更新日:2024年9月17日

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水資源の開発(昭和42年の渇水)

昭和42年の渇水について紹介します

3 昭和42年の渇水

相模川総合開発事業の実施により、昭和40年には城山ダムが完成しましたが、それでもまだ高度経済成長による急激な水需要の増加に水源開発が追いつかないという状況にありました。そのような中で、昭和42年には大きな渇水に見舞われました。
昭和42年5月から7月、神奈川県を中心とする南関東一帯は、まれに見る異常渇水に見舞われました。5月31日には、相模湖・津久井湖の貯水量は満水時の22%に激減し、6月1日から、県営水道、横浜市営水道、川崎市営水道、横須賀市営水道は20%の給水制限、農業用水も20%の取水制限を実施し、田植えなどに影響が出ました。
その後も降雨に恵まれず、次第に給水制限が厳しくなり、7月1日からは42.5%の給水制限に至り、断続的に断水が発生して給水車が出動したり、プールの使用やガソリンスタンドでの洗車ができないなど、県民生活、産業活動に大きな影響が出ました。
7月7日・9日になってまとまった降雨があり、7月10日にようやく給水制限が解除されました。

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