーワード:建物倒壊
※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載
東急田園都市線「溝の口駅」北約100mにある日蓮宗宗隆寺には、山門を潜ると正面に本堂があり(図3.7-1)、右側に震災の記録を残す宝塔が建っています(図3.7-2)。
お寺の歴史帳39には、「溝口地方の神社は全壊、家屋も全半壊するものが多く、当時の宗隆寺本堂は傾き、祖師堂の柱は折れ、壁は見るも無残に剥落、大宝塔は滅茶滅茶、庫裡は、押しつぶされなかったが大破した。」と、当時の大きな被害が記されています。
宝塔の塔身や台座の記載から、この塔が日蓮上人の550遠忌(1831(天保2)年)にむけて1818(文政元)年に建立された塔であり、その際の世話人は総勢44名であるとされています40。また、1855(安政2)年の安政江戸地震と思われる地震で転倒し3年後の1858(安政5)年10月に再建され、その後、関東地震によって倒壊し、1925(大正14)年に檀家の鈴木清一氏が復旧したことが書かれています。
こうした記録が残っていることで、この宝塔に、大地震のたびに倒れ、修復を繰り返してきた歴史があることがわかります。
39 島田堯存, 「改宗五百年を迎えた溝口宗隆寺」, 宗隆寺, 1961年
40 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その3 県東部編)」, 2016年
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