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更新日:2024年9月27日
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三浦一族の興亡に深く関わった人物を紹介します。
平安末期、武士の台頭により、東国に多くの氏族が誕生します。その一つ、源家累代の家人となる「三浦一族」は、いつ衣笠城を本城としたのか不詳ですが、『吾妻鏡』では、三浦義村は、曩祖(のうそ)為継が後三年の役※で源義家に従って以降、その恩禄を賜る累代の家人であると語っており、この為継は『奥州後三年記』に三浦氏として初めて登場します。この為継の子義継以降、義明、義澄、義村と源義家の「義」を通字とし、源氏との絆を深めていきます。
※後三年の役(1083~1087)は、源義家が奥羽の清原家衡(いえひら)らを平定した合戦です。
為通から数えて4代当主。
源頼朝挙兵時の三浦一族の棟梁。自らの命と引替えに、一族の隆盛の礎となった人物です。満昌寺にほぼ等身大の木造があり、老将の風格を伝えています。
義明の末子。一族の中でも、三浦宗家(本家)に次ぐ地位にあったといわれます。その城は横須賀市佐原にあり、「佐原十郎義連城跡」の碑が残っています。義連は、源頼朝が三浦を訪れた際、馬上で会釈した上総介(かずさのすけ)広常(ひろつね)を諌めたり、三浦義明の弟岡崎(おかざき)義実(よしざね)が頼朝から水干(当時の衣類)を賜った際、その美服は自分が拝領すべきとして口論に及んだ広常を諌めました。しきたり等に詳しかったことから、八幡宮で静(しずか)御前(ごぜん)が舞う舞台を即興で設えるなど、多彩な才能を披露し、頼朝の信任を得た人物でした。
【関連項目】
エピソード:〔一谷合戦と鵯越えの逆落とし〕
ゆかりの地:〔満願寺〕
義明の次男で嫡子。父義明の死により、家督を継ぎます。
衣笠城合戦の後、頼朝と合流して、やがて鎌倉に入ります。頼朝が、後白河院から上洛を促され福原(現在の神戸市)の平清盛を攻めようとした際に、まず東国固めが肝要と献言。これにより頼朝は鎌倉に留まり、西国へは弟の義経や範頼を派遣しました。1190年の頼朝の上洛には武家の筆頭格として供奉しています。
【関連項目】
エピソード:〔三浦義澄の名誉〕
三浦一族全盛期の当主。執権や公卿の姻戚となり、特に娘婿中納言(ちゅうなごん)二条俊親を都とのパイプ役に使うなど、三浦氏を北条氏と並ぶ家格に押し上げました。また、承久の乱後は、戦後処理のため都に留まったことを見ても、政治的能力が備わっていた人物と思われます。一方、謀略の者と評されることもありました。義村の墓は、三浦海岸の金田湾近く、丘の上の福寿寺の塔頭(子院)だった南向院跡に五輪塔が残っています。
三浦大介義明長子杉本太郎義宗の子。庶流ではあるが、御家人を統率する初代の侍(さむらい)別当(べっとう)(後の侍所(さむらいどころ)別当(べっとう))となりました。都では、和田義盛が三浦一族の長とみられていました。奥州征伐にも加わっており、浄楽寺の阿弥陀三尊像の造立は、その成功を祈願したものとも、北条時政の伊豆願成就院の建立に対抗したものともいわれています。なお、孫の朝盛(とももり)は、和歌を通じて三代将軍実朝(さねとも)に近く侍った学問所番でした。
【関連項目】
エピソード:〔和田合戦〕
ゆかりの場所:〔浄楽寺〕、〔満昌寺〕
【実朝関連情報】
日比谷花壇大船フラワーセンターには、源実朝の「金槐和歌集」に詠まれた樹木が多くあり、ゆかりの和歌とともに紹介されています。
義明の曾孫にあたる。父義村から相模・河内・土佐の守護を継承し、さらに、若狭守を歴任し、幕府の重大案件を都に伝える東使役を務めました。また、筑前国宗像大社領・筑後国神崎庄を預かり、宋との貿易権を獲得し大きな力を持ちます。陰りが見え始めたのは父義村が急死し、北条氏から娶った2人の妻と、烏帽子親で執権の泰時が相次いで没した頃です。さらに最大の理解者・前将軍頼経が帰洛させられました。
三浦氏全盛時代に義村の娘として生まれ、北条泰時の妻となります。おそらく泰村の姉であろう。北条時氏を生み、執権の嫡母となる三浦一族トップの女性です。のちに、三浦氏庶流の佐原盛連に再嫁し、光盛・盛時・時連を生みます。宝治合戦では、北条氏との旧好を重んじ、子らを幕府に付かせて生き残り、その子盛時が「三浦介」を継承していくことになります。三浦郡矢部郷に居住する矢部禅尼に亡夫の遺領安堵状を届けた北条時頼は孫であり、のちに5代執権となる人物です。彼女は横須賀市の名のもととなった横須賀氏・美作(みまさか)国の高田城主や会津の守護葦名氏、秋田角館城主などに三浦の血統を伝えています。
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