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更新日:2024年7月2日
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大和市郷土民家園は、引地川の水源地である泉の森公園の一画にあります。約3,800平方メートルの園内には市域を代表する民家が2棟移築復原され、市重要文化財に指定されています。
郷土民家園は、引地川の水源地である泉の森公園の一画にあります。約3,900平方メートルの園内には市域を代表する民家が2棟移築復原され、市重要文化財に指定されています。
【住所】大和市上草柳629-1
【交通】相鉄本線「相模大塚駅」下車徒歩10分
【TEL】046-260-5790
2022年3月15日、神奈川県大和市にある「郷土民家園」を訪問いたしました。
この「郷土民家園」は、泉の森公園の一角にあります。
泉の森・第3駐車場に車を停め、徒歩で郷土民家園へと向かいます。
ぐるりと道をそって進むと、民家園の入り口が見えてきます。左手、柵の向こう側に見えているのが事務所となります。訪問時、園内で栽培されたシイタケが販売されておりました。
民家園には2つの建物が移築されていますが、
その配置は図のようになっています。
ちょうど敷地内の枝垂れ桜が咲き始めるところでした。
門をくぐり、まず見えてくるのは「旧小川家の主屋」です。
旧小川家の平面図です。
この住宅は江戸時代中期(18世紀半ば)上和田の久田(くでん)集落に建てられたもので、市内に残っていた最古の住宅です。
その古民家を移築し、保存管理されています。もちろん、市重要文化財に指定されています。
屋根は茅葺きの寄棟(よせむね)造り。
棟は杉皮(すぎかわ)をまいて竹で押さえる竹簀の子
(たけすのこ)巻きです。
この「かまど」は移築時に復元したものだそうです。
ザシキとドマの境には1間ごとに3本の柱が立ち、
いずれもチョウナ(手斧)で仕上げてあります。
右奥の畳敷きの間はデエ(デイ)と呼ばれる接客の場となっています。
座敷にある囲炉裏です。土間からすぐのところに設置されています。
この板の間を歩くとすぐにわかるのですが、とても頑丈に作られています。
土間の壁側に昔の農具や日用品が展示されていました。
昔の人々の暮らしぶりが浮かびます。
旧小川家を出て、裏手に周ると「旧北島家主屋」があります。
江戸時代末期(19世紀半ば)に建てられた住宅で、下鶴間の公所(ぐぞ)集落にありました。屋根は茅葺きの入母屋(いりもや)造りで、妻側の軒を高く切り上げてあります。
旧北島家主屋の平面図です。
屋内は4室からなり、手前の板の間はイロリのある方がザシキ、座りナガシのある方がオカッテ、畳敷きの2ヘヤは左側がオク、右側がナンドと呼ばれます。
北島家では建築技術の発達により、小川家にはなかった大黒柱(だいこくばしら)と差鴨居(さしがもい)が発生して、柱の立つ間隔が広くなります。
土間には、再現された「かまど」と、日用品などの展示がありました。
屋根裏は養業に対応して二層に設計され、妻側には風通しや採光のための窓がつけられています。
いかがだったでしょうか。
昔の家屋からは、当時の人々の生活をうかがい知ることができます。
訪問したのが3月中旬。ちょうど桜が咲き始めた矢先でした。郷土民家園の敷地には「河津桜」もあり、それらはすでに葉桜になっておりました。
いろんな季節にゆっくりと訪れる場所としても素敵なところでした。
※神奈川県県央地域の各エリアごとに、夏のベスト5をまとめてあります。ぜひ、チェックしてみてください!
最新情報・大和市郷土民家園公式ページ(やまとナビ)(別ウィンドウで開きます)
常泉寺
境内には一年中四季折々の花が咲き、春のミツマタと秋の白い彼岸花が特に有名です。また、たくさんの「河童」が水の神さまとしてまつられています。
矢倉沢往還の石柱
下鶴間の鶴林寺前を東西に走る街道は矢倉沢往還と呼ばれ、江戸の赤坂御門から南足柄の矢倉沢に至り、足柄峠を経て駿河国(静岡県)の沼津や三島に通じる古道で、東海道の脇往還として東西を結ぶ政治・経済上重要な街道でした。
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