初期公開日:2023年8月25日更新日:2024年11月15日
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県内33市町村の文化財保護行政所管課の協力を得て、県内各地に点在する関東大震災に関連する遺構をまとめました。
(注)年の表記は「和暦(西暦)年」に統一した。ただし、碑文等の括弧で囲われた引用文は原文ママ。
(注)所在地は、町・大字レベルまでに統一した(小字は削除した)。
(注)掲載している地図については「国土数値情報(行政区域データ)」(国土交通省)をもとに作成。
地域 | 市町村名 | ||||
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横浜地域 | |||||
川崎地域 | 川崎市(3) | ||||
横須賀三浦地域 | 横須賀市(21) | 鎌倉市 | 逗子市(2) | 三浦市(1) | 葉山町(1) |
県央地域 | 相模原市(18) | 厚木市(15) | 大和市(2) | 海老名市(6) | 座間市(2) |
綾瀬市 | 愛川町 | 清川村 | |||
湘南地域 | 平塚市(4) | 藤沢市(15) | 茅ヶ崎市(15) | 秦野市(9) | 伊勢原市(2) |
寒川町(5) | 大磯町(1) | ||||
県西地域 | 小田原市(1) | 南足柄市(1) | 中井町(1) | 大井町(6) | 松田町(1) |
山北町(7) | 開成町 | 箱根町 | 真鶴町(2) | 湯河原町 |
(1) 自然物
(2) 被災建造物・構造物
(3) 災害復興建造物・構造物
(4) 災害に関する記念碑
(5) その他
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 |
山下公園 |
横浜市中区山下町 | (5) |
H19年2月6日 |
横浜市 | 震災瓦礫で造成。 | 詳細はこちら |
2 | アメリカ海軍病院跡 | 横浜市中区山手町 | (2) | 横浜市 | 被災して倒壊した病院の遺跡。写真は発掘調査実施時のもの。現在は埋め戻されているため、見学不可。 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 関東大震災供養塚 | 川崎市川崎区大師町 | (4) | 川崎大師平間寺 | 大正12(1923)年の震災による死者の供養塔 | 写真はこちら | |
2 | 御大典記念水屋復興記念碑 | 川崎市高津区溝口二丁目 | (4) |
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溝口神社 | 溝口神社水屋の水盤石は嘉永6(1853)年に氏子が奉納し、水屋が建立されたが安政3(1856)年の風水害により倒壊し、大正5(1916)年に大正天皇の即位を記念して再建されたが、関東大震災で再び倒壊した。昭和2(1927)年に再度建立されたことを記念する石碑。 | 写真はこちら |
3 | 下作延神明神社大震災記念額 | 川崎市高津区下作延四丁目 | (5) | 下作延神明神社 | 下作延村が復興する様子等を記録し、再び同じ災害がおきないことを祈願し大正14(1925)年に奉納された。 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 大震災遭難者供養塔 | 横須賀市汐入町二丁目 | (4) | 横須賀市 | 建立年月日:昭和4(1929)年9月1日 建立者:横須賀市 |
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2 | 大震遭難追善地蔵尊碑 | 横須賀市汐入町二丁目 | (4) |
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横須賀市 | 建立年月日:大正13(1924)年4月24日 | |
3 | 大震遭難追善地蔵尊 | 横須賀市汐入町二丁目 | (4) | 横須賀市 | 建立年月日:大正13(1924)年4月24日 | ||
4 | 遭難者碑 | 横須賀市汐入町二丁目 | (4) | 横須賀市 | |||
5 | 大震災遭難者供養塔 | 横須賀市汐入町二丁目 | (4) | 横須賀市 | 建立年月日:昭和4(1929)年9月1日 | ||
6 | 大震災殉難者霊碑 | 横須賀市本町三丁目 | (4) | 建立年月日:大正14(1925)年9月1日 建立者:汐留町世話人ほか |
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7 | 三笠公園と記念艦三笠 | 横須賀市稲岡町 | (2) | 横須賀市(公園) 国(記念艦) |
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8 | 横須賀中央地区の市街地 | 横須賀市大滝町 県道26号線沿線ほか |
(5) | 横須賀中央駅から上町地区にかけての道路は震災復興期の拡幅。横須賀中央駅周辺の平地の中心市街地の主要道路のほとんどは震災復興期の再開発道路。すなわち、横須賀一の中心市街地は震災復興期に原型が築かれている。 | 写真はこちら | ||
9 | 諏訪大神社補修・改築(復興)記念碑 | 横須賀市緑が丘 | (4) | 建立年月日:大正15(1926)年5月 建立者:神職畑宗政、建設委員、氏子 |
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10 | 大震災避難記念碑 | 横須賀市緑が丘 | (4) | 写真はこちら | |||
11 | 震災紀念観音 | 横須賀市緑が丘 | (4) | 建立年月日:大正14(1925)年9月1日 建立者:横須賀市第二町内会有志 |
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12 | 轢死者溺死者追弔塔 | 横須賀市田浦町四丁目 | (4) | 建立年月日:大正13(1924)年9月1日 建立者:在郷軍人会 田浦町分会田浦班 |
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13 | 大正十二年大震災 殃死者群靈寶塔 | 横須賀市田浦町六丁目 | (4) | 建立年月日:大正13(1924)年9月1日 建立者:在郷軍人会 田浦町分会田浦班 |
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14 | 震災供養碑 | 横須賀市東逸見二丁目 | (4) | 建立年月日:大正13(1924)年8月18日 | 写真はこちら | ||
15 | 地蔵尊 | 横須賀市東逸見二丁目 | (4) | 写真はこちら | |||
16 | 大震災供養塔 | 横須賀市走水二丁目 | (4) | 建立年月日:昭和6(1931)年9月1日 建立者:大泉寺、覚栄寺、円照寺、走水区一同 |
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17 | 大震災殃死者の霊(墓) | 横須賀市馬堀町四丁目 | (4) |
建立年月日:昭和5(1930)年9月1日 |
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18 | 関東大震災慰霊塔 | 横須賀市西浦賀一丁目 | (4) | 建立年月日:昭和47(1972)年9月1日 建立者:再建者 野澤恒良 |
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19 | 久里浜の市街地 | 横須賀市久里浜一丁目 横須賀市久里浜六丁目 |
(5) | 関東大地震の隆起で誕生した広大な中心市街地。震災後に第2軍港都市として整備され、横須賀線延伸や京急久里浜線開通につながった。 | 写真はこちら | ||
20 | 大震災殃死者供養塔 | 横須賀市久里浜二丁目 | (4) | 建立年月日:昭和14(1939)年 7回忌命日 | 写真はこちら | ||
21 | 住吉神社の社殿新築紀念碑 | 横須賀市久里浜八丁目 | (4) | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 題目塔 | 逗子市久木六丁目 | (4) | (宗)妙光寺 | 塔身背面に妙光寺堂舎の被害及びその復興について記す。大正12(1923)年12月建立。 (名古屋大学減災連携研究センター武村雅之他2016『神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その3県東部編)』 |
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2 | 名越切通 | 逗子市小坪七丁目 | (1) |
S41年4月11日 |
逗子市 | 市教委の発掘調査の結果、切通道のうち現状最も狭隘な第1切通(幅員約90cm)は、近世以降の路面(推定幅員約3m)が大規模な岩塊により塞がれたことで形成されたことが判明した。これは古老の談として関東大震災の時のこととされる。 (逗子市教育委員会2007『神奈川県逗子市 埋蔵文化財緊急調査報告書5』) |
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No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 諸磯の隆起海岸 | 三浦市三崎町諸磯 | (1) | S3年3月24日 国指定天然記念物 |
三浦市 | 地層の列の数や穿孔貝の巣穴の保存状態から、この場所が、過去幾度かにわたって隆起したことを物語っており歴史上の大地震を知る上で貴重な資料といえます。 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 船溜竣工記念碑 | 三浦郡葉山町堀内 | (4) | 関東大震災による津波により壊れた船溜の完成を記念して昭和9(1934)年に建立された。 | 詳細はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 鳥屋・地震峠 | 相模原市緑区鳥屋 | (1) | 地震の影響で山津波(土砂崩れ)が起きた峠。旧津久井町教育委員会により案内板が設置されている。 「津久井町教育委員会昭和六十一年三月」の記載あり。 |
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2 | 大震殃死諸精霊碑 | 相模原市緑区鳥屋 | (4) | 民地 | 地震の影響で山津波が起きた峠。土石流のためせき止められ、串川が上流500m位まで湖のようになり、被災した慰霊碑が建立される。 国土地理院「自然災害伝承碑」登録。 ほか慰霊碑、地蔵尊並ぶ。 |
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3 | 溝 | 相模原市緑区千木良 | (1) | 民地 | 地元住民の話によると、関東大震災の影響で生じた溝である。『相模湖町史歴史編』には、関東大震災により千木良村赤馬で山崩れが発生し、6人が犠牲になったとの記載がある。 地元自治会の自治会長からの情報。 |
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4 | 慰霊塔 | 相模原市緑区千木良 | (4) | 民地 |
「大正12年9月」の記載あり。 『相模湖町史歴史編』には、関東大震災により千木良村赤馬で山崩れが発生し、6人が犠牲になったとの記載がある。 |
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5 | 大震災記念植樹 石碑 | 相模原市中央区矢部二丁目 | (4) | 神社 | 震災を記念して植樹したことを示す石碑。植樹された木は既に伐採された様子。 村富神社内。大正12(1923)年。 |
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6 | 石柱碑 | 相模原市中央区共和一丁目 | (4) | 神社 | 震災を記念して建てられた石柱。 新田稲荷内。大正13(1924)年。 |
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7 | 大震災記念植樹 石碑 | 相模原市中央区淵野辺本町一丁目 | (4) | 神社 | 震災を記念して植樹したことを示す石碑。 日枝神社内。大正12(1923)年。 |
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8 | 大震災記念植樹 石柱 | 相模原市中央区淵野辺本町四丁目 | (4) | 神社 | 震災を記念して植樹したことを示す石柱。 皇武神社内。大正12(1923)年。 |
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9 | 震災記念 石碑 | 相模原市中央区水郷田名一丁目 | (4) | 神社 | 震災を記念して建てられた石碑。 田名八幡宮内。大正12(1923)年。 |
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10 | 震災記念樹碑 | 相模原市南区上鶴間本町三丁目 | (4) | 神社 | 震災を記念して植樹したことを示す石碑。 鹿島神社内。大正12(1923)年。 |
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11 | 鹿島神社再建記念碑 | 相模原市南区上鶴間本町三丁目 | (4) | 神社 | 社殿の再建したことをしめす石碑。 鹿島神社内。大正12(1923)年。 |
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12 | 震災記念樹記念碑 | 相模原市南区上鶴間本町九丁目 | (4) | 神社 | 震災を記念して植樹したことを示す石柱。 長島神社内。大正12(1923)年。 |
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13 | 大震災記念植樹 石柱 | 相模原市南区古淵一丁目 | (4) | 神社 | 震災を記念して植樹したことを示す石柱。武村ほか著「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構」に写真付きで記載されているが、現地で確認できず。 鹿島神社内。大正12(1923)年。 |
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14 | 大震災記念植樹 石柱 | 相模原市南区古淵三丁目 | (4) | 相模原市 | 震災を記念して植樹したことを示す石柱。 大野小学校内。 |
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15 | 震災記念樹 石柱 | 相模原市南区東大沼三丁目 | (4) | 神社 | 震災を記念して植樹したことを示す石柱。 稲荷社内。大正12(1923)年。 |
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16 | 復興記念碑 | 相模原市南区下溝 | (4) | 神社 | 土砂災害等が各所に発生し、交通が途絶したため、村人一同が十二天神社で話し合い、応急の坂道復旧をさせ、翌年には新たに緩やかな坂道を完成させた記念碑。 国土地理院「自然災害伝承碑」登録。 |
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17 | 宮坂改脩紀念 記念碑 | 相模原市南区下溝 | (4) | 民地 | 地震により不通となった坂道の改修記念碑。 | 写真はこちら | |
18 | 御嶽神社鳥居 | 相模原市南区磯部 | (3) | 神社 | 大正13(1924)年に再建された鳥居。現在のものはさらに平成10(1998)年に再建されたもの。 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 災害復興碑 | 厚木市厚木町 | (4) | 大正13(1924)年 正面「あゝ九月一日」 |
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2 | 災害記念碑 | 厚木市厚木町 | (4) | 大正13(1924)年 鳥居転用 正面「大震災倒壊大正十二年九月一日」 |
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3 | 社殿移轉之碑 | 厚木市山際 | (4) | 震災により大破した社殿を移転させたことを記念し建立された。 | 写真はこちら | ||
4 | 鐘楼再建碑 | 厚木市上荻野 | (4) | 震災で破壊された浅間神社の鐘楼が再建されたことを記念し建立された。 | 写真はこちら | ||
5 | 災害供養碑(横死者供養碑) | 厚木市上古沢 | (4) | 大正14(1925)年 | 写真はこちら | ||
6 | 災害記念碑 | 厚木市戸室四丁目 | (4) | 鳥居転用 「本殿之舊址」 |
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7 |
災害記念碑 | 厚木市恩名三丁目 | (4) | 天保12(1841)年 鳥居転用 正面「震災記念」 左面「維持 天保十二辛丑初夏摩訶日再建焉」 |
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8 | 災害供養碑(横死者供養碑) | 七沢浅間山参道左入口 | (4) | 明治37(1904)年 | 写真はこちら | ||
9 | 災害記念碑 | 厚木市岡田四丁目 | (4) | 明治33(1900)年 鳥居転用 |
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10 | 災害記念碑 | 厚木市岡田四丁目 | (4) | 昭和3(1928)年 | 写真はこちら | ||
11 | 災害記念碑 | 厚木市岡田四丁目 | (4) | 昭和15(1940)年 「此ノ鳥居ハ明治三十三年九月再建セシガ大正十二年九月一日関東大震災ノ厄ニ遭遇シ倒覆挫折セシタメ修理ヲ加ヘシモ昭和十五年二月十一日突如大破シ最早修理ノ術ナシ 依テ皇紀二千六百年記念事業トシテ氏子ニ図リシニ造営ノ議忽チ整ヒ工成リシヲ以テ茲ニ保存ス」 |
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12 | 災害記念碑 | 厚木市酒井 | (4) | 大正13(1924)年 | 写真はこちら | ||
13 | 災害記念碑 | 厚木市戸田 | (4) | 昭和10(1935)年 | 写真はこちら | ||
14 | 災害記念碑 | 厚木市戸田 | (4) | 昭和4(1929)年 | 写真はこちら | ||
15 | 災害供養碑 | 厚木市上落合 | (4) | 大正12(1923)年 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 関東大震災記念樹 | 大和市深見西八丁目 | (5) | 大和市 | 小学校の正門脇に植樹された2本のイチョウの木 | 写真はこちら | |
2 | 関東大震災記念樹の碑 | 大和市深見西八丁目 | (4) | 大和市 | 大正12(1923)年11月に、当時の大和村長 高下才介が発起人となり震災の記念樹としてイチョウの木を植えたことを伝える記念碑。 (正面) 大正十二年九月一日 關東大震災記念樹 銀杏貮本 (背面) 記念銀杏 當時ノ大和尋常高等小學校職員氏名(略) 賛助員 大和村長 高下才介(銀杏寄付者) 同 震災時村長 古谷田寛吉 震災時校長代理 目代美佐吉 昭和十一年九月一日建之 |
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No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 震災記念碑 | 海老名市中新田一丁目 | (4) | 関東大震災で倒壊した鳥居を用いた昭和14(1939)年春建立の記念碑が大島記念公園敷地内東部の一区画に実存。 (『えびなの歴史』16号「海老名市中部の記念碑」鈴木忍) |
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2 | 大震災記念 | 海老名市中新田二丁目 | (4) | 関東大震災で倒壊した鳥居を用いた記念碑が諏訪神社敷地内北西部の一区画に実存。 (平成25(2015)年8月歴史資料収蔵館調査による) (『えびなの歴史』16号「海老名市中部の記念碑」鈴木忍) |
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3 | 大正拾弐年九月一日震災横死之靈碑 | 海老名市中新田二丁目 | (4) | 関東大震災横死者28名の慰霊碑で、増全寺34世および35世住職の玉城莊全和尚が施主となり昭和2(1927)年8月に寺域内に建立 (平成18(2006)年5月史跡ガイドボランティア(当時)調査による) |
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4 | 大震災記念 | 海老名市中新田三丁目 | (4) | 関東大震災で倒壊した鳥居を用いた記念碑が川寿稲荷神社敷地内西部の一区画に実存。 (『えびなの歴史』16号「海老名市中部の記念碑」鈴木忍) |
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5 | 大震災記念塔 | 海老名市社家二丁目 | (4) | 関東大震災で倒壊した鳥居を用いた昭和11(1936)年6月建立の記念碑が三島社敷地内北西部の一区画に実存。 (平成13(2001)年11月13日企画部市史編纂室調査による) (『えびなの歴史』15号「海老名市南部の記念碑」鈴木忍) |
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6 | 記念碑 | 海老名市門沢橋四丁目 | (4) | 関東大震災における門沢橋部落の惨劇を記した大正12(1923)年建立碑が下原橋天満宮裏手に実存。 (『海老名むかしばなし第三集』「関東大震災と門沢橋」) (『えびなの歴史』15号「海老名市南部の記念碑」鈴木忍) |
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No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 旧鳥居保存の碑 | 座間市四ツ谷 | (4) | 日枝大神 | 関東大震災の際倒壊した鳥居の柱、笠木等を横たえた中に経緯を記す石碑が建立されている。 | 写真はこちら | |
2 | 大震災記念碑 | 座間市新田宿 | (4) | 諏訪明神 | 関東大震災で破損した鳥居の中貫を利用して建立されたもの。周辺地域の被害状況が碑文に記されている。 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 大震災殃死者供養塔 | 平塚市札場町 | (4) | 碑文内容は次のとおり。 「大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災で東京、横浜、横須賀、小田原は地震による火災ですべて焼失した、旧須馬村では家屋は倒壊し60名余りの命が奪われた。」 | |||
2 | 震災遭難者之靈 | 平塚市平塚二丁目 | (4) | 碑文内容は次のとおり。 「大正12年(1923)9月1日の正午頃、突如起こった大地震は旧平塚町とその周辺に大きな被害を与えた。旧平塚町の死者は275人を数え、このうち焼死は1人で他は圧死であった。負傷者は232人に及び家屋は全壊又は半壊したものが多かった。また、馬入鉄橋は川中に落ち、道路は各所で亀裂や陥没が生じ寸断された。」 | 写真はこちら | ||
3 | 陸軍架橋記念碑 | 平塚市馬入本町 | (4) | 碑文内容は次のとおり。 「陸軍架橋記念碑 大正十二年(一九二三年)九月一日、関東大震災によって馬入橋が倒壊し、交通が途絶しました。地元の消防組・在郷軍人会・青年団によって即日渡舟が運行されましたが、数日後の豪雨で流失し、しばしば中断してしまいました。九月十七日、陸軍第十五師団(豊橋)所属工兵大隊と第十六師団(京都)所属工兵大隊が急きょ派遣され、架橋工事が開始されました。橋の全長四五〇メートルのうち、馬入側の三〇〇メートルを第十六師団、茅ヶ崎側を第十五師団が担当して、同年十月三日に完成しました。この記念碑は馬入側を担当した第十六大隊の事績を称えたものです。碑 文 陸軍架橋記念碑 大正十二年九月大震 ノ際京都工兵第十六 大隊ハ馬入橋架設ノ 為メ同月十七日起工 汗血ノ労ヲ費ヤスコト 一旬餘十月三日竣工 橋ノ長サ四百五十米 突中三百米突 大正十二年十月 工兵第十六大隊長 平成十八年(二〇〇六年)三月 平 塚 市」 | 写真はこちら | ||
4 | 馬入川橋梁 | 平塚市馬入 | (2) | 相模川に架かる東海道線の橋梁。煉瓦積みの橋脚が上下線とも崩壊、転倒し、橋桁も落下した。この時被害を受けた橋脚の一部は現在も相模川に点々と残されている。(平塚市博物館2015『平成26年度春期特別展 天変地異』) |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 嗚呼九月一日碑 | 藤沢市藤沢 | (4) | 鼻黒稲荷大明神 | 昭和4(1929)年建立。関東大震災による被害の記念碑。 | ||
2 | 中雀門 | 藤沢市西富一丁目 | (2) | H27年10月1日 市指定文化財 |
清浄光寺 | 倒れたものをそのまま引き起こして現在に至る。 | 写真はこちら |
3 | 震災記念碑 | 藤沢市小塚 | (4) | 荒神神社 | 大正13(1924)年建立。関東大震災による被害の記念碑。 | 写真はこちら | |
4 | 震災記念碑 | 藤沢市片瀬二丁目 | (4) | 上諏訪神社 | 昭和2(1927)年建立。関東大震災と翌年の丹沢地震による被害の記念碑。 | 写真はこちら | |
5 | 五重塔 | 藤沢市片瀬三丁目 | (2) | R3年10月1日 市指定文化財 |
龍口寺 | 西南の方向に一尺六寸移動した。 | 写真はこちら |
6 | 至誠通神の碑(龍口明神社跡地) | 藤沢市片瀬 | (4) | 龍口寺隣の龍口明神社跡地に龍口明神社は鎌倉市腰越に遷宮されたが、その跡地に、関東大震災の復興を記した「至誠通神」碑が残されている。しかし、旧社殿は現時点では撤去されており現存しない。 ※【上西勇, 2011, 関東大震災, 災禍を語り継ぐ石碑, 神奈川県篇, 147pp】を参照。 | 写真はこちら | ||
7 | 聖天島 | 藤沢市江の島一丁目 | (1) | S35年10月4日 県指定史跡名勝 |
神奈川県 | 独立した島であったのが関東大震災の時に隆起し江の島と陸続きになった。昭和39(1964)年東京オリンピックのヨット競技会場を作るため埋め立てられ、現在は上部だけが陸地内に取り残されている。 | 写真はこちら |
8 |
稚児ヶ淵 | 藤沢市江の島一丁目 | (4) | S35年10月4日 県指定史跡名勝 |
神奈川県 | 関東大震災により波食台が1mほど隆起した。 | 写真はこちら |
9 |
復興碑 | 藤沢市稲荷 | (4) | 大庭神社 | 昭和2(1927)年建立。関東大震災による被害の記念碑。 | 写真はこちら | |
10 |
鳥居建立の由来碑 | 藤沢市稲荷 | (4) | 大庭神社 | 昭和26(1951)年建立。関東大震災で倒壊した鳥居の再建が戦後までかかったと伝える。 | 写真はこちら | |
11 |
大震災復興記念碑 | 藤沢市亀井野 | (4) | 亀井神社 | 昭和10(1935)年。建立関東大震災による被害の記念碑。 | 写真はこちら | |
12 |
用水堰改築記念碑 | 藤沢市今田 | (4) | 鯖神社 | 大正15(1926)年建立。関東大震災で壊れた堰を大正15年に復旧。 | 写真はこちら | |
13 | 大震災記念碑 | 藤沢市宮原 | (4) | 寒川社 | 大正14(1925)年建立。関東大震災による被害の記念碑。陥没や崩壊についても記載。 | 写真はこちら | |
14 |
大震災記念碑 | 藤沢市遠藤 | (4) | 御嶽大神 | 大正15(1926)年建立。関東大震災と翌年の丹沢地震による被害の記念碑。 | 写真はこちら | |
15 | 復興記念碑 | 藤沢市遠藤 | (4) | 笹久保稲荷社 | 昭和2(1927)年建立。関東大震災による被害の記念碑。集落が高台へ移転した経緯についても記載。 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 震災追善 | 茅ヶ崎市本村四丁目 | (4) | 曹洞宗海前寺 | 純水館の従業員である天木榮一郎が震災で命を落としたため、その追善に純水館が建立したもの | 写真はこちら | |
2 | 震災記念碑 | 茅ヶ崎市南湖三丁目 | (4) | 金刀比羅神社 | 写真はこちら | ||
3 | 三島社殿改築之碑 | 茅ヶ崎市萩園 | (4) | 三島神社 | 写真はこちら | ||
4 | 小出川橋石 | 茅ヶ崎市萩園 | (2) | 三島神社 | 地震の揺れで落ちた小出川に架かる萩園橋の一部 | 写真はこちら | |
5 | 千ノ川 | 茅ヶ崎市下町屋一丁目 | (3) | 写真はこちら | |||
6 | 旧相模川橋脚 | 茅ヶ崎市下町屋一丁目 | (5) | T15年10月20日 国指定史跡 H25年3月27日 国指定天然記念物 |
茅ヶ崎市 | 大正12(1923)年9月1日の関東大震災と翌年1月の余震によって、当時の水田に橋杭が出現した遺跡です。中世の橋脚として史跡に指定されたのち、出現事象が液状化現象を示すものとして天然記念物にも指定されました。 | 写真はこちら |
7 | 旧相模原橋脚(耕地整理記念碑) | 茅ヶ崎市下町屋一丁目 | (4) |
震災後の大正14(1925)年から昭和15(1940)年にかけて行われた耕地整理の記念碑(茅ヶ崎町湘東耕地整理組合により建立) ※【武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 2015,神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その1 県中部編),平成25-27 年度 JSPS KAKENHI 25350496 (初年度), 29pp.】を参照。 |
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8 | 震災記念碑 | 茅ヶ崎市今宿 | (4) | 松尾大神 | |||
9 | 大震災記念碑 | 茅ヶ崎市松尾 | (4) | 神明神社 | 写真はこちら | ||
10 | 柳島山善福寺復興記念 | 茅ヶ崎市柳島一丁目 | (4) | 真言宗善福寺 | 写真はこちら | ||
11 | 崩壊鳥居のモニュメント | 茅ヶ崎市柳島二丁目 | (4) | 八幡神社 | 地震で壊れた鳥居の残骸を用いたモニュメント | 写真はこちら | |
12 | 観音菩薩像13回忌 | 茅ヶ崎市柳島二丁目 | (4) | 写真はこちら | |||
13 | 大震災碑 | 茅ヶ崎市小和田二丁目 | (4) | 熊野神社 | 写真はこちら | ||
14 | 震災記念聯芳塔 | 茅ヶ崎市行谷 | (4) | 曹洞宗宝蔵寺 | 写真はこちら | ||
15 | 嗚呼九月一日13回忌 | 茅ヶ崎市堤 | (4) | 曹洞宗正覚院 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 河原町児童公園の供養塔 | 秦野市河原町 | (4) | 昭和5(1930)年に、玉寶山命徳寺に隣接する児童公園に建立された慰霊碑。秦野1町5ヶ村での犠牲者の名前が刻まれている。 | |||
2 | 古峯神社 | 秦野市寿町 | (3) | 関東大震災の際に発生した火災が、当時屋敷内に祭られていた古峯神社の所で鎮火したことから、大正15(1926)年に社が再建され、町内の神社となった。 | 写真はこちら | ||
3 | 平沢埋没者供養塔 | 秦野市平沢 | (4) | 大正13(1924)年に南秦野村の人々によって建てられ、現在震生湖のバス停脇の林の中にある供養塔。震災の際、峰坂で起きた土砂崩れに巻き込まれて行方不明になった南秦野尋常高等小学校の少女2名を供養するもの。 | 写真はこちら | ||
4 | 太岳院本堂再建寄附者芳名碑 | 秦野市今泉 | (4) | 市内南地区にある太岳院に建つ芳名碑。震災で倒壊した本堂の再建に際し、寄附金を寄せた人々の名前が刻まれている。 | 写真はこちら | ||
5 | 震生湖 | 秦野市今泉 | (1) | R3年3月26日 国登録記念物 |
秦野市ほか | 大正12(1923)年9月1日の関東大震災により地すべりが起き、滑落した土砂が河道を閉塞して生じた堰止湖。震災から100年近く経過しても「湖面」「崩落地」「堰止地」が確認できる点が希少であり、地震による地形変化の規模の大きさを今日に伝える地質遺産として令和3(2021)年3月26日に国登録記念物となった。 |
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6 | 玉伝寺供養碑といとこ地蔵 | 秦野市名古木 | (4) | 昭和2(1927)年市内東地区の玉伝寺に建立された慰霊碑。名古木で13名、落合で5名の犠牲者があったことが刻まれている。また、当時小学校の代替え施設であった玉伝寺にて、昼休み中に外で遊んでいた児童2人が山崩れにより生き埋めとなった。いとこどうしであった2人の供養のために、敷地内にはいとこ地蔵も置かれている。 |
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7 | 菩提復旧記念碑 | 秦野市菩提 | (4) | 昭和5(1930)年に建立された、市内北地区の菩提開館前の広場にある記念碑。 | 写真はこちら | ||
8 | 戸川復興記念碑 | 秦野市戸川 | (4) | 昭和3(1928)年市内北地区に建立された復興記念碑。 | 写真はこちら | ||
9 | 龍法寺供養塔 | 秦野市南矢名 | (4) | 昭和10(1935)年市内大根地区の龍法寺に建立された慰霊碑。周辺住民が震災で亡くなった同じ集落の8人の13回忌に建立したと思われる。 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 大山地区 | 伊勢原大山 | (5) | 伊勢原市 | 大山詣りで著名な大山は、伊勢原から登る山道伝いに宿坊やお土産屋が連なり、狭い谷に沿って細長く集落が形成されてきた。 関東大震災では、山頂の大山阿夫利神社本社が倒壊し、山腹の御師集落でも建物の損壊があった。 また、震災から2週間後の9月15日、山津波(土石流)が発生し、谷に沿って大山町の大半が押し流された。 このような大規模災害にもかかわらず、当時大山に駐在していた警官である佐藤巡査がいち早く山津波を察知し、住民の避難を促したことから、死者は1名にとどまった。 伊勢原警察署では、現在でもこの行動を警察官の模範とし、研修でも取り上げて、市民の命を救った警察官の姿を語り継いでいる。 |
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2 | 高部屋神社 本殿 | 伊勢原市下糟屋 | (2) | H28年2月25日 国登録有形文化財 |
伊勢原市 | 高部屋神社は、平安時代に編さんされた延喜式神名帳に掲載された相模十三坐のうちのひとつで、本殿及び拝殿が国の有形文化財に登録されている。 このうち正保4(1647)年に建造された本殿が、関東大震災で倒壊した。地元有志の努力で昭和4(1929)年に再建されるが、その際往時の姿を残すため、扉や彫刻など主要な部材が再利用された。震災後の混乱期において、こうした修復が行われたことは、高部屋神社を守る地域の意識が強かった証といえる。 |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | (関東大震災伝承碑) | 高座郡寒川町田端 | (4) | 関東大震災で倒壊した貴船大神の鳥居を用いた伝承碑。石柱には「嗟呼 大正十二年九月一日之大震災」と刻まれている。 | 写真はこちら | ||
2 | 大震災紀念碑 | 高座郡寒川町一之宮一丁目 | (4) | 記念碑の正面には地震の発生日時、背面には一之宮地区の被害状況が刻まれている。 | |||
3 | (倒壊した明神鳥居) | 高座郡寒川町宮山 | (4) | 安政の大地震(安政2(1855)年)・関東大震災の両度で倒壊した寒川神社の一之鳥居が保管されている。 | |||
4 | 大震災記念(碑) | 高座郡寒川町宮山 | (4) | 記念碑には、宮山旭地区の被害状況と、震災復興に尽力した大工職父子の功績を讃える文言が刻まれている。 | 写真はこちら | ||
5 | 大震災記念(碑) | 高座郡寒川町倉見 | (4) | 記念碑には、倉見地区の被害状況が刻まれている。 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 大磯海岸の隆起 | 中郡大磯町大磯 (大磯港、照ヶ崎海岸) |
(1) | 国 | 関東大震災後、約1.8~2m隆起した為、岩盤を凌堀し船揚場を築造する等、大磯港の改修工事を行った。『震災記録』には、照ヶ崎海岸の震災前後の巻頭写真がある。 (『大磯町史』3巻、4巻) (『むかしがたり-古老が語る大磯の災害』) (『震災記録』) (『大磯の災害 かつてこの地で起きたこと』) |
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No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 根府川地区の山津波と根府川駅鉄道関係被害 | 小田原市根府川 | (5) | 小田原市根府川地区は、地震直後に後方の聖岳が崩壊して発生した山津波により、白糸川沿いの民家はすべて埋没、多くの死者・行方不明者が出た地域である。 また熱海線根府川駅でも、ホームや駅舎、入線中の列車などが地すべりによって相模湾へ転落し、多くの死傷者を出した。海水浴中の子どもも多数犠牲になり、この地域には当時の被害の大きさを伝える石碑が数多く残っている。 |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 震災復興碑 | 南足柄市内山 | (4) | 震災による旧北足柄村(現南足柄市の一部及び現山北町の一部)の被害概要とその復旧経費、復旧にあたり尽力した企業・団体名が記載されている。 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 震生湖 | 足柄上郡中井町境別所 | (1) | R3年3月26日 国登録記念物 |
秦野市・中井町 | 大正12(1923)年9月1日の関東地震により、斜面が幅約250メートルにわたって地すべりを起こし、藤沢川最上流部の「市木沢」を閉塞したことによって誕生した「堰止湖」です。 |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 耕地整理記念碑 | 足柄上郡大井町金子 | (3) | 昭和11(1936)年11月建立 震災後の耕地整理記念 路傍 |
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2 | 金田水道記念碑 | 足柄上郡大井町金子 | (3) | 真言宗最明寺 | 昭和11(1936)年11月建立 震災後の簡易水道整備 |
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3 | 拡張工事記念碑 | 足柄上郡大井町金子 | (4) | 真言宗最明寺 | 昭和40(1965)年12月建立 震災後の簡易水道整備 |
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4 | 震サイ(注)記念碑 | 足柄上郡大井町金子 | (3) | 個人 | 大正14(1925)年12月建立 震災時とその後の一家の記録 旧間宮鴻児宅 (注)「サイ」の字は変換不能 |
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5 | 南水道記念碑 | 足柄上郡大井町金子 | (3) | 真言宗円蔵院 | 昭和11(1936)年5月建立 震災後の簡易水道整備 |
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6 | 社殿改築費寄附氏名碑 | 足柄上郡大井町山田 | (3) | 天神社 | 昭和3(1928)年11月建立 震災後の社殿再建記念 |
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No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 延命之泉 | 足柄上郡松田町松田惣領 | (3)(4) | 松田町 | 震災時、飲料水の枯渇に苦しんだ町民が延命寺沢の湧水を飲料用として利用したので、泉を復元し碑を建てたもの。 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 室生神社 | 足柄上郡山北町山北 | (2) | 天正8(1580)年に中川から岸に移転し、その後地主神として祭られている神社。 | 写真はこちら | ||
2 | 大震災復興記念碑 | 足柄上郡山北町山北 | (4) | 石碑 | 写真はこちら | ||
3 | 震災記念碑 | 足柄上郡山北町岸 | (4) | 石碑 | 写真はこちら | ||
4 | 震災供養塔 | 足柄上郡山北町皆瀨川 | (4) | 石碑 | 写真はこちら | ||
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楠木 | 足柄上郡山北町岸 | (1) |
S59年2月1日指定 町指定天然記念物 |
八幡神社 | 根本の小枝は関東大震災によって根元がさけ、その先端から生じたもので、学術的にも貴重な現象。 ※山北町ホームページ内の町指定文化財を参照。 | 写真はこちら |
6 | 社殿改築記念碑 | 足柄上郡山北町岸 | (4) | 八幡神社 | 震災による社殿改築を記念した碑 | 写真はこちら | |
7 | 如意山震災復興碑 | 足柄上郡山北町向原 | (4) | 震災復興碑 | 写真はこちら |
No. | 名称 | 所在地 | 分類 | 文化財指定 | 所有者等 | 概要等 | 写真 |
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1 | 真鶴小学校震災記念碑 | 足柄下郡真鶴町真鶴 | (4) | 真鶴町 | 悲惨な震災の記憶を永く止めるため、震災によって死去した殉職者や児童を悼み建立されたもの。 | 詳細はこちら | |
2 | 岩小学校慰霊碑 | 足柄下郡真鶴町岩 | (4) | 不明 | 関東大震災による岩小学校の職員・生徒の犠牲者に対して行われた13回忌の法要を期して、建設された慰霊碑。 | 写真はこちら |
このページの所管所属はくらし安全防災局 防災部危機管理防災課です。